第279話 いつもと違う 4


 進路というデリケートな話題で一時はしんみりしてしまった俺たちだったが、その後はなんとか持ち直し、その後は和やかに、しかし、集中するところはしっかりと集中してメリハリのある勉強時間を過ごした。


 俺含めて全員の意識が少しずつ変わっているのか、それまでよりもずっと有意義な時間だったように思う。天海さんたちが皆頑張ったおかげで、俺と海も自分たちの勉強をすることが出来たし、そういう意味では大きな進歩だった。


「ん~……っ、あれ、集中してるうちに、もうこんな時間……親もそろそろ仕事から帰ってくるから、私も戻らないと。夕ちん、途中まで一緒に帰ろ」


「うん。あ、よければ望君もどう?」


「え? あ、えっと……う、うん。じゃあ、そうさせてもらうかな。女子二人じゃ夜道も危ないだろうし」


「私は今のアンタのほうがよっぽどキケンな気するんですケド」


「あ? なんか言ったか新田」


「も、もう二人とも喧嘩しないの……ごめんね、真樹君、遅くまでお邪魔しちゃって」


「いや、このぐらいなら全然、大丈夫だから」


 リビングのテレビ台に置いてある時計を見ると、すでに時間は夜の8時を迎えようかというところだ。時々お菓子はつまんでいたので、それほど空腹ではないけれど、夕ご飯はしっかりと食べなければ。


「じゃ、途中まで全員で帰ろっか。真樹はどうする?」


「なら、俺も出るよ。この時間だから、海のことは送っていくつもりだったし」


 ということで、結局全員で家を出ることに。週末と違って、今日は特に送り迎えをする必要はないけれど、このまま一人でぽつんと残されるのもなんだか寂しい。


 今日はあともう少しだけ、この五人で一緒にいたかった。


 全員で勉強会の片付けをして自宅マンションを出ると、冷たい風が俺たちの髪を撫でる。日中はまだまだ半袖が必要なこともあるけれど、10月ともなれば、さすがにこの時間は過ごしやすくなってくる。制服の衣替えも完全に終わり、ブレザーを羽織っていないとさすがに肌寒い。


「海、ここらへん暗いから、足元気を付けて」


「うん。……えへへ」


 俺の差し出した手を見て、海が嬉しそうに指を絡ませてくる。海と友達になってから1年が経とうとしているけれど、変わらず海とこうして繋がることができるのは嬉しく、幸せだ。


「おいこらそこのバカップル~、まだ私たちがいるんだから、イチャつくのは二人きりになってからにしとけ~」


「……お前ら、よくそんなに出来立てほやほやの状態を維持できるもんだな。逆にもう関心するよ、俺は」


「「………」」


 新田さんと望からさっそくのツッコミが入るけれど、だからといって俺たち二人が離れることはなく、むしろ、よりがっちりと手を握り合って、体をぴったりと寄せ合う。


 始めのうちは恥ずかしさを覚えることもあったけれど、今となっては逆に仲の良さを見せつけてしまえと、ある意味開き直ってさえいる。


 とはいえ、あくまで天海さんたちの前では、だが。さすがに不特定多数の前で同じようにするほど、周りが見えていないわけでもない。


「ふふっ、こうして見てると、真樹君と海のことがすごく羨ましいかも。あ~あ、私も、二人みたいな運命的な出会いとかしてみたいな」


「気持ちもわかるけど、その前にまずは中間テストをどうにかやっつけないとね。夕、今日の勉強会、あんまり身に入ってなかったでしょ」


「うぐっ……」


 海に言われて、体をびくりと硬直させた天海さんは苦い顔を浮かべつつ、俺たちから視線を逸らした。


 どうやら、図星だったようで。


「海、そうだったの? 今日は俺がメインで天海さんのことは教えてたけど、特にそんな感じはしなかったような……」


「真樹はまだまだ夕との付き合いは浅いからね。……ねえ夕、今日、大分無理して真樹の話聞いてたでしょ?」


「……あはは、やっぱり海には敵わないや」


 諦めたように肩を落として、天海さんは苦笑しつつ俯いた。


 今日の天海さんは、いたって真剣に参考書に向き合っていた。いつものように途中で勉強に飽きてペンを器用にくるくる回し始めることもせず、また、途中でノートを枕にして机に突っ伏すことなく、俺の助言にしっかりと耳を傾けつつペンをしきりに走らせていた。


 だが、親友の海には、そんな彼女からまったく違う雰囲気を感じ取っていたようで。


「夕はね、ムラっ気があるタイプなの。運動とか遊びとか、あとはたまに勉強もだけど、集中する時は時間を忘れて没頭できるけど、パワーが切れると途端に力が抜けて、何をするにも身に入らなくなる感じ、って言ったらいいのかな。扱いは難しいけど、逆にきちんと操縦してあげれば、想像以上に成果を上げることが出来るというか。……高校受験の時はそんな感じだったんでしょ?」


「うん。あの時はお父さんとお母さんがしっかり管理してくれてたから。勉強するときはみっちりやって、逆に休む時は何をしてもいいって……だから、勉強はきつかったけど、意外とのびのびやれて、試験でもすごく調子が良くて」


 そういえば、天海さんがウチの高校の受験を決意したのは、海が別の学校へ進学すると聞いた、受験シーズンの終盤だったことを思い出す。


 本来勉強が苦手な天海さんではあるけれど、やる時はやれる人であることは、これまでの話を聞いてわかっている。


 勉強の方法は人それぞれだ。一日のうちのほとんどを机にかじりついて追い込む人もいれば、メリハリをつけて効率よく、要領よく必要な知識や応用力を見つける人も。


 そして、天海さんは後者のほうになるのだろう。実際、これまでの勉強会では『勉強:お喋り=1:1(いや、1:2ぐらいか)』の割合だったけれど、それでも定期テストでは少しずつ成績を伸ばしていたのだ。


 もちろん海が逐一見ていたこともあるだろうが、サボっているようで、最低限、天海さんもやるべきことはきちんとやっていたのだ。


 しかし、今日に限っては、無理に俺たちにペースを合わせて、気を遣っていたと。


「えっと……私もね、最近は真面目に頑張ってろうって思ってるんだよ? 進学するんなら今のままじゃダメだからって、授業中はしっかり先生の話を聞いて、板書もとって、わからないところがあれば、海とか真樹君、あとは渚ちゃんとか他の友達にも助けてもらって。……でも、そうやっていくら頑張っても、次の日にはほとんど忘れちゃって」


「つまり、成長をあまり実感できない……みたいな」


「うん。真樹君の言う通り、そんな感じ、かな。だと思う」


 勉強をしていれば誰しも壁にぶつかることはあるけれど、それはあくまである程度の結果を残した人が直面するもので、天海さんのような、まだ基礎学力が固まっていない人が陥るケースは珍しい気がする。


 先程の皆で少し話したけれど、進路については天海さんもそれなりに迷いがあるようだから、そういったことが邪魔をしているのだろうか。


 ……もしくは、それとはまったく別の問題か。


「なるほどね。夕、焦る気持ちはわかるけど、今はとにかく出来ることを一つずつやっていこ。もし今回の試験で成績が振るわなくても、また次、それがダメならそのまた次で結果を出せばいいんだから。ね、真樹?」


「うん、俺も海の言う通りだと思う。学校の定期テストなんて、最悪、赤点さえ取らなければ卒業は出来るわけだから。どうってことないよ……多分」


「真樹、そこはほら、しっかり言い切って安心させてあげないと』


「……いや、でも多少は気を引き締めるのも大事かなと思いまして」


 ともかく、仮に今現在の状況がダメダメだったとしても、未来はどうなるかわからない。ここからきっかけを掴んで壁を越えて急成長する話なんて、珍しい話でもなんでもない。


 特に、勉強に関しては伸びしろしかない天海さんに関しては。もし、高校卒業時、彼女が俺や海を差し置いて難関大学に合格しましたとなっても、俺はなんら不思議には思わない。


 俺や海が知っている『天海夕』という女の子は、そんな可能性をいくらでも秘めた存在なのだ。


「……ありがとね、二人とも。そっか、そうだよね。三者面談前だからって、皆が焦ってるのについ同調しちゃったけど、私には私のペースがあるもんね。人は人、自分は自分っ。『頑張っていい点とらなきゃ……』とか余計なことは考えず、今まで通り赤点を回避することだけに集中しないと。……それでいいんだよね、海?」


「そ。今回は全教科赤点回避、次にクラス平均、学年平均って感じで少しずつハードルを上げていけばいいんだから。大丈夫だよ、夕。全然、まだ時間はたっぷり残ってるから」


「海……うん、ありがと」


 そこでようやく、それまで強張っていた天海さんの表情がすっと和らいでいく。


 顔を上げ、俺たち二人を見つめる瞳はわずかに潤んでいるけれど、それについては心配することはない。


「えへへっ、二人の迷惑になるから言うべきか悩んでたけど、聞いてもらったおかげで大分気持ちが楽になったかも。……そう思ったら、なんだか急にお腹が空いてきちゃった。ねえ二人とも、ちょっとだけ帰りが遅くなっちゃうけど、コンビニに寄って肉まんでも食べない?」


「え? まだ食べるの? まあ、夕がそう言うなら私は付き合ってもいいけど……真樹、どうする?」


「俺も構わないよ。ちょうど卵と牛乳きらしてたところだから、ついでに買い物しようかなって思ってたし」


「――お? なになに? 夕ちんたちコンビニ寄るん? んじゃ、せっかくだし私も一緒しよっかな。関、そういうわけだから、今日はお疲れさん。もう帰っていいよ」


「さらりと俺を除け者にすんじゃねえよ。真樹、俺も行くから」


「ふふ、わかってるよちゃんと。……それじゃ、皆で行こうか」


 俺の言葉に、他の四人が微笑みながら頷く。


 ずっと一人で殻の中に閉じこもっていたあの時から、一年。俺の周りには、こんなにもいい人たちがいる。


 人と関わることで、それによる悩みや考えごとは増えた。精神的に、ものすごく波の激しい時間だったけれど、俺の記憶に残っているのは楽しかったこと、嬉しかったことが圧倒的に多い。


 これから先も、きっと似たような悩みや問題がついて回るだろうと思う。辛いことや悲しいことも、もしかしたら待ち受けてるかも。


(……でも、俺たち五人が一緒なら、きっと――)


 皆で一つにまとまって秋の涼しい夜道を歩きながら、俺は一人、そんなことをぼんやりと考えていた。

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