チャイムが鳴る
放課後の一件以来、幹人と奈槻は、話す機会が多くなった。
授業の合間、教室移動で慌ただしいクラスの隅で、ノートに何事か書き付けている奈槻。時計の針は次の授業まで10分と教えている。長い足が、机の横で組まれていた。そこに、美術のテキストを抱えた幹人が寄っていく。
「ねぇ、奈槻さん。次の美術なんだけどさ――――」
「――――そんなことよりさー、あたしに勉強教えてほしいんだけど。数学とかもう、さっぱりぴーでさぁ。土曜とか空いてる?」
シャーペンをほっぽり出し、身を乗り出す奈槻。対して幹人は、申し訳なさそうに肩をすくめた。
「あっ、土日はバド部があって……。放課後もほとんど部活だからなぁ」
「ふーん、そっか」
唇をへの字に曲げ、椅子に座り直す奈槻。それはもう、垂れた尻尾を幻視してしまうような落ち込みよう。幹人は申し訳なさに、背中まで丸めてしまう。
「ごめんね、時間合わせられなくて」
「ううん、用事あるならしゃーないっしょ」
「うん……」
…………。
言葉が、止まる。二人とも次に何を話せばいいのか、分からなくなってしまう。
頭を振り、ため息をつく幹人。すごすごと、教室後方へ向かう。その先には、今日提出する美術の課題。学外に提出するレリーフ作品の構想をまとめた、A3サイズのエスキースがクラス全員分。
「あたしも持つよ」
肩口から覗き込み、ここぞとばかりに話しかける奈槻。
「いやいや! 女子に荷物を持たせるわけには! 代わりっちゃなんだけど、オレのテキスト持ってってもらえるかな」
「わかった」
二人分のテキストを後ろ手に抱える奈槻。二人で連れ立って、教室を出る。
それでも、二人は言葉を探していた。いたたまれない沈黙が、二人の間で横たわっていた。気まずいにもかかわらず、どうすることもできない。どうすればいいのか分からない。背筋と言わずお尻と言わず、むずむずしてしまう。
合わない視線。
揃う足並み。
廊下の時計が、休憩も残り5分であることを告げる。
靴音が重なって。
「「あのっ!」」
全く同じタイミングで、二人はお互いに向けて踏み込んでいた。
「あっ、みきとくん、先、いいよ……」
思わぬ近さに挙動不審になりながら、先を譲る奈槻。
幹人は片手で頭を掻き、自嘲気味に口を開いた。足も再び動き出す。
「……ごめんね、実はオレ、高校デビュー勢でさ。こういう女子との会話とか、実は全然慣れてなくて。いろいろ話したいから、ずっとずっと会話を振ろうとしてるんだけど、上手くいったことなんて一度もなくて……」
「ふーん……、それで妙に素直な部分があるんだ」
ふんふん、と頷く奈槻。幹人の目には、それがリア充の、ニセリア充への余裕と映る。
「あ、はは……。芋っぽいとこバレてる……」
漏れ出る幹人の自嘲。奈槻は目を丸くする。
「ぜんぜん悪い意味じゃないよー! あたしはいいと思うよ? 他人に合わせられなくてまごついちゃう、あなたのそういうところ――――」
可愛いと思うなぁ。そんな本音を口にする前に。
幹人がやけになって吐き捨てる。
「――――やっぱ養殖じゃ上手くはいかないんだよなぁ! 高校デビュー自体も日和って失敗しちゃったし。髪の毛なんかいっそ白く染めようと思ってたのに、直前で怖くなって茶色にしてさ。服だって無難なパーカーとか多いし、ホント高校デビューなんてするもんじゃないよ……」
自分で傷を抉っていく。奈槻は思わず微笑んでいた。
「やっぱり、あなたは『あなた』なんだね」
裏表がないゆえに、その言葉はどんな心ない罵倒よりも、幹人の心を抉ってしまう。
「あはは、ズバズバ言うよなぁ。傷つく……」
「えっ?」
「えっ」
予想外の展開に、二人の足が止まる。視線が絡み合う。
「傷つけてたの? あたし」
「まぁ、垢抜けたい僕なんて、お前には無理だとか、元がそれじゃどうしようもないって思われて、仕方ないとは思うけどさ――――」
「――――そんなこと1ミリも思ってない!!」
食いつくように、奈槻。
「あなたの言葉はいつもあなたのものだった。どこかから借りてきたわけでも、自分を大きく見せるために飾ったんでもない、あるがままのあなたから響く、あなたそのものの言葉だった」
目に涙すら浮かべながら、奈槻は言い募る。
「あの教室で、初めてあなたと話した瞬間からあたしは――――」
「――――奈槻さん」
いっそ静かなほど落ち着いた、幹人の声。しかしその呼びかけには、必死な奈槻ですらおもわず言葉を止めてしまうほどの力がこもっていて。顔が上がると、幹人は輝くような笑顔で、しかし細かく震えながら言う。
「これだけは僕から言わせてね。奈槻さんの方から言わせるのは、男として違うと思うから……」
息が詰まる、顔が紅潮する。
「あの夕暮れの教室で、優しげに校庭を見下ろすあなたに一目惚れしました。僕と付き合ってほしい」
優しいあなたを、幸せにするから。
誤解されやすいあなたの心を、誰よりも愛しく感じたから。
これは、僕のわがまま。
「僕の隣で、幸せにしたい」
泣きそうに潤んだ幹人の瞳。力がこもりすぎた指先は白く血の気が引いてしまっている。口を開いて出た、奈槻の言葉は。
「夕日が照らし出したあなたは、真っ白でまぶしかったよ。あなたを見た瞬間に、あなたとなら幸せになれると思ったんだ。あたしは遊んでるように見られることが多いけど、男の子と付き合ったこと、実は一度もないんだよ。……こんな女だけど、あたしを彼女にしてくれますか」
潤み合う瞳。視線が絡まる。
どちらからともなく、クスリと笑みがこぼれた。
「「よろこんで!!」」
チャイムが鳴る。
二人の門出を祝うかのように。
二人の出会いを寿ぐかのように。
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