第178話 バツイチ子持ち


 レイジ君の本当の名前は、清水怜次しみずれいじ君。現在は4歳で、お母さんである雫さんと一緒に『しみず』の従業員用の部屋で暮らしているという。


 俺たちと出会った当初、怜次君は自分のことを『オカモト』と言っていたが、これは怜次君のお父さんの苗字だ(岡本)。雫さんはちょうど一昨年の冬に離婚し、怜次君を連れて実家である『しみず』に戻ってきていたわけだが、当然、まだ幼い彼が、『自分の名前は清水怜次』であることを理解するには早いわけで。


「海ちゃん、真樹君、今回のことは本当にごめんなさいね。怜次には部屋で大人しくするよう言ってて、いつもはしっかり言いつけを守ってたんだけど……」


 夕食の時間まで待って、俺たちは雫さんから怜次君が迷子になってしまった経緯を聞いた。


 すでに自分の部屋に戻ってぐっすりと寝ている怜次君に聞いたところ、どうやら原因は俺たちが乗ってきた車にあったらしい。


 雫さんが仕事中の間、退屈だった怜次君は部屋の窓から外を眺めていたらしく、その時にちょうど俺たちの車が乗る黒のワンボックスカーを見つけて、すぐに駐車場に行ってしまったらしい。


「『いつも乗ってる車に似てたからお父さんが迎えに来てくれたと思った』、か……まあ、もうずっと会ってないわけですから、つい行きたくなる気持ちもあるでしょうね」


「ええ……あの子、お父さんのこと、大好きだったから……子供にだけは本当に優しかったから、あの人は」


 離婚の原因は訊かないが、それだけ雫さんにとって許せなかったということだろう。


 俺も似たような経験を持っているから、そう言う話を聞くのは、今日あったばかりの他人でも感情移入してしまって辛い。


「で、よくよく近づいて見てみれば、お家の車じゃないことには気づいたけど、そこで散歩道をとことこ歩いてたタヌキを見つけちゃって、そっちに気を取られちゃって、山道に入っちゃった、と」


 まさに典型的な迷子パターンだが、4歳ぐらいの男の子なら、そのぐらいのことも起こり得ると思う。もちろん幼い子ども全員ではないが、夢中になってしまうと、お母さんの言いつけなどすっ飛んでしまうこともある。


 ちなみに俺も子供時代はそうだったらしいが……まあ、この話は本件と全く関係ないので、本題に戻る。


「とにかく、海ちゃんに真樹君、怜次のこと見つけてくれてありがとう。本当はもっとちゃんとお礼したいところなんだけど……いいの? その、お礼がこんなもので」


 現在、俺たちは予定より早めに夕食をいただいているのだが、本来予定されていたものに1品デザートを追加してもらうことで、そのお礼ということにしてもらった。


 もともとお礼なんてもらうつもりはなかったのだが、それでは雫さんも気にするだろうと思い、特別に作ってもらったのだ。


「それと……その、りっくんもありがとうね。運転で疲れてたのに、一緒に探してくれて」


「ああ、いや……さすがにこの状況なら俺だって協力はしないと……雫に子供がいたってのは、ちょっとびっくりしたけど」


「ごめんなさい……本当は言おうと思ってたんだけど……その、なかなか言い出せなくて」


「あのさ、もしかして、ウチの婆ちゃんには……」


「うん、ちゃんと言ってるよ。みぞれ婆ちゃんには、こっちに帰ってきてからものすごくお世話になってて……同窓会の時は怜次のこと預かってくれたり……あ、婆ちゃんが言わなかったのは、私がお願いしてたからだよ。自分でちゃんと言いたいからって。だから、責めないであげてね」


「それはまあ、俺もわかってるけど」


 みぞれさんや空さん、陸さんだけならともかく、この街とは全く関係ない俺もいたので、それで問題なかったと思う。


 まあ、そのこともあって、陸さんにとっては驚くこともいっぱいあっただろうが。


 久しぶりに再会した幼馴染がすでに結婚していて、しかも離婚し、4歳になる子供までいるだなんて……処理しなければならない情報量があまりにも多すぎる。


 そのこともあって、せっかくの夕食も、陸さんのお箸はあまり進んでいなかったり。


「雫さん、あの、ご飯のおかわりもらっていいですか? 今日の料理、とても美味しいです」


「あら、それはよかった。そっちのほうが私たちも嬉しいから、今日はお腹いっぱい食べてちょうだいね。海ちゃんは?」


「真樹が食べるなら、私ももらっちゃおっかな。……明日の体重のことは、ひとまず考えずに」


「ふふ、そうね。女の子はそういうの大変よね」


「そうですよね。私がこんなに気にしてるのに、真樹ったら私の脇腹とかお腹とかぷにぷに触って『こっちのが気持ちいい』だなんて言うんだもん。さっきの山道の時なんか……」


「山道? 二人とも、何かしてたの?」


「……あ」


 つい口を滑らせてしまった海、そこで自爆してしまったと気づくが、時すでに遅し。

 

「ふふ、海ちゃん?」


「……はい」


「今の話、一応、忘れておくね?」


「……すいません」


 海がほんのりと赤くなって俯く。あの時は二人ともあの状況に頭がぼーっとしていて感じなかったが、誰もいないとはいえ外で過剰にいちゃついたのはやり過ぎだったと思う。


 ……俺もなんだか顔が熱くなってきた。まだ食事は全部食べていないものの、一口でいいからアイスが欲しい。

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