第276話 いつもと違う 1


 余計なことを考えず、俺はいつもの『前原真樹いいんちょう』のままでいて――そう新田さんは言っているし、俺もできるだけ気にしないように努めてはいるけれど、ふとした瞬間に思い出してしまう。


 朝起きてコーヒーを飲んでいる時や、机に向かって一人勉強に励んでいる時……そういう時に、先週末のショッピングセンターでの、彼女たちの顔を思い出してしまう。


 休み明けの月曜日、いつものように学校へ行く準備をしている途中も、また俺は似たような症状に陥って、小さくため息をついていた。


「ま……」


「……」


「……~きっ」


「…………」


「真樹、こらっ、ぼーっとするなっ」


「! んぐっ……い、いひゃい」


 ぼーっと考え事をしていると、ぎゅっと頬をつねられた。飛び上がるほどの痛みではないが、それでも強めにやられているのはわかる。


 隣を見ると、俺の腕にぴったりとくっついていた可愛い恋人が、いかにも不機嫌そうに頬を膨らませている。


「ご、ごめん海。も、もう大丈夫だから。ぼーっとしてない。ね?」


「……もう。いくら休日が楽しかったからって、週の初めからだらしないぞ。もうすぐ中間テストもあるんだし、しゃんとしておかないと。常々言ってるけど、学校は待ってくれないんだから」


「う……が、頑張ります」


 海の言う通り、学校の授業やテストは個々の事情などお構いなしにやってくる。


 特に今回の中間テストは三者面談の直前に行われ、その成績等を含めて進路についての話し合いがなされる。そのため、俺も海も、二人のだけの甘い時間はしばらく控えめになりそうだ。


 ……まあ、その『控えめ』もあくまで当社比で、ということになるのだろうが。真面目に勉強をするとはいえ、テスト期間中も対策は海と二人ですることになっているし。


 彼女の目の前で、いくら友達とはいえ、他の女の子のことを考えるのはあまり褒められたものではない。


 それは、重々承知しているつもりなのだけれど。


「……やっぱり気になる? 二人――夕と新奈のこと」


「…………」


「図星か」


「まあ、うん。……こういう経験って、俺始めてだからさ。どうしたらいいかわからなくて」


 俺個人の問題ではない以上、当人同士に任せるしかないのはわかっているのだが。


 なんとなく、今の5人とはずっと仲良くやっていけるのだろうと思っていた。高校を卒業し、それぞれ別の道に進んでいったとしても、お互いに連絡を取り合って、予定が合えば集まって、他愛のない話をしながらゆっくりとした時間を過ごす――そんな関係が、この先もずっと続くのだと。


「ところで、海はわりとでんと構えている感じするけど。……二人のこと、そこまで気になったりはしてない?」


「まさか。私もちゃんと心配してるし、あの二人にはさっさと仲直りして欲しいと思ってるよ。もちろん、私に出来ることがあるなら協力してあげたい……んだけど」


「……けど?」


「けど……ん~、」


 少し考えるような素振りを見せて、海は続ける。


「それでもやっぱり、今は見守ることしかできないかな。夕も新奈も大事な友達だし、その二人のためにお節介焼きたい真樹の気持ちもすっごくわかるんだけど……今はやっぱり時間が必要なんだと思うよ」


「じゃあ、海も概ね新田さんと同じ考えなわけだ」


「新奈と同じっていうのが微妙に不本意だけど。まあ、新奈ならきっと上手くやってくれると思う」


「とすると、後は天海さん次第ってことか」


「そういうこと」


 新田さんと較べて天海さんには少し強情なところがあるので、仲直りに時間がかかるとすればその点になるのだろう。


 不仲の原因に対して、二人がどれだけ歩み寄ることが出来るか。


 早いうちに解決してくれればいいが。


「とにかく、私たちは私たちでいつも通りでいましょ。今の雰囲気に引っ張られてこっちまでギスギスしちゃうのは、あの二人だって望んでないわけだし」


「……まあ、それもそっか」


 海がそういうスタンスで行くのなら、俺もそれに従うまでだ。二人のことをただ傍観する形になってしまうのは冷たいかもしれないが、変に出しゃばって話がこんがらがるのは避けたい。


 そして、俺が一番優先すべきは、いつも俺の隣に寄り添ってくれる可愛い恋人なのだから。


 いつもと変わらず、俺は海といちゃついていればいい。二人だって、きっとそれを望んでいると思う。


 ※


 一日の授業を全て終えた放課後、俺はいつものチャットルームを開いて、皆に今日の予定を確認することにした。


 定期テスト前、ちょうど一週間。5人の中ではすでに恒例となっている勉強会の開催についてだ。



『(前原) みんな、ちょっといい?』

『(朝凪) うん。勉強会だよね?』

『(前原) です』

『(朝凪) どこでやる? やっぱり真樹の家?』

『(前原) まあ、基本的には』

『(ニナ) はあ~、まったく、また勉強会にかこつけてイチャつくバカップルを見せつけられるのか』

『(朝凪) ふふ、イヤなら新奈は参加しなくてもいいよ?』

『(朝凪) ノートもいらないよね?』

『(ニナ) ごめんなさいゆるして』

『(ニナ) 三者面談あるから、今回はマジで頑張んないとヤバいの』

『(望) 今日から部活休みだから、俺も大丈夫』


 すぐに反応してくれた三人は大丈夫のようだ。


 ということで、あとは既読のついていない天海さんになるが、どうやらいつものように荒江さんとお喋り(というかウザ絡み?)をしていて、メッセージのほうには気づいていないようだ。


 同じ教室にいるので、こういう場合はさっさと聞いてしまうのがいいのだろうが――女子グループの中に一人で話しかけに行くのは、やはり躊躇してしまう。


 なんとかメッセージに気付いてもらおうと、天海さんの様子をちらちらと観察しつつ待っていると、ふと、俺の視線に気づいた天海さんと視線がかちあった。


「……」


「……」


 お互い無言のまま、少しの間お互いに見つめ合う。

 

 今までの天海さんなら、すぐにぱっと顔を明るくしてこちらへ用件を訊いてきてくれるのだが――。


「っ……あ、渚ちゃん、そういえば今日のアレなんだけど――」


 俺と見つめ合っていることに気づいた後、天海さんは恥ずかしそうに頬を赤らめて俺からぷいっと目を逸らして、何事もなかったかのように荒江さんとのおしゃべりを再開したのだ。


 先程までとは打って変わり、途端に不自然な様子で話し始めた天海さんの様子に、すぐさま荒江さんの眉毛がぴくりと動いた。


「……天海、前原のヤツが、なんかアンタに話があるみたいだけど。行かなくていいの?」


「えっ!? あ、えっと、うん、そうみたいだね。ごめん、私ちょっと行ってくる」


 荒江さんの指摘で誤魔化しきれなくなったのか、ばつの悪そうな顔を浮かべた天海さんがこちらのほうへ。


「ご、ごめんね真樹君。ちょっとぼーっとしちゃってて……えっと、その、何かな?」


「あ、いや、今日の予定空いてるかなって。ほら、ちょうど中間テストまで1週間だから、そろそろ勉強会の時期だなって。さっきスマホにメッセージ送ってたんだけど」


「そ、そっか。ごめん、渚ちゃんと話混んでて気づかなったよ」


 すぐにポケットからスマホを取り出すと、ようやく天海さんからも既読がついた。


 いつもなら、どれだけ他の人とのお喋りに夢中でも真っ先に返信をよこしてくれる天海さんだから、皆から遅れてポチポチとメッセージを送るこの光景はなんとも珍しい。



『(あまみ) ごめんみんな。今確認しました (つд⊂) 』

『(朝凪) 気にしないで。それより、夕も今日は大丈夫だよね?』

『(あまみ) うん。それはもう全然……』

『(あまみ) あ、』

『(ニナ) ? どした夕ちん? もしかして、都合悪かったり?』

『(あまみ) ううん。用事があるとか、そういうことじゃないんだけど、その』


『(あまみ) ……今回は、不参加ってことにしてほしいかも、なんて』


 そのメッセージを見た瞬間、俺はスマホに落としていた視線を、天海さんの方へと向ける。


「え、えへへ……ごめんね真樹君。せっかく誘ってもらったのに」


「天海さん……?」


 ……なぜだろう。俺はいつも通り過ごしているはずなのに、天海さんからやけによそよそしく接されているような。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る