チャイム
竜堂 酔仙
輝いていた
チャイムが鳴る。秋口の太陽は低く、踊り場の窓から学校の階段を照らし出している。そんな階段を五段飛ばしで駆け上がる、一人の少年。ライトブルーのメッシュシャツ、グレーの半ズボン、明るい茶髪が空中を踊り、爽やかな汗が大気に溶ける。
途端、殴られたような鮮烈さで、一人の女子が視界に飛び込んできた。
毛先を赤く染めたロングヘア、腰に巻かれたカーディガン、軽くまくった袖からはすらりと細い腕が伸び、指先は形のいいあごに添えられている。透明で鮮やか、なおかつ慈愛に満ちた優しげな眼差しは、窓を抜けて遠く校庭に注がれている。彫刻のように綺麗な足が、隣の椅子に預けられていた。
クラスメイト、
「どーしたの、こんな時間に。部活サボって誰かと待ち合わせ?」
綺麗な声で紡がれる痛烈な皮肉。途端、脳裏に日頃の彼女が回帰する。容赦のない毒舌、派手な服装、相手を歯牙にも掛けないような強烈な態度。綺麗系毒舌ギャルとして、彼女は近隣クラスにも名を轟かせる存在なのだ。
「いや、純粋にタオル忘れて。取りに来たんだ」
だというのに、幹人は彼女から目を離すことができない。相手を歯牙にも掛けない眼差しが、先の一瞬を知った後には、誰よりも純粋な少女の瞳に思えて。無垢な瞳に魅せられて、次の瞬間には、思わず話しかけてしまっている。
「奈槻さん、だったよね? なに見てたの?」
「校庭眺めてるー」
奈槻は窓の桟に肘をつき、校庭に視線を戻した。
「……ほう。え、何を見てるの?」
「こーやって眺めてるの好きなんだぁ。ダルそうにランニングしてる野球部員とか、普段と人が変わったようなテニス部のスマッシュとか、そういうの見てると、そこにいるのも生きた人間なんだなぁ~と思えて」
「えっ、そんなところを見てその表情なの?」
思わず口をつく感想。
「? どんな表情?」
「うん、なんか、優しげでー、愛しげでー……、お母さんみたいな表情」
「え、道行く女性全員に母親重ねるタイプのマザコン? 引くわー」
「ちっがう! 普段が派手めの毒舌キャラで通ってるからこそ、逆説的に包容力が限界突破して見えて! 厳つい不良が捨て猫を拾ったら優しげに見えるあれ!」
「えー……」
クスクスと笑いながら、目線だけで幹人を見つめる。
「だってそうでしょー、先生の前でいい子ちゃんしてるときの仕草見たって、なにも伝わってこないよ。走っててダルいなぁとか、ここが頑張りドコロだって踏ん張ったりとか、そういうときにこそ、その人自体が見えるってものじゃん?」
いつの間にか、二人の距離はずいぶん近くなっていた。窓枠にもたれかかり、校庭を眺め下ろす幹人。
走っている野球部の仕草に交じる、面倒くさそうな足の運び。ハンドボール部の全力ダッシュ。ダベっているときとは段違いのキレを見せるテニス部員のスマッシュ。なるほど、こうして見ていると、ほんの些細な行動から、その人の体感、その人が生きている証とも言える無意識程度の感情の揺れが見て取れる。
「すっご、みるところ変えるだけでこんなに違って見えるんだ……」
「そーそー。ムズカシイコトはわかんないけど、この人達も生きてるんだなぁーって感じ、するっしょ!」
「うん、この光景は素敵だ。気付かせてくれてありがと」
二人の視線が絡む。幹人は言う。
「なんか小学生に戻ったみたいに、急にいろんな物が新鮮に見えてきた。こんなわくわく感はホント久しぶり。……奈槻さんは、素敵な人だね」
屈託のない笑み。心からの尊敬と親愛の情、生まれついての優しさが、その目許に滲んでいる。奈槻は思わず目を丸くした。そして天邪鬼な性分ゆえに、次の瞬間には、思わず口から飛び出る言葉に、身を任せている。
「んま、あたしも日頃はそんな難しいこと考えてないけどね~。むかし悩んでたときに、ふと気付いたことがあってさ。それ以来たまにこうしてるのー」
「へぇ~、そうなんだ」
透明だった瞳が揺らぐ。口を開き掛けて、幹人は言葉が見付からず、そっと閉じた。口にしたのは、詮索とは別の言葉。
「オレも悩みができたらやってみようかな!」
その言葉に、奈槻が柔らかに微笑んだ。その笑顔を見て、学年でも有数の美少女で通っている奈槻と二人きりである事実に、今更のように思い至る幹人。
顔が茹だっていく。
それでも、このままこの場所を離れるのはあまりに惜しかった。こんな奇跡のような瞬間なんて、二度とめぐってこないに違いない。
ゆえに。
「そっ、そのときは隣で話聞いてよ!」
なんとかそれだけ絞り出す。それで限界。耳の先まで血を上らせながら、踵を返す。タオルのことなど、とうの昔に頭から蒸発している。
逃げるように、教室から走り去っていった。
そんな幹人を見る奈槻の顔も、自分が思っているよりも強く赤らんでいる。
「びっくりしたー……」
掌で両頬を挟みながら、奈槻。思い返すのは、真っ直ぐで嘘偽りのない、幹人の表情。話を合わせる風でもないのに、珍しく言葉が弾んでしまって。言う必要のないことまで喋ろうとしていた。
「こんな素直な人となら、きっと幸せに過ごせるんだろうなぁ」
脳裏に浮かぶいくつもの妄想。お互いに自然体で、素直に幸せを見つめられて。適度に自分を褒めてくれて、急に男らしい側面がちらついたりして。
「ヤバ、ちょっといいかも……。みきとくん、か……」
長い指が、染まった頬と一緒に唇を隠す。赤い夕日が、教室に差し込んでいた。
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