第278話 いつもと違う 3


 少し長めのHRを終えた海と合流した俺たちは、いつもの勉強会会場(兼たまり場)となっている俺の自宅へ。


 帰りの途中、近くのコンビニに寄って、勉強中につまむお菓子や飲み物などをカゴいっぱいに放り込む。家にも買い置きしてる分はあるけれど、それだけだとすぐになくなってしまう。もちろん、お金は5人で出し合う。


「――ねえ、真樹」


「……うん」


「私が来る前に、何があったかとかって、訊いてもいい?」


「えっとですね――」


 コンビニで買い出しを済ませ、で前原家の自宅マンションへと向かう最中、俺の隣にぴったりとくっついている海に、こっそりと説明する。


 本来、今日の勉強会は四人でやるはずだった。俺、海、望、そして新田さんの計四人。いつもは天海さんも一緒なのだけれど、珍しく隼人さんに教えてもらうため、残念ながら今回は不参加――。


 ……本来は、そのはずだったのだけれど。


「むむむ……」


「夕ちん、もうわかったから、いい加減離れてくれない? あんまりくっつかれると歩きにくいんですケド」


「だ、だめっ。ニナちのことは、私がちゃんと監視しておきますから」


 海の目線の先にいるのは、天海さんと新田さんの、未だ喧嘩中の二人。


 仲良く二人寄り添って歩いており、ぱっと見は仲の良い女子高生ペアに見えなくもないけれど、実際のところは、天海さんが新田さんの制服をがっちりと掴んで、自由に行動させないよう監視しているような状態だった。


 そう。今回の勉強会には、結局天海さんも参加することになったのだ。


 原因は、明らかに先程の中庭でのやり取りだろう。新田さんがやけに俺に対してスキンシップを取ってくるのを見かねた天海さんが、


『――私も参加して、ニナちが真樹君や海に余計なことをしないよう見張っておかないと!』


 と、まんまと新田さんに煽られる形で、そのまま俺たちについてくることに。


 そうなると隼人さんとの約束を反故にする形になるが、その点については、俺たちの勉強会が終わった後の夜の時間帯に変更することで了承をもらったらしい。


 ……なので、勉強会を主催する立場の俺も、天海さんの参加を断ることが出来ず。


「……なるほどね。新奈のヤツ、私の大事な彼氏に粉をかけるなんて、良い度胸してるじゃん。真樹、今日の勉強会はビシバシやってくから、そのつもりで。いつものように甘やかすのは厳禁だから」


「り、了解です」


 普段から俺たちのことを見ている新田さんなら、海がこうなることは容易に想像できそうなものだけれど……そうまでして点数の見栄えを良くしたいのだろうか。


 やはり、どう考えても、新田さんらしくない。


「なあ、二人とも。天海さんと新田のヤツ、本当に大丈夫なのか? 貴重な勉強会が修羅場で潰れるなんてゴメンだぜ」


「まあ、二人のことだから皆の前で派手にやり合うことはないだろうけど……海、」


「うん。今日は私が新奈の勉強を極力見たほうがよさそうだね。っていうか、真樹には指一本触れさせてやらないんだから」


「……俺的にはこっちの修羅場も心配なんだが」


 新田さんの背中へじっとりとした視線を送る海を見て、望が小さくため息をついた。


 部活が忙しいこともあり、この五人の中では唯一蚊帳の外の望が可哀想でならない。せめて、試験勉強だけでもしっかりと対策させてあげたいところだ。

 

 俺たちがこんな状態なのもあり、望はあまり表立って言わないけれど、彼も彼で学業についての悩みは抱えている。


 勉強、部活、人間関係、そしてこれからの進路――思った以上にあれこれ考えるべきことが多いけれど、俺としては目の前のことを一つずつ、着実にこなしていくだけだ。


 大好きな彼女のために。


 ※


 いつもの和やかな雰囲気とは多少違うけれど、試験はすぐ目の前に来ているので、試験対策はきちんと進めておかなければならない。俺の成績は今のところ順調に緩やかな右肩上がりが続いているけれど、あまり油断はできない。


「それじゃあ、さっそくだけど始めましょうか。私は新奈、真樹が夕をメインに教えるから……あ、関はどっちでもいいから、わかんないところがあったら言って」


「俺の扱いの雑さよ……まあ、そっちのほうが気楽でいいけど。んじゃ、今日は改めてよろしく」


 ダイニングテーブルに五人分の教科書を並べて、さっそく試験勉強を開始する俺たち。席の配置は、教え役の俺と海が隣同士に座って、その向かいに、それぞれメインで担当する天海さんと新田さんが座る形に。望はひとまず俺の右隣に座ってもらうことにした。


 まあ、天海さんたちと比較すると、望はそこから頭一つ抜けているので、それほど手間はかからないだろう。


「新奈、今日はお望み通り、みっちりしごいてあげるね?」


「……へい」


 妙に『圧』のあるニコニコ顔の海に対し、新田さんは素直に頷くしかない。


 気の毒ではあるけれど、自分で招いたことなので、甘んじて受け入れていただこう。


「……じゃあ、俺たちも始めようか。まずは英語から」


「う、うんっ。真樹君、今日はその、よっ、よろしくお願いしますっ!」


「あの、そんなに固くならなくても、俺のほうは厳しくしないから……」


 隣の二人のことを気にしているのか、天海さんのほうもなんだか全体的にぎこちないような……とにかく、やっているうちに元に戻ってくれることを期待するしかないか。


 予め発表されている出題範囲を見つつ、その中で重要な部分の問題をいくつか解いていく。


 天海さんも新田さんも、今のところは黙々と取り組んでいるようだ。いつものように和気あいあいとした空気も嫌いではないが、たまにはこういうピリッとした雰囲気も時には必要だと思う。


 俺たちも、そういう時期に差し掛かってきているわけで。


「……なあ、真樹」


「? 望、どうかした? わからない部分があったら教えるけど」


「いや、そうじゃなくてさ。……その、皆はこれからどうする予定なのかなって」


「それって、進路ってこと?」


「……まあ、そんな感じ」


 参考書に向き合う静かな時間の中、望がそう言ってぽつりと漏らす。


 進路についてはこれまでも話題に上がっていた気はするが、あくまでちょっとしたお喋り程度で、こうして真面目な空気で、しっかりと話をする機会は、今までなんとなく避けていた気がする。


 ふと、俺以外の四人の視線が、こちら側へ向けられているのに気づいた。


「……なんで皆して俺のこと見てるんすかね」


「いや、雰囲気的に委員長がトップバッターかなって、ねえ?」


 新田さんの言葉に、他の三人も概ね同意のようだ。


 俺の進路希望なんて、あまりにもわかりきって面白みもなにもあったものではないはずだが……だからこそトップバッターにふさわしい、みたいなことだろうか。


「えっと……俺は海と一緒の大学に行ければそれでいいかなって。一応滑り止めも受けるつもりだけど」


「なるほど。つまり、委員長は朝凪家に婿入り予定だと」


「新田さん、話聞いてた?」


 付き合っている以上、いずれはそういう話にもなるだろうが、それは大学進学後や就職した後の話だ。ちなみに朝凪姓になることは、まったく考えていない。


 ……可能性は、少しだけあるかもしれないけれど。


「新奈、アンタねえ……とはいえ、私と真樹はそんなところかな。私の第一志望が国立のK大学だから、そこで勉強しながら就職のことは考えていくつもり。両親からもそれでいいって言われてる。……そんなわけで、夕?」


「あ~ん、その先は言わないで~!」


 時間はまだ沢山あるので、これから頑張れば天海さんにも可能性は残っているけれど、現状の学力を考えると中々難しい。


 それなりの進学校で通っている俺たちの高校でも、当該大学に合格できるのは、毎年数名しかいない狭き門なのだ。俺だって、今のままでは合格はかなり厳しい。


 ……ただ、それでも天海さんが本気を出せばなんとかなってしまうような気もしているが。


「しっかし、国立ねえ。下から数えるほうが圧倒的に早い私には雲の上の存在だ。私はもう一年一学期の中間テストの時点で諦めてるよ」


「早すぎでしょ……そういえば、新奈は進路ってどうするつもりなの? 一応、進学はするんだよね?」


「うん。……でも、この成績だと短大とか専門学校かな。それはそれで楽しそうだし、私は全然構わないんだけど、大学だけは絶対に出とけって親がうるさくてさ。だからまあ、最低限、地元の私立に滑り込めるぐらいには頑張っておかないと」


 自分の希望通りに進めばそれが一番いいのだろうけれど、子を想う親の心配もあり、なかなか思うようにはいかない。


 進路についてあまりとやかく言わない、俺の母さんや海のご両親のほうが、わりと珍しいのだ。もちろん、元々の学業成績の違いがあるのもわかってはいるけれど。


「とまあ、私はそんな感じだけど。で、夕ちんのほうは? 前にちらっと絵里さんの伝手で事務所に所属できそうみたいな話があったけど」


「え? ああ、そのこと……えっと、うん。そういう話も確かにあったけど、今のところはやっぱり進学かな。アイドルとか、女優さんとか、テレビで見ててそういう憧れがないわけじゃないけど、生半可な気持ちで通用する世界じゃないのは、お母さん

を見てて十分わかってるし」


 ということで、野球部のある大学への進学を希望する望も含めて、今のところは全員がなんらかの形で進学し、それぞれ別の道へ進むことになる。


 卒業まで時間はあるけれど、そう考えると、ちょっとだけ寂しい。


「ほら、そういうことだから、皆勉強頑張ろっ! 来年の春には、みんな笑顔で卒業しなきゃっ。えい、えい、おー、だよっ!」


「……夕、私たちは高二だから、卒業は来年の春ね。いつの間にか飛び級しちゃってるから、私たち」


「…………えっと」


「あ、夕ちん赤くなった。可愛い」


「む、む~! ちょっと言い間違えただけじゃん! ニナちのイジワル~!」


 天海さんがほんのりと赤く染まった頬を膨らませると、自然と俺たちの間から笑いが起きる。


 ……うん。やっぱり、俺たちはこれでいい。


 今は少しだけ、ちょっとしたボタンの掛け違えが起こって、そのせいで空気がいつもと違うだけ。


 だから、この状況もきっと、あと少しの辛抱なのだ。

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