第250話 バカにしないで


 天海さんが怒っていると、その一瞬、俺は思っていた。彼女も、今回のことはきっと腹に据えかねていただろうし、俺以上に迷惑をこうむったわけだから、一言きつく言ってやりたいという気持ちはわかる。


 天使だなんだと周りから言われていても、天海さんだって、一人の女の子なのだ。友達が悪く言われれば怒るし、つい強い口調になってしまうことも。以前、クラスマッチで荒江さんと喧嘩寸前にまで発展した時はそんな感じだった。


 天海さんは良くも悪くも感情が表情に出やすいタイプ――そう思っていたが、今の天海さんは。


「大山君、一つ訊きたいんだけど、どうして真樹君とキミが似ているだなんて思ったの? 性格が大人しいから? 身長が同じだから? 顔が似てるから?」


「そ、それは……その、」


 静かに怒っている、という表現が正しいのだろうか、微笑みを浮かべたまま詰める天海さんに、今までとは違う雰囲気を感じ取った大山君は、唇を振るわせて言葉に詰まってしまう。


 話を聞くというより、これでは尋問に近い。


「ゆ、夕ちんどうしたの? ちょっと、それはあんまり良くない感じっていうか」


「夕、気持ちはわかるけど、いったん落ち着こ。ね?」


 良くない空気を感じ取った新田さんと海がすぐさま天海さんへと駆け寄るものの、天海さんは『大丈夫だから』と俺たちに構わず続ける。


「全然違うよね? ぱっと見の雰囲気がほんのちょっとだけ同じかなってだけで、中身は全然違うし、それも去年の秋ぐらいまでの話でしょ? そこからずっと頑張ってる真樹君と、周りの目ばっかり気にして、人の脚を引っ張るようなことしか考えられないアナタやアナタの友達とは何もかもが違うんだよ」


「それは、その、確かにそうかもしれないけどさ、」


「そうかもしれないけど、何かな? 真樹君のテストの学年順位は知ってる? 100mのタイムは? 身だしなみにだってすごく気を使ってるし、家事だってお仕事で忙しいお母さんのために一人で頑張って。そんな中でも海……大切な彼女にもいつも優しくしてる、そんな真樹君に勝ってるところ、今のあなたにはあるの?」


「…………」


 何も答えることができず、大山君は体を縮こまらせて、ただ俯いてその場から動くことができない。


 俺と彼の立場がまるっきり違うものになってしまっていることは、多分、彼だってわかってるはずだ。わかってはいるけど、どうしても嫉妬が邪魔して、先のような言動になってしまっただけ。


 天海さんも、その辺はわかっているはずなのだが。


 荒江さんとの口論の時と似たような感じだが、あの時はほぼ荒江さんとの一対一で、俺たち多数対大山君一人の今とはまったく状況が違う。


 まるで、正論で目の前の彼を叩き潰してやろうとでも思っているかのような口ぶりだ。


 ……これ以上はいけない。先程言った通り、俺たちはなるべく早く問題を解決したいだけで、大山君やその周辺をいたぶりたいわけではないのだ。


 それで一時的に心が晴れたとしても、きっと後で空しくなってしまうだけだ。


「天海さん、気持ちはわかるけど、これ以上はやめよう。大山君だって、今のところは俺たちに従ってくれるみたいだし、俺は誰に何を言われても気にしてないから」


「真樹君、でも……」


「夕、お願い。私も真樹も新奈も、夕にそんなことをさせたくないの」


「夕ちん、今はここでヤメだよ。委員長が言うように、これ以上はただのイジメになっちゃう」


「海、ニナち……」


 大山君へとどんどんと距離を詰める天海さんのことを3人がかりでなんとか宥めると、ようやく落ち着いてきたのか、先程まで強張っていた天海さんの体からゆっくりと力が抜けていく。


「大山君、もうここはいいから早く行って」


「え、でも……」


「天海さんのことは気にしないで。今のことは忘れて、さっきまでの話のことだけ覚えててくれればいいから。……あと、今日までバッグボード班の仕事、お疲れ様」


「……ごめん、前原君」


 わずかに頭を下げて小走りで部屋から出ていった大山君のことを確認した後、すぐに俺たちは天海さんを近くの椅子に座らせる。


「ほら、夕。いったん水飲んで、深呼吸」


「……」


 海に言われるがまま、天海さんはコップに入ったミネラルウォーターをこくんと一口飲んで、すー、とゆっくりと深呼吸を繰り返す。


 そこから1分ほど、海に肩を抱かれたまま俯いていた天海さんだったが、呼吸が落ち着いてきたのか、しばらくして一言、こぼすように俺たちに呟いた。


「……バカにしないで、って思ったの」


「? 夕、なに?」


「真樹君と海を……大事な人をバカにされてると思ったの。こんなダメな私のことをいつも助けてくれて、一緒の楽しい時間を過ごしてくれて……そんな優しい人たちを、勝手な思い込みで、あの人たちみたいな卑怯者と一緒にしないでって」


 自分のこと以上に周囲の大切な人たちのことを大事にする天海さんだからこその行動だったが、これまでの噂で嫌な気分を味わったこともあり、つい衝動的にあんなことをしてしまったのだろう。


 そこまで大切に思われているのは嬉しいが、しかし、さっきの件が言い過ぎだったのは事実だし、そこはまた後で、皆で改めて反省しなければ。


 グラウンドへの集合時間まではまだ少し時間があるので、俺たちも本番に向けてひと息入れようと、生徒会室にあるウォーターサーバーから水を拝借して飲んでいると、生徒会室に向かってくる慌ただしい足音が。


「おい、さっき大山のヤツとすれ違ったんだけど……って、その感じだと、もう話はついたみたいだな」


「おはよう、望。それ、応援団の衣装? 似合ってるね」


「ん? おう、ありがとう。古いからちょっと臭うけど、いいよな、これ」


 衣装に着替えてすぐにこちらに向かって来てくれたらしく、望は応援合戦の時に着る専用の学ラン姿だった。ずっと前の先輩たちの代から使われているということで、その丈の長さや、背中に刺繍された代々の応援団の名前に時代を感じさせるが、それも含めてとても格好いいと思う。

 

 そして、野球部や応援団の練習もあって、今回の話にあまり絡んでこなかった分、彼の持つ明るくもゆるい雰囲気が、それまで張りつめていた空気が、ゆっくりと弛緩していく。


「……ったく関、アンタさ~、人がどうやってこの悪い空気切り替えよっかって悩んでるときに、勝手にオチつけてくんのやめてくんない? 委員長もさ、そこらへんもうちょっと空気読みなよ。『その衣装似合ってるね』『おう、ありがとう』って、どこの仲良しカップルだよ」


「いやいや、誰が仲良しカップルだよ。気持ち悪いこと言うな」


「そう? 俺が褒めた時、望、ちょっと顔赤くなってたけど?」


「お前がそっちに乗っかんのかよ!」


 おうくだらないやり取りをしているうち、俺たちの表情も徐々に柔らかくなっていく。


「……ふふっ」


 俺たちのことを見ていた天海さんがくすくすと笑う。今日は朝から色々なことが立て続けに押し寄せた分、なんだかとても久しぶりにその表情を見たような気がして。


「夕、もう甘えなくていい?」


「うん。海のよしよしのおかげで、すっかり。ごめんね真樹君、いつもは真樹君だけの『よしよし』なのに、今日は私が一人占めしちゃって」


「……いや、だから、別にいつもやってもらってるわけじゃないから」


 集合時間まであとわずかというところで、ようやく天海さんが通常営業へと戻る。


 先程のこともあり、メンタル的には多少影響はあるだろうが、一定の決着があった分、競技自体には集中できるだろう。


 モヤモヤを吹き飛ばすため、とにかく全力を出すのみだ。


「あ、そうだ。ねえねえ皆、せっかくだし5人で円陣組もうよ。組同士では後でやるだろうけど、この5人でやれるのは今だけだし」


「頑張るぞ、おー、みたいな? いいんじゃない? 気合も入るし、気持ちの切り替えもできるし。私は夕に賛成」


「ん~、個人的には小恥ずかしいけど、まあ、他の誰も見てないし、たまにはいいんじゃない? じゃ、委員長、あとよろしく」


「俺まだ何も言ってないけど……望、いい?」


「いいぜ。組は違うけど、お互いの健闘を祈る分にはいいだろ」


 こんなまさしく青春みたいなことをやるとは思わなかったが、たまにはいいだろう。


 これだって、しっかりとした思い出だ。


「……えっと、じゃあ、皆手を出して」


 俺が手を出すと、その上にどんどんと手が重ねられる。


 最初に海、そして、天海さん、新田さん、最後に望。


 俺の手の甲に乗っかかる4人の重み。


 これからもずっと大切にしたい友達の暖かさ。


「そういえば、掛け声ってどうする? こういう場合って、グループ名とかあったほうがいいよね? 青組ファイト、みたいな」


「あ~、だね。そういえば私たち5人って特にこれといった名前無かったか。グループチャットも、今のところグループ名『なし』だし」


 俺と海、二人だけから始まって、そこから一人ずつ加わっていったので引き延ばしにしていたが、これ以上増減の予定はないので、内輪の話になるが、そろそろ名称を決めてもいいだろう。


 とはいえ、何がいいかはすぐにはぱっと思いつかないが。


「じゃあ、適当に『海ちゃんズ』とかにしとく? 私ら5人の実質的支配者だし」


「新奈、アンタぶっとばすよ。……それなら普通に真樹の名前使えばいいじゃん。私が裏番かどうかは置いといて、なんだかんだまとめ役は真樹だし」


「じゃあ『真樹君ズ』? う~ん、なんかそれだと語感があまり良くないような……」


「そう? じゃ、間とって『真樹ちゃんズ』で」


「どこの間なの……」


 俺がリーダーでいいのかは甚だ疑問だが、俺が突っ込んだところで、ウチの場合は女子3人の意見が最も尊重されるので、後で変更することも考えて、ひとまず仮でつけておくということでいいだろう。


 形さえ決めておけば、後でどうとでもなる――が、なんとなくこのままの名前で落ち着きそうな気も。まあ、その時はあきらめよう。


「えっと、それじゃあ、まあ、いくよ――」


「「「「うん」」」」


 真樹ちゃんズ、ファイト、オー。


 ……気合が入ったのか逆に抜けたのかわからないが、まあ、このぐらい緩いほうが俺たちらしいのかもしれない。


 さあ、後は体育祭をしっかりと楽しむだけだ。

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