第234話 ひとりの放課後 1


 中村さんの存在に気づいた俺たちは、抱き合っていた状態からすぐさま体を離して、体を縮こまらせる。


 周りを見る限りは目の前の中村さんしかいないようなので、その点はある意味一安心ではある。後は、このことを他の人には何とか内密にしてもらうよう、取り計らってもらうだけだ。


「やあやあ前原君。君とはしばらく会わなかったけど、相変わらず海ちゃんの尻に敷かれてるようで何よりだ。元気だったかい?」


「おかげさまで……それより、中村さんは大分お疲れみたいだけど」


「ふ、わかるかい? そうだよ。一応、智緒先輩たち前生徒会役員の人たちのサポートもあるんだけど、それでも仕事が減らないんだ。前原君、君は机に乗っている書類が調子にのって量を茹で過ぎたパスタに見えたことはあるかい?」


 中村さんの表情を見るに、どうやらかなり苦労しているようである。顔にいつものようなギラギラとした精気はなく、1学期の終業式の日に見た時よりも、若干ではあるが、顔がやつれているような。


 一応、生徒会役員であっても、体育祭の競技には皆と一緒に参加する必要があるので、裏方作業にあわせて、自分の出る種目の練習にもきちんと参加しなければならない。


 いくら俺たちがまだ若い10代といっても、さすがに体力の限界だ。


「ところで、どうしたの? 中村さんが直接私のところに来るってことは……あんまりいい予感はしないんだけど」


「……うん。実は私のかれぴ――じゃなくて、副会長が体調を崩して倒れてしまってね。さっき病院へ連れて行って、まあ、ただの風邪なわけで一安心だったけど、しばらく仕事をお休みしなきゃならなくなったんだ」


「そうだったんだ。じゃあ、久しぶりにお手伝いしなきゃね」


「助かるよ。どうしても今日中に業者に手配しなきゃいけないやつあって……できれば、朝凪ちゃんに手伝ってもらえないかと思って」


 新生徒会が発足して以降、海は11組のクラスメイトと一緒に、雑用など、人手の少ない生徒会の手伝いをしているから、正規メンバーの急病などで手が回らなくなった時などは、いてくれると助かる人材だろう。海は数字に強いし、地味な細かい作業もミスなくできる。


「というわけで前原君、海ちゃんとの甘い時間を邪魔して申し訳ないんだけど、副会長が復帰するまで、彼女のことを貸してくれないか?」


「海がOKなら、俺は別に構わないんですけど……あの、その前に、副会長のことなんですけど」


「……あはは、やっぱりそこ突っ込まれちゃうか。私も気を付けてはいたんだけど、やっぱりこういう隠し事だけは苦手だな、私も」


 流そうかな、とも思ったのだが、副会長のことを話すとき、やけに心配しているような顔と口調だったので気になったのだ。もちろん『かれぴ』についても。


「そういえば、真樹には話してなかったね。……中村さん、私から説明してもいい?」


 顔をほんのりと赤くした中村さんが無言で頷く。これまでの印象や立ち振る舞いから、そういう話とは無縁そうな人かもと勝手に思っていたが、彼女も彼女で、きちんと青春していたようである。


 予想外ではあるが、決して悪いことではないというか、むしろ好ましく思える。


「海は知ってたんだ。中村さんと副会長さんのこと」


「うん。まあ、私も教えてもらったのは夏休みに入ってからだったんだけどね。中学の頃の先輩後輩だったみたいよ。しかも、二人だけの同好会。いいよね、そういうの、なんか甘酸っぱくて」


「なるほど。じゃあ、元から仲は良かったわけだ」


 海の話によると、中村さんと副会長(1年生。名前は滝沢総司たきざわそうじ君というらしい)は、中学時代、ミステリ同好会なるものを二人でやっていたらしく、先輩後輩の垣根を越えて、友達のような関係を築いていたらしい。


 一冊の本を読んで感想を言い合ったり、定期テストの時期になれば一緒に勉強をしたり、休日には同好会の活動と称して図書館に行ったり……個人的にはその時点で普通にカップルである。


 ここまで聞く限りだと、中村さんの卒業を機に恋人の関係に発展してもおかしくなさそうだが、ここから滝沢君がウチの高校に入学する1年間、二人はほとんど連絡を取っていなかったという。


 その理由は、中村さんのスマホに保存されている滝沢君の写真にあった。


「……滝沢君、すごいイケメンだな……」


「だよね。実際、街でめちゃくちゃ声かけられて困ってるって言ってた」


 見させてもらったのは中村さんとの2ショットだが、男子の平均よりも身長が高い中村さんよりもさらに頭一つ高く、どこぞのファッション誌に載っていそうな甘いマスクに、細身で、いかにも理知的な落ち着いた佇まい――多分だが、新田さんあたりが見たらテンション爆上がりだろう。


 そして、実際、彼の周りには可愛い女の子が沢山いたそうだ。幼馴染やクラスメイト、そして彼のことを狙う中村さんの同級生、他校の生徒や後輩――そういうのもあって、中村さんは卒業と同時に身を引いてしまった、と。


「でも、副会長……滝沢君は、1年生の頃からずっと自分と友達のようにしてくれた中村さんのことが好きだったみたいで、ちょうど今年の春、内緒で入学してきた、と。生徒会に入ったのは先生に頼まれて仕方なくだったらしいんだけど、本当はまた二人で同好会やりたかったみたい」


「! あ、じゃあ、中村さんが生徒会長を引き受けた理由っていうのは……」


 中村さんが智緒先輩から会長職を引き継いだ際、ちゃんとした理由があると言っていた記憶があるが。


 中村さんのほうを見ると、こちらから目を逸らし、俯くようにしてこくりと小さく頷いた。


「……そうだよ、悪いかい? 普段は飄々としているような私も、結局は、どこにでもいる一人の女子だったというわけさ。生徒会活動に興味なんかない私が心変わりしたのは、生徒会長のスカウトでも、担任の懇願でもない。後輩の男の子の『先輩とまた一緒にやりたいです』っていう一言だよこんちくしょうっ!」


 で、そのままの勢いでお付き合いする流れとなった彼氏が病気で倒れてしまったわけだから、確かに、元気になんかなくなってしまうし、そんな中で俺と海が元気よくイチャイチャしている場面を見てしまえば、多少は腹も立ってしまうだろう。


 事情を知らなかったとはいえ、なんだかとても申し訳ない気分に。


「――ということで、人の口から改めて聞くと滅茶苦茶恥ずかしい馴れ初め話と引き換えに、朝凪ちゃんをレンタルさせてもらうよ。……じゃ、早速ですが助けてください朝凪様。涼子とか美玖はどうしても無理らしくて、あなた様だけが頼りなのです」


「しょうがないなあ……真樹、これから居残りだから、帰り、大分遅くなっちゃうだろうけど、どうする? お疲れだろうし、先に帰っててもいいよ?」


「いや、海が終わるのを待ってるよ。最近暗くなる時間早くなってるし、それなら俺が一緒に帰ったほうが空さんも安心だろうから」


 また、空さんからも『寂しいからまた晩御飯食べに来てちょうだい』としきりに言われているので、海を家まで送っていくついでにお邪魔してもいいだろう。


「そう? じゃあ、なるべく早く終わらせるから、学食とかで時間潰してて。あそこならしばらく空いてるし」


「了解。終わったら、いつもみたいにメッセージ飛ばして。すぐ迎えに行くから」


「うん。……じゃあ真樹、行ってきます」


「うん。行ってらっしゃい」


 そうして、海は中村さんと一緒に生徒会室へ、俺の方は予定通り、青組の集合場所へと、それぞれ別れることに。


 大好きな海と一緒に帰るためなら、2時間でも3時間でもじっと待つつもりではあるけれど……さて、ここからどうやって、この学校で時間をつぶそうか。

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