第3話 モーニングタイムにしよう!

翌日12月4日金曜日、俺はモーニングセットを楽しみに7時45分に家を出た。


道は結構混んでいたが、8時2分前には"ダークブラウン"に着いた。


カランコロンのドアを開けるとやっぱりコーヒーのいい香りに包まれる。


今日はどうなんだろう?来るのか、こないのか?まあいいや、俺は俺で先に頂こう。


今日はバタートーストとサラダのセットにしてみた。


この時間は髭のマスターもカウンターのなかで忙しそうにしている。


テーブルの上にある多肉植物はもうオレンジ色の鮮やかな花を2つ付けていた。


俺が入って5分もしないうち、おばさん達3人がガヤガヤ入って来た。と言っても喋ってるのはおばさんだけだが。


「あらぁ、浩ちゃん、おはよう!早いのね」


浩ちゃん⁈俺か?何だ⁈このフレンドリーな言い方は⁈

息子の友達というより、もはや息子扱いだろう。

まあ、いいか、かあさんには照れ臭くて優しく出来ないからおばさんに優しくすることで少しは俺の心も救われる。


おばさんは生き生きと喋り続けた。


「馴れ馴れしくってごめんなさいね。これから息子と同じようにちゃん付けで呼んでもいいでしょ?」


「ええ、その方が僕も気楽に話せますから、そうしてください」


おばさんが心配そうな顔で続けた。


「優さんたらこの寒い中、私達が着くまで外で待ってたんですよ」


「あ、いえ、そんな…少しだけですから…」


そうだったんだ。全く気がつかなかったぞ。

存在感ねーなぁ。

ま、俺と向かい合わせで座ってるより極寒の中でも外で待ってる方が気が楽なんだろうな。

俺でもそうする。

貞子のような暗ブタと向かい合わせで座るより、極寒に耐え忍ぶ方がまだ気が楽だ。

相変わらず床ばかり見ている。

そんなに床が好きなのか。


顔馴染みの店員がオーダーを聞きに来た。

暗ブタはやっと45°ほど顔を上げた。

おばさんは嬉しそうにメニューを見ている。


「どれも美味しそうね。あ、浩ちゃんは何にしたの?」


「あ、僕はバタートーストとサラダのセットにしました。昨日はホットサンドだったんですけど、それも美味しかったですよ」


「じゃあ、私達もバタートーストとサラダにしましょうか」


やっとおじさんが喋った。


「そうだね」


メニューを見ているような見ていないような暗ブタにおばさんが聞いた。


「優ちゃんは何がいい?

全部美味しそうだから迷っちゃうわよね」


「あ、私も同じもので…」


そうだろうな、そう言うと思ったよ。

顔馴染みの店員が気を利かせてか、マスターが気を利かせてか、先に注文した俺の分もみんなと同じに持って来てくれた。

おばさんはコーヒーの中に吐き気がしそうなほど砂糖を入れている。

おじさんが心配そうに言った。


「そんなに良くないよ、砂糖…」


暗ブタが異様に反応した。


「はい?何か…」


コイツは砂糖と佐藤の区別もつかないのか、多分、人の話を単語でしか聞いてないんだろうな。

歳はいくつなんだろう。

おばさんが続けた。


「そうなのよ、私、血糖値も血圧も高いから、もうちょっとカロリー制限しなきゃいけないんだけど、あま〜いコーヒーとか和菓子が大好きなの」


暗ブタもモーニングセットでハイになったのか、珍しく顔を上げて喋り始めた。


「私の父もそうなんです。血糖値も血圧もコレステロール値も高くて、ジムに毎日通ってるらしいんですけど、そのあと、ビールを飲みながらカロリーの高いおつまみを食べてるからちょっと心配なんです」


「まあ、それは心配よね。

優ちゃんのお父様は確か、マンションをいくつか経営してらっしゃるんでしょう?お母様ももう亡くなられたんなら余計心配よね」


「はい、別々に暮らしてるから普段は余り会う事もないんですが、ちょっと心配にはなります」


なんだ、普通に喋れるじゃないか、そうか、何か自分に関係のあるテーマだと自然に話せるのかもな。


「僕も父をガンで亡くして母一人子一人なんです。住まいも別々ですし。母はフラワーアレンジメントの教室を自宅でしてるものですから人の出入りは結構あって、それなりに忙しくしてるようですけど、定期検診とか行ってるのかなぁ、今度聞いてみよう」


暗ブタは「母」と言う言葉を聞いて固まってしまった。なんだか嫌な予感がする。その嫌な予感は的中した。


「私の母は交通事故で亡くなってしまったんです。頭痛がすると言っていたのに、私が駅まで送らせてしまったから」


ああ、そうだったんだ、しまったなぁ。しかし、今それを言わなくてもいいだろう!みんな美味しく食べてるのに。 

おばさんは知っていたようで優しくフォローし始めた。


「それは優ちゃんのせいじゃないのよ。

わざとじゃないんだから。

そんな事はいくらでもあるわ。

私達だって、朝敬太を出勤させなければこんな事にならなかったってしょっちゅう思ってるのよ。

今更どうにもならないのにね。

それよりも生きてる私達が前向きで幸せになることを優ちゃんのお母様も願ってるはずよ」


「はい、そうなんですよね。

すみません、昨日も夢を見てしまったものですから、つい、母という言葉に反応してしまって。

浩二さん、ごめんなさい。このバタートーストとっても美味しいですね。」


暗ブタが初めて俺の目を見て喋った。

優しそうな目をしている。

だが、なんだか弱々しくてやっぱり俺のタイプじゃないな。


小学六年生の時だった。

席替えで、美人ではないが、なんとも言えない可愛い雰囲気の女の子が前の席に座った。俺はテンションが上がり、どうにか後ろを振り向かせたいのと、からかいたいのが一緒になって何度か髪の毛を軽く引っ張った。しかし、何の反応もなく、放課後を迎えた。帰りの挨拶が終わると"ごくせん"に出てきそうな女先生がドスドスと俺の席に来た。明らかに怒っている。


「ちょっと職員室に来なさい!」


ひょっとしてアレか?とは思ったが、まさかアレくらいでとも思った。

しかも無視されたし。

職員室の応接間に行くと女の子がポロポロ涙を流して先生に慰められていた。

先生は俺を見るなりこう言った。


「あなたはどうして何もしてない女の子の髪の毛を何度も引っ張ったりするの!」


可愛いからなんて言えるはずもない。なんとなくとか、退屈だったからとか言い訳をしてただひたすら謝ったのを覚えている。

次の日、俺ははるか後ろの席に追いやられた。

その日家に帰ると、かあさんもにいちゃんの遺影の前でごめんねと言って泣いていた。

俺は女の涙が本当に苦手だ。

騙されてもいいから笑っていて欲しいと思う。

いや、騙されるのはもう懲り懲りだが、それくらい泣かれるのは嫌だ。

暗ブタは気を取り直して美味しそうにモーニングセットを食べている。

おばさんもおじさんも満足そうだ。

モーニングセットのコーヒーはもう少し多い方がいいな。

明日からLサイズにしよう。 

その日の仕事帰り、やっぱり足が "ダークブラウン" に向いてしまった。

カランコロンの音を聞くだけでコーヒーの香りが蘇る。

いつもの席に座りいつものマンデリン。

多肉植物の花が二つ咲いていた。

愛らしい蕾も一個付いている。

いつもの店員も

夕方はお一人ですか?

みたいな顔つきで注文を聞きに来た。

俺もやっと一人になれて嬉しいよ、

みたいな顔つきで


「いつものお願いします」


と言ってやった。


まあ朝のモーニングセットも楽しみだからそれはそれでいいや。


12月5日土曜日の午後は、久しぶりにかあさんの顔を見に行った。

教室の生徒さんは最近若い女の人も多くなって土日は特に忙しそうだ。

ただ、最初から来ている二人のおばちゃんは俺の過去を知っているから多分生徒さん全員知ってるだろう。

俺が一番最初に騙された時、パニクってしまってかあさんに洗いざらい喋ってしまったものだから、かあさんもパニクって年配の生徒さんに相談したのだ。

あれやこれや本当に親身になって教えてくれたし、励ましてもくれたから感謝してるけど、それを新しい生徒さんが来る度に言ってるらしく、俺が横を通ると、おばちゃんが何やら解説しながらみんなでこちらを見ているのが解る。

俺は気付かないふりをしてその場を通り過ぎるが、もう二度とかあさんには相談しないとその時決めた。今日はクリスマス用のアレンジメントを作っているようで一段と生徒が多い。

教室が終わってからかあさんがパック詰めのおかずを袋に詰めてくれた。

「お正月はどうするの?

私は生徒さん達と温泉旅行に行くから三日までいないわよ。

来る時は必ず鍵を持ってきてよね。


「うん、まだ決めてないから予定が決まったらLINE入れとくよ」


かあちゃんはフラワーアレンジメントを教え始めてから生き生きしている。

にいちゃんの遺影に謝ることもなくなった。

多分、父ちゃんがそばに行ったからだろう

が、俺は今のかあちゃんの方がいいと思う。

俺なんか正月もそうだけど、クリスマスも今年は一人だもんな。

まあいいや、一人でも人生は楽しめる。


翌日12月6日日曜日、今日はゆっくりしようと思ってたのに、同級生の植木が昼前突然やって来た

。俺と同じく独身だ。仲間内で独身なのは俺とコイツだけ。

昼前って事は何か食うもの作れって事だもんな。

そうだ、丁度かあちゃんが作ったおかずが沢山あるから飯だけ炊こう。

植木は勝手にゲームを点けて一人で楽しんでいる。

今の間にメシの支度しろってことだろうな。新米が炊けるいい香りがし始めると、植木は言われなくてもゲームを止めた。


「なあ、この前出くわした貞子みたいな女ってその後どうなったんだろうな」


俺は言いたくねーなぁと思いながらも正直に言ってしまった。


「ああ、会ってるよ」


植木は貴重な新米を俺の顔目がけて思いっきり吹き出した。


「お前、わざと吹き出しただろ!俺だって会いたくて会ってる訳じゃないんだ。成り行きでこうなってしまったんだよ!」


植木の顔は完全に笑っていた。


「なに?告られて断れなかったってこと?

お前らしいなぁ」


あー、面倒くせー。どう言えばいいんだ。


「そう言うんじゃなくって、なぜかあのあとアイツが知り合ったおばさん達も一緒に時々 "ダークブラウン" でモーニングセットを食べることになってしまったって訳。


なんならお前も来る?」


「えー、行きてぇ、行きてぇ!でもモーニングセットって何時だよ」


「俺は8時から8時40分まで居る」


「うっわー、八時はキツイなぁ、でも行きてー!」


「俺は月から土まで毎日行くから気が向いたら来いよ」


植木には事の成り行きを粗方話しておいたからおばさん達に無神経な言い方をしたりはしないだろう。

ただ、植木もかあさん同様、俺が最初に騙された女の事は知っている。

くれぐれもおばさん達にはその事を言わないよう釘を刺しておいたが、調子に乗ると、ウケ狙いで言いそうだから油断はできない。

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