第258話 花火大会の夜 1


 翌日の土曜日。天気の方は気持ちのいい秋晴れ……とはいかず曇り空ではあったものの、雨の可能性はなく、花火大会のほうは予定通り開催とSNSの公式アカウントでも発表があり、会場近くには多くの見物客が訪れることが予想されている。


 朝、休日の土曜日ということもあり、いつもより少し遅めにベッドから体を起こしてリビングへ向かうと、コーヒーの香りが鼻をくすぐった。


 キッチンで機嫌よさげに鼻歌を口ずさみつつ、二人分の飲み物をカップに注いでいるエプロンを着た海の後姿――前原家ではいつの間にかお馴染みの光景となっている。


「――真樹、おはよ。ちょっとお寝坊さんだったね。休みだから別にいいけど、夜更かしは不眠の元だからほどほどにね」


「おはよう、海。うん、まあ、気を付けるよ。コーヒーありがとう」


「いいってことよ。とりあえず、朝ご飯の前に寝癖直したげるから、そこ座って」


 二人でソファに腰かけて、まずは朝のスキンシップとばかり、海が俺の頭をくしゃくしゃと撫でつつ、バッグから取り出した自前の櫛とヘアワックスで、俺の髪を整えてくれる。今日は皆で出かける用事のため、いつもより念入りだ。


 他人に髪を触られるのは相変わらずあまり好きではない俺だが、海に触られるのは別だ。優しい手つきと、海の手の滑らかな肌触りが良くて、こうして海にされるがままにされていると、ついつい気持ちよくなって眠くなってしまう。


「ふふっ、真樹、眠いんだったら、二度寝してもいいよ? 集合時間は夕方だから、私もまだそばにいてあげられるし」


「いや、このまま二度寝したら髪の毛セットしてもらった意味ないし……海だって、その、それなりに準備も必要だろ? 着ていく服とか、色々」


「まあね。年に一度しかない花火大会の日だし、真樹がいるなら、なおさらね」


 去年のクリスマスパーティの時もそうだったが、こういう時の海は身だしなみをしっかりするタイプなので、おそらく今日も花火大会に合わせたコーディネイトをすることだろう。


 海の浴衣姿を見るのは、夏休み前の帰省旅行以来だが、祭りなどで着るような、煌びやかな形の和装を見るのは初めてなので、彼女の着飾った姿を見るのは、彼氏としては、やっぱり楽しみなところもあって。


「あ、そうだ。せっかくだし、真樹も着てみない? 兄貴が中学生ぐらいの時のお古で申し訳ないけど、一応、男性用の浴衣ならウチにあるし」


「え? 俺が?」


「うん。彼女が張り切ってるのに、まさか、自分はTシャツにジーンズに靴はスニーカーなんて、そんなつもりないよね? ね?」


「……いや、まさに適当でいいだろと考えてい――」


「ま~き~?」


「はい」


 年に一度、しかも来年は参加できるかどうかわからない花火大会だから、そういう時ぐらいは二人揃って浴衣を着て歩きたいという海の気持ちはわかる。


 ……しかし、浴衣か。安いものであれば最近はどこの衣料品店でも割と見るようになったが、夏はどんな時もTシャツにハーフパンツ(たまにジーンズ)、靴は使い古しのサンダルという適当すぎるいで立ちの俺に、果たしてそんなものが似合うだろうか。


「大丈夫。心配しなくても、この私が責任をもってなるべくマシに見えるようにしてあげるから。清潔感のある髪型、綺麗な二重瞼はもちろんのこと、すっと通った鼻筋にシャープなあごのライン、シミ一つない綺麗なお肌。どう? これなら完璧でしょう?」


「髪型以外は全部美容整形の域なんだけど大丈夫?」


「へへ。髪型以外は冗談だけど、今の真樹なら何もしなくても平気だよ。昨日も言ったけど、去年のぷにぷにのお腹とか二の腕に較べたら、大分引き締まってるし」


 とはいえそれでようやく中学2~3年生の標準的な体格程度なので、欲を言えば、あともう少しだけ成長して欲しいところである。


 ……海が、安心して俺に身を預けてくれるぐらいには。


「とにかく、真樹も今日は浴衣姿ってことで。あ、関とか他の皆には、まだ言っちゃダメだよ。うんと格好良くして、皆のこと驚かせたいからね」


「俺の浴衣姿にそこまでの引きがあるかなあ……まあ、今日のことは海にお任せしてるわけだから、別に構わないけど」


「よし、決まりね。へへ、真樹に浴衣姿になってもらうなんて初めてだから、どんな風にするかワクワクしちゃうかも。あ、お母さんにも早速連絡いれとかないと」


 これからしばらく朝凪母娘のされるがままにされてしまいそうだが、目の前で嬉しそうにスマホをいじってあれやこれやと俺のコーディネイトについて頭を巡らせている海のことを見ていると、『まあ、いいか』と自然と思ってしまう。


 久しぶり……というか記憶にある限りでもほぼ初めての花火大会は楽しみではあるけれど、それ以上に、俺にとっては彼女の笑顔が大事なのだから。


 ということで、手早く朝ご飯を済ませた後、急遽ではあるものの、俺も海と一緒に朝凪家で浴衣に着替えることに。急にお邪魔する形になってしまい空さんに申し訳なく思っていた俺だったものの、空さんは快く俺のことを出迎えてくれた。


「うふふ、いらっしゃい真樹君。今までタンスの肥やしになってたけど、ついにこれを着せる男の子が出来て、おばさん、すごく嬉しい。陸のために買ってあげたんだけど、あの子ってば恥ずかしがって、結局一度も着てくれなかったし」


「なるほど、そういうことで……」


 ……陸さんのお下がりと思しき浴衣を、海と同じく嬉しそうな笑顔で腕に抱えつつ。


 こういうのを見る度、やっぱり親子って似るんだなと思う。本人たちはきっと気づいていないだろうが、いきいきとした顔で俺にあれこれ着てみろ着けてみろと迫る海と空さんの顔なんか、まさに瓜二つだ。


 ひとまず1階リビング隣にある客間に通され、海の着替えの前に、まずは俺のほうから。


「う~ん……ねえ海、真樹君の髪の毛またちょっと長くなってるから、前髪を少しと、あと後ろのほうも軽くしちゃわない? そっちのほうが清潔感もぐっと出るし」


「だね。まだお昼前だし、ちょっとやっちゃおうか。真樹、服はそのままでいいから、ちょっと庭に出て散髪しよっか」


 服を軽く合わせてみるだけのはずだったが、この分だともう少し時間がかかってしまいそうだ。


 ……そういえば、他の人たちは今、どんな感じなのだろう?


 天海さんたち他の3人からは特にこれといった連絡はないものの、俺たちも含めて集合時間が多少前後してしまう可能性もあるので、ふと、気になったのだ。


「海、髪切る前にちょっとだけスマホ見てもいい? 一応、皆の状況も確認しておきたくて」


「いいよ。じゃあ、私も一緒に」


 空さんが散髪用のハサミやバリカンなどを準備している間に、いつもの5人の連絡用として使っているチャットルームへ。


 皆からの返事は、すぐに戻ってきた。


『(前原) 皆、どうもこんにちは』

『(関) おう』

『(関) なんていうか、真樹らしい挨拶だな』

『(前原) そうかな? 話の切り出しなんて大体こんなもんでしょ』

『(ニナ) まあ、委員長らしいんじゃない? あ、おっす』

『(あまみ) えへへ、ども~。真樹君は、もう海と一緒? もしかしなくても隣にいる?』

『(朝凪) 皆、どうもこんにちは』

『(前原) 海、真似しなくていいから』

『(朝凪) えへへ』

『(関) いちゃつくな』

『(ニナ) いちゃつくな』

『(あまみ) こら、いちゃつくなっ! なんてね』

『(前原) すいません』

『(前原) ところで、今日の花火大会だけど、特に変わりはありませんか? 都合でちょっと遅くなるとか、体調があまり優れないとか』

『(ニナ) 私は大丈夫。夕ちんは?』

『(あまみ) めちゃくちゃ元気だよ。他の皆も変わりない?』

『(関) おう』

『(朝凪) 同じく』

『(前原) 俺も。じゃあ、今のところ予定通りだね』




 とりあえず、今のところは特に問題ないそうなので、このまま予定通り時刻に集合となりそうだ。


 昨日の下見通りだとすると、集合場所は、バス停の一番近い朝凪家になるはずだが……そこで、海が新たにメッセージを皆へと送信する。



『(朝凪) それじゃあ、予定通り夕方5時前にいつもの駅に集合ってことで。もし遅れる場合は、真樹か私のほうに連絡入れてくれれば大丈夫だから。特に、夕と新奈はね。二人も、一応浴衣は準備してるんでしょ?』

『(あまみ) うん! ウチはお母さんが絶対着ていけってうるさいから』

『(ニナ) まあ、二人が着るのに私が普通の私服じゃ浮いちゃうしね』



「……え?」


 昨日までの予定であれば、本日も引き続き行われるという神社のお祭りへ行き、そのついでに見晴らしのいいあの場所で花火が打ちあがるのを5人でゆっくり眺める――はずだと思っていたのだが。


 ひとまず皆との会話はそこで打ち切って、俺は海のほうを見た。


「海、あの……」


「あ~っと……うん。昨日の夜中、ちょっと考え直してさ。下見は無しにして、やっぱり普通に会場の近くで花火を楽しんだほうがいいだろうって。……ごめんね、真樹。本当なら真樹には朝起きてすぐに伝えるべきだったんだろうけど、朝の時点ではまだはっきりと確定してなくてさ」


「まあ、最初はもともと普通に人混みに突っ込んでいく覚悟だったわけだから、それならそれで俺は別にいいんだけど……もしかして、昨日の俺の言葉を気にしてくれた、とか?」


「…………ん」


 そう言って、海はほんのりと頬を赤く染めて頷く。


「昨日の夜、家に帰ってからずっと思い出してたんだけど、あの時はあんなこと言っちゃったけど、やっぱり私も、あそこは真樹と二人で行きたい……かな。皆には内緒の話になっちゃうから申し訳ない気持ちはあるけど、でも、真樹にあんなふうに言われちゃったらさ……私も、その、やっぱりものすごく嬉しかったというか」


 あの時は俺もさすがに我儘すぎるかと思ったものの、海にはきちんと俺の正直な気持ちが伝わってくれていたらしい。


 結局あの場所には30分ほどいたが、当然、その間、夜景だけを見ていたわけではない。


 思い出すだけでも恥ずかしいが、周りの雰囲気の良さも相まって、俺も海もいつも以上にいちゃついていたような……記憶に残っている当時の様子を断片的に言うと、


『真樹、私と夜景、どっちが綺麗?』

『……誰もいないから、もうちょっとだけいいよ』


 などなど、久しぶりの外出デートでお互いに気分が高まっていたせいか、わりときわどいこともやってしまったような。


 なので、昨日の今日で皆をあの場所に連れていくと、色々と思い出して花火どころではないというのも正直なところあって。


「でも、いいのか? 俺も行くのは初めてだけど、ここの花火大会って、かなり人が集まるんだろ? 俺も少しは慣れてきたけど、相変わらず人の多さには酔っちゃうかもしれないし、他にも色々」


「それについては、ちゃんと対策を考えてるから大丈夫。……ちょっと参加人数が多くなっちゃうけど」


「? 俺たち5人以外って、もしかして、二取さんとか北条さんとか?」


「ううん。そっちじゃなくて、もっと大人の人かな。もちろん、真樹も良く知ってる人たちね」


「俺も……ってことは」


 俺の顔見知りで、高校生の俺たち5人を責任をもって引率してくれる人というと、思い浮かぶ候補はそうはいないが……そう思っていると、玄関のほうから、ガチャリと扉の開く音が聞こえてくる。


「――ただいま。ったく、せっかく2か月半ぶりの休みだってのに、どうして妹の面倒なんて見なきゃならんのか……」


「もう、りっくんたら、そんなこと言って本当は空おばさんと海ちゃんに会えるの楽しみにしてたくせに」


「いや、別にそんなんじゃ――」


「! その声は――」


 まさしく2か月半ぶりに聞いた声の主は、確かに、俺もよく知っている人たち。


「よ、真樹。久しぶりだな」


「こんにちは。花火大会があるっていうから、久しぶりにりっくんと見たいなって思ってきちゃった。零次ももちろん一緒だよ。ほら、ご挨拶」


「お兄ちゃん、こんにちは」


「陸さん、雫さん。それに、零次君まで」


 詳しいことはこれからまた話を聞くことになりそうだが、予想以上に今日の花火大会は大所帯になりそうな気がする。

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