第235話 ひとりの放課後 2


 ――今日は初日ですが、皆さんお疲れさまでした。明日以降も練習は続くので、出来るだけ早く寝て、明日に備えてください。それでは解散っ。



 3年の先輩の挨拶が終わって、ようやく初日の練習から解放された。今日は朝から晴天で、暑い中での練習だったものの、生徒会や保健・体育委員による対策や見回りでの声かけなどの対策が万全だったこともあり、練習に参加した生徒には熱中症などの問題が起きず。


 海や中村さんなど、生徒会に関わっている人たちもほっとしているだろうな、と個人的にも胸を撫でおろしていると、俺のことを見つけた天海さんが声を掛けてきた。


「真樹君っ」


「天海さん」


「えへへ、今日はお疲れ様。グラウンドで二人のことちらっと見てたけど、いっぱい練習頑張ってたね。海、結構厳しかったでしょ?」


「うん。正直、初日なのにもうヘトヘトだよ」


「ふふ、だよね。私も今日は張り切っちゃって、久々にバテちゃったよ~」


 天海さんはそう言うものの、どう考えてもヘトヘトな人の笑顔には見えない。


 多分、これから追加であとグラウンドを10周しろと言われても、涼しい顔でこなしそうな雰囲気をひしひしと感じる。天海さん自身、先程のリレーの練習で、何度も全力ダッシュを繰り返していたを海と見ていたのだが。


 ……やっぱり、持っているモノが根本的に違うようだ。


「真樹君、ところで海は? 練習が終わるちょっと前からいなくて、どうしたのかなってずっと思ってたんだけど」


「海は中村さんにお願いされて、生徒会室にお手伝いに行ったよ。なんか、副会長さんが風で寝込んじゃってるから、そのフォローにって」


 事実のみ伝えて、ちょうど海と二人でこっそり休憩してじゃれ合っているのがバレた部分は伏せる。


「副会長って、あ、もしかして、あのすごく格好いい1年生の男の子? タキザワくん? だっけ?」


「! その人のこと、天海さんも知ってたんだ」


「うん。ニナちが『1年生にすごいイケメンの子がいる』って騒いでたのが頭の片隅に残ってたから、それで」


 思っていた通り、新田さんはすでに滝沢君の情報を掴んでいたらしい。


 まあ、写真を見る限り、それだけ目を引くほどの雰囲気はあったから、当然といえば当然か。


 ……そして、そんな滝沢君の存在があっても、やはり相変わらず、天海さんにはいまいちピンと来ていない様子で。


 今はこの場にいない望も、きっとほっと胸を撫でおろすに違いない。


「じゃあ、今日は真樹君、帰り一人なんだ。私も出来れば皆と一緒に帰りたかったんだけど……これからまたバッグボード班は作業があって――」


 ――天海せんぱ~いっ、これから作業ですけど、集合時間どうします? 


「あ、うん。じゃあ、15分後に作業場に集合にしよっか。……ごめんね真樹君、私、もう行かないと」


「うん。大変そうだけど、頑張ってね」


「うん、頑張る。応援ありがとね、真樹君っ」


 疲れなど一切感じさせずに金色の髪をふわりとなびかせて、天海さんは足早にグラウンドを後にする。


 ――なあ、やっぱりあの子、めちゃいいよな。


 ――な。明るいし、1年生のフォローもしっかりして優しいし。


 その様子を見ていた一部男子生徒からも、そんな声がちらほらと聞こえてくる。


 頼られたり、人望があることは決して悪い事ではないのだろうけど……人気者の辛いところだ。


「――おうおう、彼女がいないのをいいことにその親友の金髪美少女と浮気かあ? まったく、人畜無害そうな顔して、とんだヤロウだな、委員長さんよ?」


「話しかけられたからそれに応対してただけなんだけど……」


 大分ひどい言い草だが、しかし、相手が新田さんなので軽く流すことに。


 多分、天海さん同様、俺が一人でぽつんといたので、声を掛けてくれたのだろう。接し方が冗談っぽいだけで、根っこは天海さんとそう変わらない。


「……ねえ、なんで笑ってんの? それはさすがにちょいキモイだけど~?」


「ああ、ごめん。別に」


 新田さんのことも、ようやく少しずつ分かってきた気がする。


 とにかく、俺の周りにいる人たちが良い人たちばかりでよかった。


 しかし、海とちょっと一緒にいないだけで、そこまで心配されるとは。まあ、それだけ学校でも二人でべったりしているのだろう。


 ……俺も海も、これでも気を付けているほうなのだが。


「なんか滝沢君の話してたみたいだから飛んできたんだけど……委員長、もしかして、あの子と繋がりがあるん? ねえ、一生のお願いだから連絡先教えて?」


「いや、知らないけど……」


「え~? って、まあ、そりゃそうだろうけどさ。委員長だし」


 一瞬、中村さんとの仲のことが頭をよぎったが、先程聞いたばかりの話を言いふらすのもあまり良くないと思い、踏みとどまる。


 もちろん新田さんを信用していないわけではないが、まあ、彼女ならすぐに真実に辿り着くだろう。


 かくかくしかじか――海の生徒会へのお手伝いの件を、新田さんへと伝える。


「なるほど、滝沢クンは病欠中なのね……むう、こうなることがわかってりゃ、喜び勇んで生徒会に入ってたってのに……」


「新田さん、相変わらずだね」


「は? 当たり前じゃん。私はウミや夕ちんと違って、近場で妥協とか、そういうのは絶対しないから。求めてくから、理想を」


 これが男性関係でなく、勉強や仕事関係ならものすごく尊敬できるのだが、しかし、そういうところが新田さんらしくも、


「……ん?」


 と、考えたところで、俺は一瞬、違和感を覚えた。


 新田さん、先程『ウミや夕ちんと違って、近場で妥協――』と言った。


 海の『近場』とはすなわち俺のことなので、そのことはあとで海にとっちめられればいいと思っているが、ひっかかかったのは天海さんのほう――。


「新田さん、天海さんって、好きな人とか出来たの? 今、天海さんが、近場で妥協したとかなんとかって」


「ん? ……ああ、ごめんごめん。夕ちんって最近、関とも仲良さげっぽいからイメージでそう言っちゃっただけで、別に好きな人が出来たとかそういうんじゃないから。うん」


「だよね……さすがに」


 新田さんがさらっと言ってくるので、ちょっと驚いてしまった。


 現状、天海さんとの仲が最も近い男子は、俺の知る限りは望ぐらいだから、ついに望の想いが実りつつあるのか、と内心、柄にもなくテンションが上がりそうになってしまったが。


「私も、そこはごめん。ま、そこは私の可愛さに免じて許すことを許可してあげる」


「日本語が色々とおかしいんだけど……まあ、今日は疲れたし、お互い頭がぼーっとしてたってことにしておこうか」


「……だね。じゃ、私こっちだから」


「うん。じゃあ、また明日」


「ん。お疲れ」


 着替えのために体育館へと戻る新田さんと別れて、俺のほうも、さっさと制服に着替えるべく自分のクラスへと向かう。教室の施錠時間まではまだ1時間ぐらいあるが、砂埃や汗が付いた体操服をいつまでも着てるわけにもいかない。


 グラウンドで少しのんびりしていたこともあって、すでに学校に残っている人はまばらだ。残っている人たちは、ほとんどが体育祭のための何かしらで作業していて、所属する組の色のボンボンや、応援合戦の際に使う道具を作っている人たちなど――実質夏休み明けとはいえ、皆、楽しそうにしている。


 ちょうど、去年の文化祭の時のように。


 そういえば、あの時も、大変ではあったけど、今思い返せばとても楽しかった。


 大事な『友だち』がいつも俺の側にいたから――。


「……俺、本当に海のことが大好きなんだなあ」


 静かになった廊下を歩きながら、俺はぼそりと呟く。


 一人でいるとき、こうしてぼーっと物思いにふけるとき、大体頭の中に浮かぶのは彼女のことだ。


 まともな学生生活を送り始めたのは海と友達になってからなので、俺の思い出のメインが海一色になりがちなのは当然なのだが、客観的に見ても考えすぎだと思う。


 委員決めのくじ引き、学校に二人きりで残っての作業、天海さんとの心の溝、ほんの少しの仲違い、屋上でこっそり繋いだ手――そのどれもが大切な思い出で、そこに出てくる海のことが、誰よりも愛おしくて。


 そう考えていると、すぐに海とじゃれ合いたい衝動に駆られてしまう。


 二人でいないと落ち着かないのは、俺も同じなのだ。


「……って、いかんいかん。とりあえず、今は落ち着かないと」


 あんまり海のことばかり考えると悶々としてしまうので、それはまた後にとっておいて、ひとまず帰る準備を整えておくことに。


 体操服を脱ぎ、替えのタオルで体の汗をぬぐった後、男性用の制汗スプレーをしゅーっと吹きかける。今までは汗をかいても適当にハンカチで拭うだけだったので、身だしなみについては大分成長したと言っていい。


 まあ、スプレーも、それからカバンの中にある汗拭きシートやあぶらとり紙も、全部海に言われて買ったものなのだが……今後は言われなくても定期的に購入しておかないと。


 制服に着替え、スリープ状態のスマホにわずかに移る自分の顔を見て前髪をちょいと整えた後、自分の机に座って、ふーっと息を吐く。


 後は海から連絡が来るのをじっと待つだけだが……思った以上に時間の進みが悪い気がする。


 それなりに着替えに時間を使ったつもりだったが、それでも10分と経っていない。それだけ手際がレベルアップしているので、それはそれで喜ばしいことなのだが、時間を潰すという観点から言うと、なんだかとても損をした気分になる。


「……まあ、寝るか」


 疲れもあるので、スマホのアラームを設定しても気づいた時には深夜――となりがちだが、教室の施錠のために先生が見回りに来るので、その心配はほぼない。


 時間の使い方が昔に戻った気もしなくもないが、まあ、ぼっちの時の俺なんて所詮こんなものだ。


 体操服入れのバッグを枕替わりにして、机の上に突っ伏す。学校でも最近はぼっちでいることが少なくなったのでやらなくなってしまったが、久しぶりにやってみると、たまには悪くないかもと思ってしまう。


 まぶたもどんどん重くなってきたので、ひとまずセットしたアラームの時間までのんびり昼寝(もしくは夕寝)をしようと、俺が意識をゆっくりと落としていると。



 ――あ、アイツって例の……。



「……ん?」



 教室の扉が開く音と混じって、そんな誰かの声が聞こえてきた。

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