第10話 優ちゃん、それはないだろう⁉︎

12月17日木曜日、今朝は、目覚めがいいはずもなく、天気もどんよりと曇っている。

8時3分、駐車場でみんなと出くわした。 暗ブタは昨日のことには全く触れず、


「おはようございます」


と俺に声をかけてくれた。

おばさんは最近血糖値が少し高いからとマイシュガーを持参していた。

植木は健康診断で一度も引っかかったことがないと自慢している。

おじさんはニコニコして


「若い人はいいね」


って言いながらバターが滴り落ちそうなトーストにグラニュー糖をたっぷりかけている。暗ブタが珍しく自分から口を開いた。


「バターにお砂糖って美味しそうですね。コーヒーにも合いそう。私もかけてみよ」


植木もすかさず言った。


「僕もやってみよ。うん、甘辛くってコーヒーに合うね」


今日の暗ブタは朝から機嫌がいい。俺はまた、昨日俺に言われたせいで一段と床に取り憑かれるかと思ってたんだけど、女の人は解らない。

というよりあの手の暗い人間は何に反応して明るくなるのか、スイッチが入るのか全く解らない。

俺は暗ブタに、今日の夕方も "ダークブラウン" に来て欲しいっていつ言えばいいんだろうかと悩んでいたが、やっぱり後でラインを入れることにした。

今日も美味しいモーニングセットに芳しいコーヒーを朝から味わうことが出来た。元はと言えば暗ブタを避けるために考えた苦肉の策だったけど、こればっかりは暗ブタに感謝だな。

お決まりの8時45分にみんなと別れて職場に向かった。

途中、同じ階で仕事をしている経理のおばちゃんが、ゼーゼー息を切らしながら走ってるのが見えた。

俺は乗せてってあげるべきか見てない振りをするべきか迷ったが、職場まで歩いてもあと5分だし、健康のためにもあのまま走らせた方が良いだろうという結論に達した。

目が合わないようにただひたすら前の信号を見つめたままおばちゃんの横を通り過ぎた。


職場に着いたらまず暗ブタにラインを入れる

、余計なことは言わずにただ要件だけ。


「昨日はありがとう。

もし構わなかったら、今日の夕方もう一度 "ダークブラウン" に来てもらえますか?」


返信はすぐ来た。


「こちらこそ心配してくれてありがとうございました。今日も大丈夫です。

5時ころ行きます」


良かった、機嫌は悪くなさそうだ。


今日も昼休みを30分で切り上げて、職場のおばちゃん達にからかわれながらも5時前には仕事を全部終わらせた。

おばちゃん達は俺に彼女ができたから昼休みを短縮してまで早く仕事を終わらせてると勘違いしているようだ。

そんなんじゃありません、と何回言っても全く聞き入れない。俺に彼女がいてからかえる方が面白いんだろうな。

4時56分、 "ダークブラウン" に着いて入口を見てみると、予想通りすでに暗ブタの自転車があった。

今日は力まず自然体で未央ちゃんも心配してるよという風に持っていこうと思っている。

いつもの席に座ると玲さんが、私は何も知りません風にさりげなくお水とおしぼりを持って来てくれた。


「いつものマンデリンお願いします」


「私も同じのお願いします」


なんか暗ブタがいつもより明るく見えるのは気のせいか?

俺はまず、未央ちゃんから聞いたってことをすぐに伝えた。

驚いてはいないが、またじわりじわりと床に取り憑かれている。


「ねえ、鳥居さんがお金貸して欲しいって優ちゃんに頼んできたの?」


「違います。最初鳥居さんの方が、全くお金を持っていなかった私に10万円貸してくれたんです。私が払うかどうかも判らないのにニコニコしながら貸してくれたんですよ。

その後、ランチ食べながらいろいろ励ましてくれたんです。

鳥居さんも、長男は事故で亡くなったけど、次男は自分でお店を持ちたいっていう夢があって働きながらコツコツお金を貯めてるから影ながら応援してるって。だから最初10万円貸してもらったお礼と息子さんに役立てほしいのとで100万円渡したんです。

でも100万円じゃ足りないだろうなと思って次の日にまた100万円渡したんですけど、鳥居さんがどうしても受け取れないって言うから私が…」


「私が何?」


暗ブタは開き直ったように続けた。


「受け取ってくれなかったら…また、道路に寝転んで死にます!って言いました!」


はーーーっ、俺はしばらく開いた口が塞がらなかった。


「ねえ、そんなことしちゃいけないとは思わないの?」


「いいんです!パパがバカみたいに高い変なスーツ買うより必要な人が使ってくれた方がいいんです」


スーツの件は一理あるけどそういう問題じゃない。


「鳥居さんがそんなことされて嬉しいと思う?」


「いえ、貰うのは私達も嫌だけど、あなたに死なれるのはもっと嫌だから、息子が成功したら必ずお支払いしますねと言われました」


ああ、良かった。鳥居さん達はやっぱりいい人だった。しかし、コイツは金がどういうものか全く解ってない。

「ねえ、お金っていうのはそれだけの仕事をして初めて手にするものでしょ?

何にもしてないのに貰ったって普通の人は良心が咎めるよ」


「鳥居さんちの創君は夜遅くまで一生懸命働いているのにお給料が少ないから切り詰めて生活してやっと1か月に5万円貯金できるって言ってたんですよ。

いつになったら夢が叶うんですか?」


「それは創君が考えることだから優ちゃんが安易にお金を出すのは間違ってると思うよ」


「これは投資なんです。創君だって少しでも早く夢を叶えたいに決まってます」


「投資って、お父さんに貰ったお金でしょ?

優ちゃんが仕事して得たお金じゃないでしょ?」


「私だって仕事してます。経営者だけが貰いすぎなんです。パパだってあんな趣味の悪い高そうなスーツ着てるから、私のパパだってみんなに知られたくないんです」


「優ちゃんの父さんには父さんでいろいろな事情があると思うよ。高いスーツ着て成功してますってふうに信頼してもらわなきゃ仕事にならないんじゃないのかなぁ」


「あんな趣味の悪いスーツ着てたら返ってバカにされそう」


それは否定しないけど、だからってやることがおかしいだろ。


「もしね、優ちゃんが無償でいくらでもお金貸してくれるって悪い奴らが知ったらすぐ利用されるよ。

そういう人達の情報網ってスゴイらしいからいくらでも言い寄ってこられるよ」


「そういう人達は相手にしないから」


俺は頭の中に張ってた境界線がぶちっと切れた。


「わかんねーヤツだな、相手にしなきゃいけないように持ってくるんだよ、向こうは!

とうさんにこれ以上心配かけるなよ!」


言ってしまった!心の声が出てしまった!

マスターと玲さんにも聴こえてたようで2人揃って小走りでやって来た。

マスターがきゃあきゃあ言っている。


「どうしたの?どうしたの?びっくりしちゃった!もう!仲良くケンカしてね」


もう無理だ!暗ブタは完全に床に取り憑かれている。泣いてるのか笑ってるのかさえ解らないし、玲さんは暗ブタの顔色を気にしてハラハラしている。


「ねえ、チーズケーキ余ってるからみんなで食べましょ?パパ、私の分もコーヒー入れて」


「え?パパ?」


「そうなの、あんまり似てないでしょ?

私ママ似だから、もう亡くなっちゃったけどね」


「あ、私と一緒です!私のママは私のせいで亡くなったんですけど、あなたのお母様は誰のせいで亡くなったんですか?」


また頭の中で何かが、ぶちっと切れた


「やめろって!普通の人間はお前みたいに、私のせいで亡くなったんですぅとかウジウジ言わねーんだよ!」


「玲のママは私のせいで亡くなったんです」


ゆーのかよ!しかもマスターが⁈


「僕が店をママに任せっきりでバンド活動ばっかりしてたから無理が祟って倒れちゃったんだ。それから半年くらいは寝ても覚めても辛くてね。

でも玲が言ってくれたんですよ。パパが幸せな生き方してなきゃママが心配するって。

僕はねママが亡くなったのに自分だけ幸せになっちゃいけないと思ってたんだ。

でも、それって一種の自己満足かも知れないね。回りの人達に対して何の配慮もなかったんだよね。佐藤さんは違う?」


「え、俺?」


呆然としている俺に玲さんが笑いを堪えたように言った。


「優ちゃんに決まってるでしょ」


そうだよ、アイツのことに決まってる。それなのにどうして俺は自分のことを言われたような気になったんだろう。

そうだ、俺にも覚えがあるからだ!

にいちゃんのことでかあさんを責めたあと、自分にはかあさんに反発する資格はないと思って反抗期もなくいい子いい子で育って来た。

かあさんが、浩二は本当にいい子ねと言いながら泣いてたことがある。

ああ、今解った!俺がずっと自分を許してなかったから、かあさんも辛かったんだ。


では暗ブタはどうだ?

少し目線を上げて今度はテーブルに取り憑かれている。そして薄っすらと涙ぐんでいる。


「私はマスターみたいに強くないんです。

私さえあの時わがままを言わなければ、ママは今も元気だったってどうしても思い出してしまうんです」


マスターは静かに言った。


「うん、そうだね。でも佐藤さんのママが生きてたとしたら、今の佐藤さんを見てどんなにか心配するだろうね」


暗ブタは何も答えず床に向かって言った。


「もう帰ります」


そのまま音もなく帰って行った。


マスターも玲さんも俺も言葉少なく、溜息だけが響いている。閉店の時間が近かったので、俺もこんなはずじゃなかったと思いながら、コーヒーとチーズケーキのお礼を言って帰った。

そのあとは超忙しかった。今晩のディナーの惣菜はしっかり買ったが、ビールとツマミを忘れたんだけど、もう引き返す元気は残っていなかったから諦めてそのまま帰って来た。

ディナーが済んでから暗ブタ友と暗ブタ父に電話しようと思っていたが、シャワーが終わって携帯を見てみると暗ブタ父から着信が入っていた。食べ終わってからにしようとも思ったが、やっぱり気になるので電話してみた。

内容は、暗ブタが200万円はもういらないとLINEを送ってきたというものだった。

説得してくれて本当にありがとうと言われたが、俺は全く自分が説得したという実感がなかった。マスターの言葉が響いたのか?

パパに心配かけちゃいけないと思ってくれたのか?

俺にとってはあんまり後味のいいものではなかったけど、ついでの餅に暗ブタ友にも電話した。どこから話そうか迷ったが、暗ブタ友の方からチャアチャア喋ってくれた。


「もう優ちゃんはモーニングには来ないかも知れないね」


「来る、来る。優はあの時間が一日の中で一番楽しみだって言ってたから。

それにあの子凄く無神経なとこあるから、あんまり気にしてないと思うよ。明日も一緒に楽しくモーニングしようねー」


確かに無神経なとこはある。

だが、俺には会いたくないかもな。

まあいいや、取り敢えずもう大金をばらまいたりはしないだろう。


その夜は満天の星だったが、願い事をする気にもならなかった。

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