偽称の虚言者 ー嘘を吐(は)く正直者ー
ハギヅキ ヱリカ
嘘を吐く正直者
プロローグ
【プロローグ】
「確率は6分の2か。命を張るには
と老人は言い、銃のシリンダーを回して、自分の右側に立つ男に銃口を向ける。
「さてどうなるか、これも賭けだ」
銃を向けられた男はがたがたと震え、ぎゅっと目を
老人の眼がゆらりと揺らめく。次の瞬間、老人は
「……ふむ。空砲か。私は運がいい部下を持ったようだ」
弾は出ず、カチ、という音だけが部屋に響いた。銃口を向けられていた男はどっと汗を吹き出し、その場に膝から崩れ落ちた。
「次はそっちだ」
老人は銃のシリンダーを
「弾は三発だ。次もその体に穴が
そしてそれを閉じると、テーブルの上に放り投げる。
向かいに座る男はそれを手に取り、慣れた手つきでシリンダーを
「確率は6分の3……か……」
そう言うと男は、自分の左腕の上腕あたりに銃口を押しつけ、一つ息を吐く。
「まだ死ぬなよ。出血で死ぬなど、そんな終わりは認めんぞ」
老人はにやりと笑う。そしてまた、その眼がゆらりと揺らめいた。
男はぐっと引き金を引く。
男は激痛に顔を歪ませながら、押しつけていた銃口を離す。すぐに小さな赤い花が開くように液体が溢れ出し、着ている上着を赤く濡らして、ソファと床に赤いしみを作っていく。
男の腕は、糸が切れた人形のようにぱたりと重力に負け、それきりぴくりともしなくなった。
「ふっふっふ。三度連続でアタリとは。運がよいな。確率に
と、向かいに座る老人は笑った。
「……ほら、次はそっちの番だよ」
痛みと出血で顔に汗の粒を浮かばせながら、男は右手にある銃をテーブルの上に投げる。
男がいるのは、世界最大の裏カジノの、VIPルームのさらに先。限られた者しか通されない部屋である。
男はここで、目の前に座る老人と、とある賭けを行っていた。
「確率は6分の4。ふふふ。四人の
言いながら、老人は同じように銃のシリンダーを開け、
銃には四発の弾が
「……え? ミスター・ウィルソン……?」
再び銃口を向けられた部下の男は、信じられないという顔で老人を見つめ返している。
「果たして私の部下は、三度目も生き延びられるか、それとも死体と成り果てるか。それも賭け。我々の
「ミスター・ウィルソン……い、いや、ボス、待ってくれ、冗談だろう……⁉」
部下の男は、両手を上に上げて必死に叫ぶ。
「冗談? 冗談だと?
老人は言い、部下の顔から、さあっと血の気が引いていく。
「やれやれ、
「ま、待ってくれ! 待っ――」
部下の最後の叫びは、銃声によってかき消された。射出された弾丸は見事男の眉間を貫き、脳を抉って絶命させた。
死体は
「確率も奇跡というものも、
と、老人は死体に向けてそう付け加える。
「ほら、お前の番だぞ」
そしてまた同じようにシリンダーを開け、弾丸を二発装填すると、それをテーブルの上に放り投げる。
部屋の中にいる誰も、死体が一つ生み出されたことにも、部屋に充満する硝煙と血の匂いに顔をしかめることもしない。それだけで、彼らが普段身を置いている環境が
「聞こえなかったのか? 順に、自分の手足と頭を撃つとぬかしたのはお前だ。耳はまだ残っているだろう?」
と、老人がにやつきながら言う。
「……言わなくても聞こえてるよ。僕、あなたと違って若いからねえ」
男は息を整えながら顔を上げ、向かいに座る老人を改めて見つめる。
老人の年のころは六十を超え、七十というところに見える。品のいいスーツで固めた
この老人は、ここ、裏カジノ場を取り締まる人物であり、世界中のロシア系犯罪組織をまとめる
男は次に、目だけを動かして、自分が今いるこの部屋を見回す。
この客間は、ざっと見たところ十メートル
それ以外の物といえば、高そうな装飾がほどこされたテーブルとソファのみである。
この部屋に充満する血と
「……
と、こめかみを押さえながら、男は言った。
「おや、何か言ったか?」
老人は耳の横に手を当てて聞き返す。
「いいや、何も言ってないよ。言ったって聞こえないでしょ? あなたって、耳がちょっと遠いみたいだし」
男がそう言うと、老人は
男は目を動かして、この部屋にいる人間たちを改めて数える。
部屋にいるのは、自分を含めて六人。
目の前に座る老人と、その後ろに男たちが二人と、死体が一つ。それともう一人、部屋の出入り口で静かに
「……ぐ」
頭の奥がズキリと
「くだらん時間稼ぎに付き合う気はないぞ。もっと長く楽しませろ」
と、老人は言う。
「……時間稼ぎ、ねえ……。そんなことをするつもりは、ないよ。そんなことしなくてもさ、僕、あなたに勝てるし」
男は黒い
「口だけはいいようだな。この私にそこまで言える奴は、今までいなかったぞ。楽しいお
「ふうん。それぐらい、あなたとは話したくないってことじゃないのかな?」
男は言いながら、テーブルの上に置かれた銃に手を伸ばす。六連式のシリンダーがついたリボルバー銃だ。装弾数六発に対し五発の弾が込められている以外は、そこらで買えるものと変わらない。
「確率は、6分の5か……」
男はシリンダーを弾いて回す。その行動に一切の
「そんなに見なくても、イカサマなんかしないよ。嘘はつくけどね」
老人が言う。
「『
向けられる悪意がいっそう強くなる。頭痛が激しくなり、吐き気に変わっていくのを男は感じる。
それでも男は、
「……は」
と、笑いを漏らした。
「あ、はは、は」
と笑った瞬間、男は激しく咳き込んだ。じわり、と腹のあたりに血が滲む。先程ので三発目の弾を食らっていた。右足の
「あは、は、はは、はは」
体から大量の血を流しているにもかかわらず、男は笑っていた。
「……そうだよ。僕はウソツキだ。ただの、ウソツキだよ。それは、嘘じゃない」
そして呟くように言うと、井戸の底のように黒い
「……でも、僕はね、嘘は言ってないんだよ。最初から、一つもね。僕が最初に……『僕は嘘つきだ』って言った時から、僕は嘘なんかついてないんだなあ。
ああ、これ、ホントだよ?」
そう言って
「……
「それはよく言われるよ。自分でも矛盾してるなあって思う。でもそれって、僕らにとっては
口元についた血を袖で拭いながら、男は老人に笑いかける。
「ふっふっふ。その通りだ」
と老人も笑った。
「ではなぜ、こんな“賭け”をする? 『虚言者』よ」
「そりゃもちろん、死にたくないからだよ」
と男は即答した。
「弾が増えていく銃を
「その通りだ。分かっているではないか」
老人は楽しそうに
「ならば見せてみろ。ただの嘘が『確率』にどう勝つのかを」
「いいよ。じゃあちゃんと見て、僕の言葉を聞いててね」
男は言いながら、ゆっくりと自分のこめかみに銃口を持っていく。
「僕は死ぬのが怖いよ。これはホントウ。それと、僕は嘘つきで有名だけど、生きるためにしか嘘は言わない。これも、嘘じゃない」
男は笑う。血と硝煙の中で、悪意に満ちたこの賭けの中で。
「それともう一つ。本当のことを言ってあげよう。
ここに来て、僕は、一つしか嘘はつかないつもりだったよ」
何が面白いのか、男の顔から薄い笑みは消えない。
「それでその嘘は、勝つ寸前までとっておこうって思ってたよ。もちろんこれも、嘘じゃない」
自分のこめかみに銃口を押し当てて、男は言う。生存確率は6分の1。誰が見ても自殺行為でしかない数字だ。
それなのに男は笑みを浮かべ、『嘘』を口にしている。
「……ということは、僕はまだ、嘘はついてないってことになるんだけど。それは、次で分かるよね」
そして、男は、
「まあ見ててよ。僕は本当に嘘つきで、誰も信じられないような勝ち方をするからさ」
あっけなく、かちりと引き金を引いた。
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