第249話 二人の違い 2



 ※※※



 どうして『彼』だけ。


 去年の秋ごろからそう思うことが増えた。


 彼の名前は前原真樹。何かの縁か、1年の時からずっと同じクラスで、目が合ってしまった時には、ごくたまに一言二言交わす程度のクラスメイトだった。


 入学してしばらく、彼はずっとクラスでも浮いていた。机の上で寝たふり(多分)をしているかトイレに席を立つかのみで、一日中、一言も発さずに帰ることもよくあったと思う。


 久しぶりに、なんとなくお互い気まぐれに話した時に『ああ、そういえばこんな声してたような』と、思い出すような、特にこれといった印象はない男子だった。


 正直に白状すると、彼と仲良くしたいとは思わなかった。これまでの彼の行動から察するに、一緒にいたとしても話が続かなさそうで気まずそうだし、なにより、彼と仲良くしていると変な目で見られそうと思っていたので、会話をするにしても、なるべく上辺だけのものにしようと気を付けていた。


 俺は彼とは違う。心の中でそう言い聞かせて、俺、大山武史は、自分より下がいることに安堵して過ごしていた。


 しかし、2学期の秋の文化祭以降、彼の交友関係に劇的な変化が起こる。


 朝凪海、天海夕、新田新奈。男子たちの間では特に可愛いとされていた女子グループが、彼の周りにいることが多くなった。文化祭で仲良くなったのがきっかけだったのか、月に2、3回聞けばいいほうだった彼の声が、毎日のように耳に入ってくる。


 そして、彼女たちの前で見せる、ぎこちない笑顔も。冬に差し掛かってくるころには、そこからさらに野球部の関君も加わって、もう、彼のことを無視できる人は誰もいなくなっていた。


 彼の周囲がどんどんと変化・発展していく脇で、では、俺のほうはと言うと。



「――なあ、重いから誰かカバン持ってくれよ。あそこの橋の下まで」


 放課後、俺がいつもつるんでいるメンバーで帰っていると、誰かがそんなことを言い出す。俺含めた5人全員、そんなキャラでもないのに、楽しそうにジャンケンをして、カバンを押し付けあっているグループを見て、自分たちもやりたくなったようだ。


 彼らとは中学時代からの仲だが、特に仲が良かったわけではない。同じ中学出身者が少なく、高校でぼっちになって孤立しないためになんとなく作った。その程度の集まりだった。


 仲が良かったクラスメイトたちは、ほとんどが上のレベルの高校に進学していた。


『高校は別だけど、休みの日とかはたまに遊ぼうな』――卒業式の日にそう言ってくれた人からの連絡は、それ以来まだない。


「じゃあ、ジャンケンで決めるか。グーかパー、どっちか出して、少ないほうが多いほうの鞄を持つ感じで」


「ほら、大山。お前も」


「あ、うん」


 掛け声とともに俺がグーを出すと、他4人がパーを出してくる。


 と、同時に、四人の鞄が俺の体に掛けられた。


 さすがに四人分は重く、うぐ、と体がよろけそうになる。


「あはは、運がないな大山」


「まあ、言っても橋まで100mぐらいだから、頑張れよ」


 そう言って、言い出しっぺの二人ほどが、さっさと先のほうまで歩いていく。


 残りの二人は俺のことを多少は心配しているようだが、先にいった二人に呼ばれると、仕方なくといった感じで『無理そうなら言えよ』とだけ声を掛けて行ってしまった。


「……言えっていったって、そこからじゃ俺の声なんか聞こえないでしょ」


 誰にも聞こえないようにして、俺はぼそりと呟く。


 ジャンケンなので運が悪いとあきらめるしかないとは思うが、それにしては4人だけで妙に目配せしあっていたような。


 ……いや、考えすぎて疑心暗鬼になるのはよそう。これはあくまでただのお遊びで、別に歩けないわけでもない。ちょっとそこまで歩けばいいだけだ。


 首を振って、仕方なく前の4人を追いかけていると、ふと、視界の端っこに、とある二人組の姿が。


「……いや、マジか」


 そこにいたのは、前原と朝凪の二人だった。手を繋いで、仲睦まじく下校している。


 彼らについては、文化祭の時点で『付き合っているのでは?』という疑惑があり、本人たちは否定も肯定もしていなかったが、クラスの見立てどうり、やはり二人は付き合っているのかもしれない。


「――――」


 その瞬間、俺は、急にみじめな気分に襲われる。


 冴えないもの同士で集まったグループの中でさらに冴えない俺と、そんな俺よりももっと『下』だったはずなのに、いつの間にか彼女(らしき存在)まで作っている彼。


 俺と彼。見た目的にはそう何も変わらないはずなのに、いつの間にこんな差が出てしまったのか。


 どこからか、女子生徒の笑い声が聞こえてくる。きっと俺のことを笑っているのだろう。


 このまま4人分の鞄をここに置いて逃げ出したい気持ちに駆られるが、そんなことをすれば俺は確実に仲間外れなわけで、思っても、実行に移すような勇気はなかった。


「……くそっ」


 小さく舌打ちしながら言って、俺は高架下待つ『友達』のもとへと急ぐ。


 ――どうして君だけ。


 その日以来、俺は勝手に前原のことを避けるようになっていた。



 ※※※



「――正直に言えば、多分、前原君のことが羨ましかったんだと思う。ほんの少し巡り合わせが良かっただけで、朝凪さんとか天海さんとか、クラスの男子がどれだけ頑張っても連絡先すら知らなかった女子たちとばかり、あっという間に仲良くなっていって、しかも、今度はあの副会長まで仲間に取り込んじゃって……そんなの、あまりにもずるいよ」


「じゃあ、俺のことを少しでも困らせたかったから、天海さんとの噂を流して……って、そういうこと?」


「写真を撮ったのは本当に偶然だし、流すつもりはなかったんだよ。ただ、前原君にちょっと見せて、困らせてやれればって。……そんな度胸あるはずもないのにさ。で、そんな時に、ちょうどアイツらにスマホの画像を見つかって……」


「で、今みたいなことになったと」


「うん。ちょうどアイツらの一人が狙っている後輩の女の子がいて、その子がものすごく恋愛関係の噂が大好きみたいでさ。どうしても気を引きたくて、俺の持っていた画像をいじって、そういう話を吹き込んだとかなんとか……まあ、この辺は俺も荒江さんから聞いただけだけど」


 滝沢君の助力から一気に状況が動いたのだと思うが、話を聞く限り、あっという間に大元の一歩手前まで辿り着く限り、荒江さんの調査力には舌を巻く。


 まあ、元々天海さんに対して当たりがきつめだっただけで、女子たちの間ではわりと人望はあったわけだから、役割としては適任だったのだろう。


「……とりあえず、これで俺の話は全部、かな。噂を流したのは別のヤツだけど、隠し撮りはしたし、これで少しでも困ってくれればいいやって何も言わず黙ってたのは紛れもない事実だから」


 彼の話を全て信用することは出来ないが、先程の彼と『彼の友達』の話を聞く限り、あり得ない話でもない。


 なにもかも諦めたように天を仰いだ彼の姿が、全てを物語っている気がした。


「それで、これから俺はどうすればいいの? 生徒会の協力もあるから、体育祭の前に、全校生徒の前に出して謝罪させたりする? 俺と、それから噂を流した張本人を強引に引っ張りだして」


 これまでの様子とは打って変わって、そう大山君は談めかして言う。化けの皮がはがれたというよりは、やけっぱちにでもなったかのような感じだ。


「そんなことしないよ。この話だって全校生徒が知ってるわけじゃないし、それに、俺は君らに仕返ししたいわけじゃないからね」


 俺たちが大山君やその友人たちに望むのは、とにかく今後一切、俺たちに関わらないことだ。


 噂がある程度広まってしまった今、彼らがいくら『あれは嘘でしたごめんなさい』と言いまわったところで、聞く耳を持ってくれる人は、正直に言わせてもらえばほとんどいないと思う。大山君を盾にしてコソコソと逃げ回っているであろう『友人』とやらも、近いうちに相応の報いを受ける時が来るはずだ。


 広まった噂が完全に鎮火するまで、まだしばらくは校内では大人しくしておかなければならないし、中村さんや滝沢君の助けを借りることになるだろう。


 現実の火事でもそうだが、鎮火はしてもまだ原状回復が残っており、それが最も時間と労力がかかる。


 それは、多分人間関係だって同じだ。


「謝罪とかは別にいらないよ。今謝られてもどうせ口だけだろうし、それで手打ちにして無罪放免にもしたくないからね」


「……前原君、大分怒ってるね」


「当たり前だろ。俺はいつも通り過ごしたいだけなのに、わけもわからずひどいことばっかり言われて。しかも俺の大事な人たちまで大勢巻き込んじゃって……」


 正直、今すぐにでも噂に関わった全員をどうにかしてやりたい気分だが、そこはぐっと抑える。


 こんなしょうもない人たちにわずかでも時間と労力を割くぐらいなら、その分もっと海や皆のほうに向けたほうがよほど建設的だ。


「だから、俺から君らに言うことはただ一つ。次やったら、今度こそ許さないから」


 俺の言葉に、海、天海さん、新田さんがしっかりと頷く。

 

 それはここにいる俺たちや、ここにいない人たちも含めた総意だった。


 今回はたまたま上手く歯車がかみ合ってスムーズに解決に向かったが、本来ならもっと時間がかかるはずだったし、その状態で体育祭に臨まなければならなかっただろう。


 高校生活最初で最後の体育祭が、そんな不本意な形で終わるなんて、考えたくもない。


「……わかった。それだけは必ずアイツらに伝えておくよ。まあ、多分、次をやる度胸なんか俺たちにあるわけないんだろうけど。……じゃあ、俺はこれで」


 もう出ていっていいことを俺たちの表情で察して、大山君は逃げるようにして生徒会室のドアを開ける。


 同情するつもりはないが、いつも以上に小さく見えるその背中を見て、これ以上追い打ちする気は失せた。


 俺はそう思っていたが、俺たちの中で一人だけ、まだ言い足りない人がいるようで。


「――大山君、ちょっといい?」


 ドアが閉められる寸前、天海さんが大山君のことを呼び止める。


 これまでは海や新田さんに気遣われつつ、じっと話に耳を傾けていたはずだったのだが。

 

 安堵したはずの大山君の顔が、再び険しいものになる。


「な、なに?」


「あ、うん。ごめんね、せっかく終わったのに、また呼び止めちゃったりして。でも、ちょっとだけ、どうしてもあなたに言いたいことがあって」


 そう言って、天海さんが大山君のほうへ一歩、また一歩と踏み出した。


 いつものように明るく微笑んで、綺麗な金の髪をなびかせて。


「ゆ、夕?」


「夕ちん?」


「もう、二人ともどうしてそんな顔してるの? 大丈夫だって、本当に」


 天海さんはあくまで何でもないように振る舞っているが。


「……な、なに? 天海さん、話って」


「うん。ちょっとね、一個だけ訂正して欲しいところがあるんだ」


 俺たちのことを見る済んだ青い瞳の奥だけが、全然笑っていないように見えて。


「……真樹君とキミじゃ全然違うよ。容姿も性格も、何もかも。似ているところなんて、どこにもない」


 誰にでも優しかったはずの天海さんの口から発せられたのは、これまでの彼女からは予想していないものだった。

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