第262話 花火大会の夜 5
目的の駅に電車が近づくにつれどんどんと増えていく乗客の数である程度予想はできていたが、電車が降車駅に着いた時点で、ホームから入口まで、すでに溢れんばかりの人で埋め尽くされている。
普段はここの駅で降りる人は、俺の記憶ではほとんどいなかったはずだが……こうして花火大会に実際に足の運ぶのは初めてだが、これはさすがに予想外だった。
「よし、皆とりあえず降りようか。俺と関君が先に出るから、他の皆はすぐ後ろからついてこい。くれぐれもはぐれないようにな」
「零次はお母さんとお姉ちゃんたちで囲んであげるから一緒に歩こうね。真樹君、申し訳ないけど一番後ろ、お願いね」
「はい。とりあえず、初っ端から取り残されないよう頑張ります」
電車のドアが開いた瞬間、波のような大きな人の流れによって、俺たちは強制的に車内から吐き出されるようにしてホームに降りる。周りと較べても頭一つ分体格の抜き出ている陸さんと望が前でゆっくりと歩き、そのすぐ後ろの零次君を囲むようにして、雫さん、海、新田さんが立ち、その後ろに俺が立つ形だ。
足元に注意してゆっくり歩いてください、という駅員さんのアナウンスが聞こえる中、ひとまず改札を目指してゆっくりと進む。
「――っと!」
皆でまとまって歩いている最中背後から誰かに押されてしまい、思わず前のほうにつんのめってしまいそうになる。慌てず、前の人たちを急かさず、ゆっくりと、ということは授業での集団行動の時に先生たちから口を酸っぱくして言われるが、これだけ人が多いと、それもなかなか難しい。
ひとまず俺の目の前にいる海のことをケガさせないよう、足と腰に力を入れて、ぐっとこらえた。
「――真樹、大丈夫? ちょっとぐらいだったら、私に寄りかかってもいいからね」
「うん。でも、このぐらいなら平気だから、海はひとまず零次くんのこと見てやって」
「了解。でも、とりあえずはぐれないように手ぐらいはしっかり握っておこうか」
「だね。……ごめん、ちょっと手汗かいちゃってるけど」
「ふふ、いいよ。真樹のそれなんて、私にはもう慣れっこだし」
ともかく海とだけは離れ離れにならないようにと、お互いに恋人繋ぎでしっかりと手を握りしめる。
あまりの人の多さに思わず酔ってしまいそうだが、後ろから見える海のうなじをじっと見つめて気分を紛らせることに。この分だとまた後で小言をもらってしまいそうだが、ひとまずこの場所を抜け出すまで許して欲しいところだ。
駅の改札出口へゆっくりと向かう人の波に乗って、俺たちはしっかりと固まった進み、数分ほどかけてようやく出口を抜けて、ぎゅうぎゅう詰めの列から解放される。
そこからさらに数分ほど歩いて、ようやく目的地に到着となった。
「まだ打ち上げまで1時間以上あるのに、すごい人の数だな……」
「去年は天気とか諸々の都合で開催されなかったからね。こういうの楽しみにしてる人も多いし、そりゃこんな感じにもなるんじゃない? 新奈は一昨年も行ってたんだっけ?」
「元カレとね。まあ、それはともかく、調べた感じ協賛してる会社とかも増えてる多いみたいだから、その時よりは確実に規模が大きくなってると思う」
見ると、川沿いの道の向こう側まで出店の長い列があり、また花火が打ち上げられる向こう岸には特設ステージのようなものの設置されているようで、どこかのバンドなどが演奏中なのか、時折音楽も聞こえてくる。
昨日の神社で行われていたお祭りと較べると、こちらは街や市を挙げての1大イベントという感じである。
まあ、どちらかというと、俺は前者のほうが好みだが。
「おかあさん、おなかすいた」
「! ああ、そういえばそろそろ晩御飯の時間だもんね。皆、せっかくだし、花火が上がる前に腹ごしらえのほう済ませちゃおっか。お金は私とりっくんで奢るから、食べ物でも飲み物でもデザートでも、なんでも自由に買っておいで」
「お、さすが清水さん、太っ腹っすね。でも、いいんすか? 俺はこのガタイなので想像通りですけど、他の奴らもわりと食べますよ?」
望が言う通り、まだここには来ていない天海さんも含め、俺たちはわりと人目を気にせずよく食べる子供たちである。他の人たちの目がある時はそれなりに遠慮するが、この場にはそんな人はいないので、そうなるともうお構いなしだ。
しかし、雫さんと陸さんは当然のように財布から一万円札を取り出した。
「遠慮しなくても、ちゃんと今日のためにお金は用意してきてるから。ね、りっくん?」
「ああ。それに、この場で少ない小遣いとかバイト代でやりくりしてる高校生に出してもらうわけにもいかんしな。……心配するな。しばらく休みなしで働いてた分、お金は問題なく貯まってるから」
「……アニキのくせにええ格好しいしちゃって。私にはそんなことほとんどしてくれなかったくせに」
「そりゃお前にせがまれた覚えがないしな。普段お前と折り合いがつかなくてそういう意味では助かったよ」
「なにおう」
「ま、まあまあ海も陸さんもひとまずここは抑えて……」
相変わらずの兄妹の間に入って仲裁しつつ、飲み物や食べ物など、手分けして購入して、同じく会場に併設されているイートインスペースで食べることに。
人数分の飲み物は陸さんと雫さん(に零次君)、食べ物のほうは、俺と海、望と新田さんの二組に分かれて屋台に並んで買い集めてくる予定だ。
「真樹、行こ」
「うん」
再集合場所はイートインスペースの入口の立て看板前に決め、俺と海は、一旦皆たと別れ、屋台の立ち並ぶゾーンへと向かった。
昨日食べた焼きそばやたこ焼き、イカ焼きなどの祭りの定番から、唐揚げ、牛串、ケバブ、その他甘味なども含めて、本当に多種多様な店が並ぶ。どの店からもいい匂いがして、正直言ってどれを選んだからいいか迷う。
そして、どこのお店も大抵長蛇の列だ。
「真樹、どれ食べよっか? せっかくアニキに奢ってもらうんだから、めっちゃ高いヤツ買ってみようよ。ほら、あそこの黒毛和牛A5ランクのカルビ串とか」
「お兄さんだから容赦ないな……じゃあ、俺はその隣の霜降りタン元1本2000円で」
「いや、それ私より容赦ないし」
「冗談だよ。零次君もいるし、食べやすくてお腹にたまるものを選ぼうか」
「だね」
二人で相談の上、ひとまずケバブサンドを売っている屋台の列に並ぶことに。お祭り価格で値段はそれなりだが、写真を見たところ、肉も野菜もたっぷりで、これ一つでもいいボリューム感なのもいい。この混雑だと並んでいる間に花火が打ちあがってしまいそうなので、この店で一通り揃えてしまったほうがいいだろう。
「しっかし、すごい人だよね。昨日の下見の時のも雰囲気あって好きだけど、こっちもこっちでテンション上がるし悪くないかも」
「まあ、すごい人だけど、それだけ多くの人たちがいるからこそ成り立ってるところもあるからな」
店の列に並んでいる途中にざっと周囲を眺めてみたけれど、会場にいるほとんどの人たちは楽しそうに笑っている。今日の花火のこともそうだが、久しぶりに会う友達と一緒に互いの近況を話したり、または俺たちのように他愛のない話や冗談を飛ばしていたり。
人が多いのは確かに慣れないけれど、こういう雰囲気の中にいるのは悪くないと思う。会場に行くまでの満員電車に乗った時点では、正直ちょっとだけ後悔していたのに……そう思わせるほどの空気が、なんとなく、会場内を包み込んでいる気がする。
急な予定変更ではあったけれど、こうして初めての経験も出来たことだし結果的には良かったのかも。
「海、ありがとな。俺のわがままを聞いてくれたおかげで、これもいい思い出になりそうだよ」
「そう? へへ、ならよかったけど」
「海、すっかり俺の口癖うつっちゃったな」
「ふふん、まあ、ずっと一緒にいればね。影響されやすい女の子なんです、私は」
「それ、胸張って言うセリフじゃないような……」
他の人たちと同じく他愛ない雑談とじゃれ合いで順番を待っていると、ほどなくして俺たちの番が来た。
ひとまず人数分のサンドと、あとは一口サイズのチキンバスケットなど、よさそうなサイドメニューを注文して、今度は完成待ちの列のほうへ。
注文するのに20~30分。実際に商品を受け取るまでにさらに10数分。
混雑していれば待つことは当たり前のことだが、それだけちょっと疲れてしまうかも。国内有数のテーマパークだと桁が一つ多くなることもざらというから、想像するだけでもぞっとしてしまう。
「はい、これ真樹の分。中身がぐちゃぐちゃにならないよう、気を付けて持ってね」
「了解。それじゃ、集合場所に戻ろうか」
食べ物を確保できたことをすぐさま写真付きでメッセージを送り、それぞれ荷物を持った俺たちは人混みの中をかき分けて目印の看板へと突き進む。
すいませんちょっと通ります、ちょっと通ります――そうボソボソと言いつつ、時折嫌な顔を見せる人には頭をしきりにぺこぺこと下げて申し訳なさそうに道を譲ってもらう。
悪くない、と先程言ったばかりではあるが、この後皆で楽しく食事するためとはいえ、やはりこうやって知らない誰かに気を遣い続けるのは、今まで極力人と触れ合うのを避けてきた俺には、もう少しだけトレーニングが必要なようだ。
花火が打ちあがるまであと30分というところではあるけれど、すでにちょっと疲れ始めているかも。
「……海、そういえば他の皆はもう買い物終わったって? 花火までには間に合うと思うけど、天海さんのことも気になるし――」
「…………」
「? 海? どうかし――」
他の組の状況を確かめるべく、俺の横で歩いている海のほうを振り向く。
返事がないので、もしかしたら海もちょっとは疲労を感じているのかもしれないと思っていたら。
「――あ、あれ?」
気づくと、さきほどまで感じていたはずの海の存在がいつの間にか消えていて。
……そして、今まで見たことがない景色が、俺の目の前に広がっていた。もちろん会場内にはいるものの、先程食べ物を購入した屋台からかろうじて確認できていた目印の看板は見えないし、もう一つの大まかな目印である向こう岸の特設ステージの位置を見ても、かなり違う方角にずれてしまっている。
「あれ? これはもしかして俺がはぐれちゃった、とか――?」
両手が荷物でふさがっているせいで海と手を繋いでいなかったこともあり、どうやらものの見事に迷子になってしまったようで。
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