名前に負けるな

髙園アキラ

名前に負けるな

今日の山之辺交差点は穏やかだわ。

いつもより15分も早く家を出たし、自転車だってこの週末に整備に持っていったから快調そのもの。ペダルもくるくる回ってる。


小柴愛与こしば まなよは信号待ちをしながら、月曜日の朝の清々しい空気に浸っていた。しかし、ふと金曜日のことを思い出すと、またもや怒りがこみ上げてきた。

アラガキの奴め……。


アラガキ……新垣幸太あらがきこうたは愛与が通う高校の生活委員会担当教諭だった。朝、生徒の登校が始まる時間から生活委員とともに校門脇に立ち、生徒の髪型や服装に目を光らせる。

やがて、定刻を迎えると校門はおもむろに閉められる。生活委員の生徒が自分たちの教室へと戻ると、あとはアラガキの独壇場だ。

固く閉ざされた門の前に仁王立ちとなり、腕組みをし、絶望に打ちひしがれた遅刻生徒たちを待ち受ける。そして、現れた生徒を捕まえては、普段の生活態度やら身だしなみなど、細かいことをあげつらってはネチネチと叱責するのだ。

 

こんな教師、本来なら嫌われて然るべきなのにと愛与は思うのだが、何故か生徒たちには不思議と人気があった。


そりゃまあ若いし、長身で映画主演俳優クラスのイケメンだけどさ…。

愛与は心の中で吐き捨てるように呟いた。

見た目の威力とは恐ろしいものである。あんなにねじ曲がった性格なのに、女子生徒たちからはアイドル扱い、男子生徒たちからは頼れるアニキのように慕われている。


みんな、見た目に騙されている。私はイケメンは嫌いだ。

金曜日だってあんなことを言うなんて、人間性を疑う……。


*  *  *


愛与は金曜日の朝も、この交差点で信号が変わるのを待っていた。

家から学校までは自転車でずっと登り。校名は“丘の上高等学校”だったが、どう見たって“山の上”でしょと愛与は常々思っている。

この交差点は家と学校の中間地点。言わば五合目なのだ。電車の駅は一合目あたり。愛与の家は駅に近いエリアにあった。

両親はちょっと偏差値の高いこの学校に受かった時は喜んでくれたが、残念ながら電動アシスト自転車を買ってくれるほどではなかったようだ。

まあ、おかげで足は日に日に逞しくなっていたが、曲がりなりにも女子高生。果たして喜んで良いものなのかと1日の終わりに自分の足をマッサージしては思うのだった。


それはさておき、金曜日はこの交差点の横断歩道の向こう側でキョロキョロと辺りを見回しては佇むおじいさんに出くわした。誰が見たって困っている様子。

駅から学校までの斜面は一面住宅地として造成されている。駅へ向かう人もそれなりにいたのだが、誰も気に留める様子はなかった。


愛与は昔から困っている人を放っておけない性格だった。

親からもらった「愛を与える」という意味の名前も気に入っていて、名前負けは絶対にしたくなかった。そして、何より人の力になれるのが嬉しかったのだ。時折、お節介を焼きすぎてうるさがられることもあったが、どうにも止められない性分というやつである。


「どうかしましたか?」

愛与は横断歩道を渡りきると、すぐさまおじいさんに声をかけた。

おじいさんは、不安げな顔を上げるとメモを見せてきた。

「いや、この住所のお宅に行きたいんですが、なかなか見つけられませんで……」

「わかりました。すぐ探しますね」

愛与は自分のスマートフォンを取り出そうとして、はたと気付いた。

先日、これまた人助けの代償にスマホの画面を割ってしまい、今は修理に出していたのだ。スマホさえあれば、住所を打ち込んでアプリにナビしてもらえば一件落着なのだが……。

愛与が「すぐ探します」と言ったものだから、おじいさんは期待に満ちた目でこちらを見ている。とても前言を撤回できるような雰囲気ではなかった。

仕方なく電柱の住所表示を頼りに手探りで探し始めることになったのだが、おじいさんが抱えていたお土産のジャガイモの入ったダンボールを自分の自転車にくくりつけるというオマケまで付いた。家探しにたっぷりと30分の時間を要し、校門前に仁王立ちのアラガキと相まみえることになったのだった。


「ジャガイモって重たいんですね……」

愛与が開口一番そう言ったものだから、アラガキはすべてを察したように返した。

「小柴、またお前どこかでお節介を焼いてたな。人様のことはもっとデキる人に任せて、お前はお前自身を助けるべきだろう?」

「デキる人って……だって、みんな見て見ぬフリをしてたんですよ!?」

「お前、自分の名前に酔ってるんじゃないのか? まだまだ人に愛を与えられるほど一人前じゃないんだよ」

「そこまで言う? ちょっとヒドくないですか!?」

教師VS生徒の仁義なきバトルに発展しそうになった瞬間、1時間目の開始を告げるチャイムが鳴った。そのため、その場はうやむやになってしまったのだった。


*  *  *


金曜日の一件以来、モヤモヤは続いていたが、学校に遅刻しないというのは明確なルールだし、愛与は自分のために守ろうと今日は早く家を出たのだった。


学校までは、あと半分の距離。今日は余裕で間に合う。

今日こそアラガキを睨み付けながら門をくぐってやる……。


横断歩道の信号が青に変わろうする直前、轟音をともない黒いスポーツカーが黄色信号の交差点に突っ込んでくるのが目に入った。

信号を渡ろうと待ち構えていた人たちは全員警戒して足を止めた。ただ一人、愛与の隣にいたおばあさんを除いては。おばあさんは車が通り過ぎる勢いに驚き、尻もちをついてしまった。

「大丈夫ですか!?」

愛与は慌てて押していた自転車をそばに立てかけ、おばあさんを助け起こした。

駅へ向かう、サラリーマンと思われる男性も手を貸してくれた。

「あいたたた。……ごめんなさい。私が不注意だったわ」

おばあさんは、恥ずかしそうに笑った。


違う! あのドライバーの運転が乱暴なのだ!

こんな人の多い時間帯にあんな運転してたら、事故を起こしかねないわ。

注意してやるっ!


愛与は自分の自転車を歩道脇に寄せてカギをかけてダッシュした。

この辺りは斜面が急なため、道路はつづら折りになっている。繁華街への最短ルートは人しか通れない階段の道なのだ。


次の交差点で捕まえてやる!

その前にを手に入れなければ……。


階段をどんどん走りながら愛与は思った。

確かに学校に遅刻しないことは大切だ。

でも、自分の信念を曲げてまで守るルールだとも思えない。

困っている人を助けたり、世の中のためになるなら、通知表の遅刻欄の数字が増えることぐらいなんてことないわ。

愛与は坂の途中の無人販売所に立ち寄ってを買った。


交差点に到達した愛与は車が現れるであろう方向をキッと睨んで待ち構えた。

来た! さっきの黒いスポーツカーだ。

愛与は買ったばかりのを握りしめて車が近づくのを待った。

あと50メートル……

40メートル……

30メートル……

20メートル。今だ!

「止まりなさーい!!」

愛与は大声で叫び、力一杯持っていた玉子を車に投げつけた。


玉子はフロントガラスで砕け散り、黄身と白身がべっとりと表面にへばりついた。

そして、車は止まった。

「見たか、烏骨鶏の玉子6個1200円の威力!」

愛与は誇らしげに叫んだが、そうではない。車が止まったのは赤信号だったからだ。


我ながらよく追いついたものだわ。

お父さんお母さん、電動アシスト自転車を買ってくれなくてありがとう。

心の中でよく分からない感謝をしつつ、愛与は言葉を続けた。

「ちょっと出てきなさいよ! 言いたいことがあるんだから!」

興奮状態の愛与はそう叫びながら、残っている玉子5個を次々にフロントガラスに投げつけた。

少しの沈黙が場に流れた後、助手席の窓が静かな音を立てて下がった。


どんなヤツが乗っているのだろう。

いよいよ対面の時となって、急に緊張がこみ上げてきた。

怖いおじさんだったらどうしよう。

そもそも、玉子なんて投げつけて良かったのかしら……。

しかし、後悔してももう遅い。愛与は恐る恐る助手席の窓から車内を覗き込んだ。


見えたのは、小太り……いや、ふくよかな女性が苦しそうにハンドルにもたれかかっている姿だった。額からは汗が流れ、どうにも様子がおかしい。

「どうかしたんですか?」

「……」

「あの……?」

「赤ちゃん……」

「えっ?」

「産まれる」

「えーーっ!?」


こんな時に限って、周囲には誰もいない。

スマホも修理に出していて手元にない。

近くの民家に駆け込んで助けを要請したが、大声でまくし立てる女子高生を怪しんで誰も応じてくれない。

ようやく3軒目の住人が、愛与の呼びかけに応えて救急車を呼んでくれた。


愛与は救急車が来るまでの間、妊婦さんに寄り添って身体をさすったりしていた。

そして、救急車が来ても手をギュッと握ったまま離さず一緒に乗り込んだ。


病院に着くと、愛与はどうしたら良いのか分からぬまま、一人待合室に取り残されてしまった。分娩室に入りましょうか?と申し出たものの、やんわりと断られてしまったのだ。

この状況で一人帰る気などさらさら無かったが、ここがどこの病院かも分からない。救急車で15分程度走ったはずだが……。どうやったら自転車を置いた場所まで戻れるだろうと少し心配してみたりした。ただ、今考えても仕方がないので取りあえず窓際の椅子に腰掛け、外を眺めながら一息ついた。


しばらくして、愛与は待合室の椅子で眠りこけているところを看護師さんに揺り起こされた。

「無事に産まれましたよ」

「そうですか。良かったです!」

寝ぼけながらも、愛与は笑顔で応えた。

「お父様ももうすぐ到着されますからね。先にお母様と赤ちゃんに会ってくださいね」


どうやら娘だと勘違いされているようだった。

自分の母親よりは若いように思えたが、あの妊婦さんは一体いくつなんだろう。

娘でないことはそのうち分かるだろうし説明するのも面倒だったので、うながされるまま看護師さんについて行った。


赤ちゃんを産み落とした元妊婦さんは個室に入っていて、愛与を見るなり笑顔を向けてきた。

「あなたがいてくれたから、とても安心できたわ。ありがとう。見てやって。女の子なの」

お母さんの顔の横で、白く柔らかそうなタオルにくるまれた赤ちゃんはスヤスヤと眠っていた。

「ちっちゃーい」

愛与は感嘆の声を上げた。

何をしたという訳ではないが……というより玉子を投げつけてむしろ病院行きを妨害してしまったが、新しい命が誕生するという素敵な瞬間に立ち会えたことが嬉しかった。

「自分で運転して病院まで行けると思ったんだけどね。途中で痛みがどんどん強くなって焦ってしまって。ごめんなさいね……」

どうやら、交通違反ギリギリの運転をしていた自覚はあるようだ。

まあ、お母さんも赤ちゃんも周囲の人も無事でひとまず良かった。


その時、慌てた様子の父親が病室へと飛び込んできた。

「遅くなりました!」

「あっ、コウちゃん!」

途端に母親の顔がパッと明るくなった。

対照的に愛与には緊張が走る。この声には聞き覚えがある……。

振り向くなり、お互いに叫んだ。

「アラガキ!」

「小柴!」

よく見るとベッドの上の名札に“新垣沙知絵あらがきさちえ”と書いてある。

「やっぱり、丘の上高校の生徒さんよね。そうじゃないかと」


沙知絵はバツが悪そうな二人を尻目に、自分が10才も年上の姉さん女房であることや、自分も現役教師でアラガキが新任だったころに指導教諭を努めていたことなどを聞かせてくれた。

その間、アラガキはベッドの横に座り込み、生まれたばかりの我が子を間近で愛しそうに眺めていた。目尻はゆるみっぱなしだ。

「先生もそんな顔できるんですね」

愛与にしてみれば金曜日の一件から、嫌味のひとつも言ってやりたい心境だったのだ。アラガキの表情がムッとしたのを見て少し気が晴れた。

沙知絵は横でくすりと笑った。

「コウちゃんも、こういうイイ生徒さんを育てるようになったのね」

「そういう言い方やめろよな……」

アラガキはなんとも身の置き場がなさそうな感じである。

愛与はここがチャンスとばかりにたたみ掛けた。

「はい。いつも新垣先生からは、何を置いても人助けするように言われてますから。遅刻とか気にしてたら人助けなんてできませんよね?」

「そうよね。そういう気持ちの生徒さんがいたから、私も今日助けてもらえたわ。本当にありがとう」

どうにも居心地が悪くなったようで、アラガキは言った。

「小柴、そろそろ学校に戻るぞ。自転車のところまで送って行くから、俺の車に乗っていけ」

沙知絵は最後まで感謝の言葉を口にしていたが、愛与は笑顔で挨拶して病室を後にした。


アラガキと愛与は病院の駐車場へと歩き、止めてあった車に乗り込んだ。

すると、アラガキがふぅと溜息をついてから言った。

「今日はお節介のイメージが変わったよ」

「なんですか、その微妙な言い回しは?」

「いや、その……なんだ。お前に助けられた。ありがとう」

「いえいえ、どういたしまして」

あのアラガキの口からお礼の言葉を聞けてとても満足な愛与だったが、ふとあることに気付いて口を開いた。

「この車って軽自動車ですよね?」

「ああ。俺の車は点検に出していてな。今日は嫁さんの車で出勤したんだ」

「ひょっとして、先生の車って黒のスポーツカーとか……?」

「そうだ。嫁さんは点検から戻って来たオレの車で病院に向かったらしいな。さっきレッカー車に回収してもらったよ」

「そ、それで?」

「なんでも、フロントガラスに玉子が大量に投げつけられていたとか。まったく、ひどいことするヤツがいたもんだ……」

いまいましげな顔で車のエンジンをかけるアラガキ。

その横で愛与は、今日のところは玉子のことを黙っていようと思ったのだった。


【完】



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