第196話 恋愛相談


 妹には内緒で話をしたい、という陸さんの希望で、俺は陸さんが待つ駐車場へと向かった。


 一緒に場所を移すつもりだったのだが、思いのほか、寝ている海が俺にぴったりくっついて離れてくれなかったので、先に行って待ってもらうようお願いしたのだ。


 トイレに行くから、とお願いしてなんとか旅館の外へ出ると、すでに外は明るくなり始めており、朝を告げる鳥のさえずりが遠くから聞こえてきた。


「……悪いな、まだ眠いのに」


「いえ。……せっかくですし、散歩でもしますか?」


「だな。歩きながら話そう」


 俺と陸さんの二人で、一昨日に海と歩いた散歩コースへ。こういった山道を歩くのは陸さん的には懐かしかったようで、道中、在職時の訓練の思い出などについて少しだけだが、話してくれた。


 訓練で食べた虫の味や、蛇にお尻を噛まれて大変な思いをしたことなど――昆虫も爬虫類も苦手な俺の反応を見て、陸さんはとても楽しそうだ。


 詮索をするつもりはないが、どちらかというと、人間関係での悩みのほうが退職理由としては大きかったのかもしれない。


「……それで、その、本題の件なんだが」


「はい」


「お前の言う通り、ちゃんと雫と話をしてきたよ。俺がこの町を出て行ってから、今までのこと、全部。雫も、酒の勢いを借りてた感じだけど、ちゃんと話してくれたよ」


「……よかったですね」


「まあ……あ、いや、雫が俺のことを好きだったのは元々わかってたから、別に大したことないけど」


 陸さんはそう言うものの、きっと照れ隠しだろう。


 途中で紆余曲折はあっても、お互いにまだ通じ合っているのがわかったわけだから、陸さんも雫さんも満更ではないはず。


 だが、それで二人がくっついて終わりなら、明け方まで時間がかかったりはしないだろう。別のことをしていた、とかなら話は別だが。


「雫は、やっぱり結婚したことを気にしてた。大学卒業して割とすぐだったから、薄情な人だと思われるかも……ってな。そんなこと言ったら俺だって、仕事の付き合いもあったとはいえ遊んだりはしてたわけだし」


 好きな人を一途に思い続けるのも立派なことだと思うが、この二人は高校以降、気持ちが離れてしまっているわけで、その間に、お互いが何をしていようが自由だ。


 陸さんのことを忘れようと他の人とお付き合いするのも、雫さんに未練を残しつつ夜の街ではしゃいでみても。


「結構な時間話したけど、結局、大した結論にはならなかったよ。そりゃ、お互いまだ好きな気持ちが残ってるってわかった時は嬉しかったけど、でも、だからってそのまま酒の勢いを借りて……って気分にはならない。俺はともかく、雫にはもう怜次君がいるんだから、それを蔑ろにして自分の気持ちだけに正直にってのは、どう考えてもおかしい」


「それじゃあ、どうして俺に相談なんてしようと思ったんです?」


 少し意地悪なことを訊いてしまったかもしれない。


 朝早くに起こされてちょっと不機嫌だったから――ではもちろんなく、俺なんかに相談する時点で、陸さんの気持ちはなんとなくわかる。だが、俺が陸さんの背中を押すためには、きちんと言葉で聞いておかなければならないと思ったから。


「……俺がまだ雫のことを大好きなままだからだ」


 顔を赤くした陸さんが、俺に対して、静かに自分の気持ちを吐露する。


「再会した時は何かの間違いだと思ったよ。もう10年以上経つのに、忘れたと思ったのに、アイツから『りっくん』って呼ばれた時、あっという間に昔に引き戻されて……俺の贔屓目がすごいだけかもしれないけど、アイツ、昔よりもずっと可愛くなったような気がして。……なあ、真樹、俺っておかしいか? 年上趣味なんてなかったはずなんだけど」


「いえ、普通だと思います」


 それだけその人が好きな証拠だと思う。俺だって、海に対して似たような感情を持っている。


 昨日より今日、今日より明日。一緒にいて、どんどん海のことを好きになっている。


「正直、会った瞬間から意識しまくってた。あと2、3年で30の大台に乗るようなヤツが、まるで中坊のガキみたいに挙動不審になって……俺なんか、全然大人じゃない。妹にお説教されてもしょうがない大馬鹿だ」


「じゃあ、今まで雫さんにやけによそよそしかったのは、気を使ってたとかじゃなくて、単純に恥ずかしかったから……とかですか?」


「……まあ、うん。昔は大丈夫だったはずなんだけど、まともに話すのなんてマジで久しぶりだったから、近くにくるだけで、その、ドキドキ……してしまって」


「……な、なるほど」


 どうコメントしていいか迷う。

 

 なんだろう、陸さんとは10歳以上も歳が離れているはずなのに、なんだか同年代――いや、下手したら後輩と話しているような気すらする。


 海の親友である天海さんに対しても挙動不審な態度をとってしまうらしいことから、俺と同じく女性慣れしていないのはわかっていたが。


 ……仕事上、おそらく我慢していた面もあるのだろうが、それでよく夜の街で『卒業』できたものだ。


 ともあれ、これこそ『朝凪陸』という人の本当の姿なのだろう。


 要領は決して良くなく、そのせいで人よりも多く挫折や葛藤を経験しているにも関わらず、それでもなお優しくありすぎようとする『お兄さん』。車の運転は上手いし、背も高い。ついでに妹思い。

 

 今はちょっとだけ怠けものなのが玉に瑕だが、それもいずれは元に戻るのだろう。


 しかし、そうなると、陸さんはきっとまた体が動かなくなるまで頑張ってしまうはずだから、そうならないためには、誰かが気づいて止めてあげなければならない。


 それができるのは、多分、雫さんだけだ。


「真樹……お前の意見を聞かせて欲しい。お前なら、こういう場合どうする? やっぱり正直に好きって伝えたほうがいいのか? 俺、今は無職だし、しかも相手には子供がいるんだけど、それでも大丈夫なのか?」


「と、とりあえず落ち着きましょう。まだ出発まで時間はありますから」


「あ、ああ、そうだな。すまん、なんか取り乱してしまって……」


「いえ、俺も海と付き合う前はそんな感じになってましたから」


 とはいえ、難しい判断である。


 陸さんの答えはすでに決まっていて、後は誰かが背中を押してあげれば状態だと思う。


 だが、さっき本人が言った通り、陸さんは収入がない状態で、雫さんはシングルマザーだ。二人はすでに大人であり、高校生の時のような恋愛にはいかないのだろう。


 だから、ちょっとした幸運に恵まれただけの『子供』の俺では、この問題が丸く収まるような答えを出すことは難しいだろう。


 雫さんへどう伝えるかは、陸さん本人で考えてもらうしかない。俺の力で背中を押すぐらいはできるだろうが、セリフまでは力不足である。


「そうですね……もし今、俺が陸さんに言えることがあるとするなら、それは――」


 そうして、俺は、陸さんに当たり前のことを伝えた。

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