第2話 会わなくてすむ⁈

その日の夜、俺は悪夢にうなされた。

寝苦しくて壁の方に寝返りを打つと冷たいべちゃっとした感触が頬に伝わった。

いやーな気分のまま眼を開けると、貞子が横たわっていたのだ。

俺はビックリし過ぎてソファーの近くまで転げてしまった。


スナフキンのクッションにすがり、やっとの思いでベッドを覗くと血だらけの貞子が、いや、暗ブタだ!ブタのように横たわったアイツだ。

そこでやっと目が覚めた。

は〜、たまんねーなぁ。

まだ2時かぁ

眠りを誘う音楽でも聴こう。

それから眠りに着くまで3時間ほどかかってしまった。

強烈だなあ、あのキャラは。また会うんだよな、多分。


翌日の朝は一時間ほどキツかった。

昼頃にはもう眠気もすっかり覚めていたが、俺には気がかりなことがあった。

今日の帰り、おばさん達はカフェに来るだろうか。

いや、おばさん達はいいんだ。


多分もれなく暗ブタも付いて来る。

暗ブタが付いて来る度、俺は悪夢にうなされなければいけないのか?


何か相手を傷つけずに上手く断われる方法はないんだろうか。


そう言えば2番目に騙された女にはよく断られたな。一緒に行きたくてたまんないんだけど、どうしても外せない用ができてしまって…みたいなのが多かったなぁ。


そんなこと俺には言えないし。

まあいいや、いつも通りの俺で行こう。

いつもよるカフェの名前は"ダークブラウン" 

カランコロンの手開きドアを開けるといつものいい薫りに包まれる。


マイスペースも空いている。


ん?いや、誰か隅に座っている。


貞子だ、いや、暗ブタではないか!

どうして?

なぜ、おまえ一人だけがそこに居る?


あー、行きたくないなあ。

別の席に座る訳にもいかないしなあ。

だいたいなんで1人なんだよ。


暗ブタが俺に気付いたようでペコリと頭を下げた。

俺も仕方なく頭を下げて、暗ブタの向かいに座った。


モジモジしてるが、何も言わない。


おまえが俺のテリトリーに侵入して来たんだ、おまえからしゃべるもんだろ!


俺の言葉を待つな、モジモジするな、あー、イライラする。


やっと注文を聞きに来た。


「いつものお願いします。」


「あ、はい!かしこまりました!」


顔馴染みの店員はテンション高めで満面の笑みを浮かべている。

やっと彼女ができたのねって言いたいんだろうが、残念でした。

俺はこんな暗ブタ、タイプじゃないんだ。


ああ、俺は今日も悪夢にうなされるんだろうか?

まあ、とにかく何か話さなきゃな。


「今日はお1人なんですか?鳥居さんご夫婦は来られないんですか?」


暗ブタは蚊の鳴くような声でしゃべりだした。


「いえ、今日6時にこちらのカフェに行きませんか?ってLINEがあったので、ご一緒させてください。って返信入れたんですけど、まだお見えにならないんです。」


「お住まいはこの近くなんですか?もう日の暮れるのが早くなって来たからこの時間だと帰りが心配ではないですか?」


暗ブタは相変わらず俯いたまま、ボソボソと床に向かってしゃべりだした。


「あ、私は大丈夫です。すぐ近くのマンションに住んでいますので…」


語尾が全く聞こえない。

まあどうでもいいや。

カランコロンというドアを開ける音が聞こえたとたん、貞子が、いや、暗ブタが恐ろしいようなスピードで顔を上げた。


「あ、鳥居さんがおいでました!」


救いの神が現れたかのような晴れやかな笑顔で暗ブタがそう言った。

あ、笑うと結構可愛い。

なんでいつもお通夜に来たような顔してるんだろ。

まあ、いいや、いずれにしても俺のタイプではない。

やっと来たおばさんは席に座る前からしゃべっている。


「ごめんなさいね、すっかり遅くなってしまって。

今日はうちの人が晩御飯を作る番だったのをすっかり忘れてて、1人で来なきゃいけないから慌てて電車に乗ったんだけど、20分も遅刻しちゃった。

あ、私もマンデリンお願いします。あらぁ、お2人ともコーヒーがすっかり冷めてるわね。

すみません、マンデリンをあと二つお願いします。」


暗ブタがオロオロしながら焦って言った。


「あ、そんな、大丈夫です。充分美味しいですから、いいんです、本当に」


解ってないな、おばさんだって散々待たせたのに、一人だけ温かいコーヒーを飲む訳にいかないだろう。

俺がフォローしてやるか。


「では、遠慮なく三人で温かいコーヒーをいただきましょう」


おばさんは遅れた20分間を取り戻すかのようにしゃべり続けた。息子さんの思い出話はいくら話しても尽きないようだ。


「あらぁ、もう7時になるのね。本当にあっという間だわ。でも、お二人とお話しできてよかった。またご一緒してくださいね。」


そうか、またがあるのか…

そうだよな、どうしよう。

まあ、帰ってから考えよう。

俺は車、おばさんは電車、暗ブタは徒歩なので、それぞれ店の外で別れた。


そのあと、コンビニで食料を買って家路に着いた。

やっといつもの俺に戻れた気がする。

今日のディナーは鯖の味噌煮とひじきの煮物と茄子の味噌汁だ。

フレグランスオイルをつけてからシャワーを浴びる。

湯上がりにタムダオの香りをひと吹き。

今日一日のニュースを見ながら、アジアンテイストの香りの中で鯖の味噌煮と冷凍しておいた炊きたてご飯をチンして一口ずつ代わりばんこに食べる。

たまにひじきの煮物や茄子の味噌汁を口に運ぶ。

やっぱり晩御飯は和食に限るな。腹持ちはいいし、胃もたれもしない。

さて、明日からの事を考えよう。


おばさんはまだいいとしてもあの暗ブタとあの居心地のいいカフェで一緒に過ごすのはたまんねーからなあ。

暗ブタが来られないような時間帯に変更するか?そうだ、それがいい!

俺が平日行けるのは朝か、夕方だから朝に変更しようか?

朝だと女の人は化粧をしたり、身支度したりで多分来られないだろう。

それに俺も朝ならモーニングセットを食べられる。

家を出る時間が30分ほど早くなるけど、それはそれで気分がいいかもな。しかも40分くらいしか居られないからちょうどいい。

よし、これで行こう。

理由は仕事にしよう。

ちょっと仕事が忙しくなって来て、帰りに寄れないかも知れないので、朝モーニングセットをいただきに来る事にしようと思ってます。鳥居さんと佐藤さんもご一緒にどうですか?


これなら暗ブタが嫌でとは思われないだろう。

うん、完璧だ!これも2人目の女の影響か?いい勉強になったかもな。

よし、今日はぐっすり寝られそうだ。

いつもより1時間ほど早く布団に入ったが、あっという間に眠りについた。


翌朝も少し早めに目が覚めたので、視察がてら "ダークブラウン" にモーニングセットをいただきに行くことにした。

少し寒いが、30分早いだけでこんなに空気が澄んでいるし、街の風景も違って見える。

"ダークブラウン" の駐車場に着いたが、時間が早いせいか結構空いている。

まだ来る人は少ないんだ。

カランコロンのドアを開けると、俺のテリトリーも空いていた。

いつもの店員がやって来た。


「いらっしゃぃせ。おはようございます。モーニングセットはいかがですか?」


お決まりのセリフしか言わないが、コイツは目がものを言っている。


朝来るなんて珍しい。昨日の彼女は一緒じゃないんだ、一晩で嫌われちゃったの?

みたいな顔して横目で覗きこんで来る。


ふん、誠に残念でした。

全くそういう間柄ではございません。

みたいな冷やかな視線で返してやった。


店員はキョトンとした顔でモーニングセットのメニューを手渡してきた。


なんと、モーニングセットが10種類もある。サンドウィッチやパンケーキ、ホットサンドや和食のセットまである。


これはいいなあ、断然気に入ってしまった。 


「ホットサンドのモーニングセットお願いします。」


「かしこまりました。」


コーヒーはもちろんだが、ホットサンドもとても美味しかった。


なんだか新しい小幸せを発見したようで一日いい気分だった、夕方までは…。


仕事を終えて、再び "ダークブラウン" に行った。もちろん、完璧な言い訳を抱えてだが。

カランコロンを押すと、いつものテリトリーに鳥居夫妻と暗ブタがすでに座っていた。

俺が座る席は既に暗ブタの隣しか空いていなかった。


「すみません、お隣に座ってもいいですか?」


「あ、はい、どうぞ。私が先にこちらの席に座ってしまって…」


まるで語尾が聞こえない。床に貞子でもいるのか、ずっと俯いている。

いつもの店員が来た。


「いらっしゃいませ。」


今度は普通の表情だ。


「いつものお願いします。」


課題は早めに済まそう。2番目の女を思い出して自然に、自然に。


「実は仕事が少し忙しくなって来たものですから、これから夕方はなかなか寄れなくなりそうなんです。」


鳥居さん夫婦は少し寂しそうな表情をした。貞子はいや、暗ブタは少し目線を上げてテーブルの脚を見ている。表情はまるで解らない。


「それで明日からは朝8時ころモーニングセットを食べに来ようかなと思っているんですけど、良かったらご一緒しませんか?」


おばさんは急に嬉しそうな表情に変わった。


「いいわね、それ。朝から美味しいコーヒーがいただけて、浩二さんにもお会い出来るなんて。その日一日いい気分で過ごせそう、ねえ、あなた」


「ああ、そうだね。でも、ご迷惑じゃないかなぁ」


おばさんと違って控えめなおじさんだ。


「僕も一人で食べるよりご一緒してもらった方が美味しくいただけますから。

また息子さんの思い出話でも聞かせてください」


俺っていいヤツだなあ。

おばさんは優しそうな笑顔を暗ブタの方に向けてこう言った。


「優さんもご一緒してくださいね」


「あ、いいんですか?実は私も夕方より朝の方が時間が取れるんです。

モーニングセットも楽しみですね」


ええ?そんな!暗ブタなのに朝は苦手じゃないのか!

俺は?俺はどうする?朝から暗ブタに会うのか?そんな!いや、待て。

夕方暗ブタに合うのと、朝会うのとどっちがましだ?

決まってる!朝だ!そうだ!朝だ!そのあと、眠りに付くまでたっぷり気を紛らわせる時間がある。

そうだ、よし、この選択は間違ってなかった。これでいい。


結局明日から4人で朝会う事になったが、暗ブタは2人が一緒でないと来ないだろうから、まあ、暗ブタと2人でお通夜のようにモーニングセットを食べなきゃいけないなんて事はないだろう。



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