第177話 迷子の正体


 ひとまず俺にも海にも身の危険は起こりようがないのでその点は安心だったものの、これはこれで困ったことになった。


 散歩コース外からひょっこりと現れたから、おそらく山に一人で入って遊んでいるうちに迷ってしまったのだろう。


 涙や鼻水で顔はぐしゃぐしゃだが、ぱっと見た所、来ている服は土や砂で多少汚れているものの、肘や膝、顔など、目立つところに怪我などはなさそうだ。


「海、とりあえず、話を聞いてみようか」


「だね」


 この状況で続きをするわけにもいかないので、お互いに乱れた服装をささっと直してから、べそをかいている男の子のほうへ。


「おねえちゃんたち、だれ?」


「私? 私とここのお兄ちゃんは、近くの旅館に泊まってるお客さんだよ? ボク、お名前は?」


「レイジ……オカモトレイジ」

 

 雫さんの話によると、今日のお客さんは俺たちしかいないらしいから、ということは地元の子だろうか。


「レイジ君か。よしよし、こっちおいで。もう安心だからね」


「うん……」


「お、泣き止んだね。えらいぞ」


 レイジ君の顔をハンカチでさっと綺麗にして、海が彼のことをぎゅっと抱きしめると、少し落ち着いたのか、泣き声のほうはすっかりおさまってしまった。


 幼い子の扱いも手馴れているとは、さすが海。話を聞こうとしたのはいいものの、どう話しかけるべきかと逡巡していた俺とは雲泥の差である。


「それで、レイジ君のお父さんとお母さんは? 一緒じゃないの?」


「うん。あんまりとおくにいっちゃダメだめだよって、ママにいわれた」


「でも、外に出て遊んじゃったんだ?」


「……」


 いけないことをしてしまった自覚はあるのだろう。レイジ君は海の問いに無言で頷く。


 このぐらいの年齢の子は好奇心も旺盛で、まだしっかりと判断力が備わっているわけでもないから、ちょっとでも興味を引くものがあったりすると、ちょっと目を話した隙にどこへでも行ってしまう。それで行方不明になってしまう話も度々聞くし、そう考えると、俺たちがこの時間に外にいて本当に良かったと思う。


 ……休憩の目的がちょっと不健全なのは、まあ、目をつぶっておくとして。


「海、ちょっと残念だけど、源泉まで行くのはまた明日にして、ひとまず旅館のほうに戻ろう。海、陸さんの電話って繋がる?」


「かけてるけど、まったく応答なし。あのヤロ、こんな時にのんきにぐうすかと寝てやがって……」


「まあ、イレギュラーなことだし……とにかく、旅館に戻れば後は雫さんがなんとかしてくれるよ」

 

「だね。レイジ君、ちょっと大変だけど、まだ歩ける?」


 海の問いに、レイジ君はふるふると首を振った。多分、俺たちに会えて安心したところで力が抜けてしまったのだろう。一人で立ち上がることは出来るけれど、足元がふらついていて、ちょっと危なっかしい。


「海、レイジ君は俺が抱っこするから、海は俺の荷物をお願い。来た道を戻るのはちょっと急だから、そのまま散歩コースをぐるっと回って」


「よしきた。でも、腕が疲れたらちゃんと言ってね」


「了解。えっと……じゃあ、レイジ君。俺のほうに捕まって」


「……ん」


 しっかりと首のほうに腕を回させてから、俺はレイジ君を抱きかかえる。これが正しい抱っこなのかどうかはわからないが、レイジ君も嫌がってはいないようだから、このままさっさと行ってしまおう。


 日没の時間はまだまだ先だが、山の中ということもあって、出発した時よりもさらに薄暗い。シカやイノシシに出くわすことはさすがにないだろうが、レイジ君を抱っこしているので、足元には余計気を遣っておかないと。


 ゆるやかな坂道を歩いていったん頂上付近までいき、そこから帰り用の下りルートへ。こちらは旅館までかなり迂回することになるものの、その分だけ安全に特に配慮されているらしく、小さな子供などと一緒に歩くときは、こちらでの往復がおススメだそうだ(地図に書いてある)。


「ねえ真樹……レイジ君、寝てるね」


「うん。多分、よっぽど疲れてたんだろうな」


 これまでの疲れや緊張の糸が解けたことによって安心したのか、俺の胸に顔を埋めて、レイジ君はすーすーと穏やかな寝息を立てている。


 意外にレイジ君が重く、結構腕に負担がかかりつつあるが、ここは起こさないようしっかりと我慢だ。


「……んう、パパ……ママ……」


「ふふっ、パパとママだって。この場合、真樹がパパで私がママってことになるのかな?」


「かな。でも、そう呼ばれるにはまだ早い気もするけど。俺はまだ16、海だって17になったばかりだし」

 

 しかし、いつかは俺と海もこんなふうになったりするのだろう。高校を卒業してもずっと交際を続けて、大学を卒業して、就職をして、それから――順調に行けば、数年後には今と同じように親子で歩いているかも。


 今はまだそんなことを考える段階ではないけれど、でも、いずれ、必ず。


「……あのさ、海」


「ん? どした?」


「その……ごめん、やっぱり今の忘れて」


「え~? そこまで言って引っ込めちゃうの? そんなこと言われたら、余計に気になっちゃって夜しか眠れなくなっちゃう」


「普通の睡眠じゃないですかそれ……」

 

「んふふ~、まあ、私は出来た彼女ですから、なんやかんや言いつつ彼氏が言ってくれるまで待っちゃう健気な女の子なんですけど。こんないい子を彼女に出来て、真樹は幸せ者だね、このこのっ」


「あ、こら……あんまりちょっかいかけるとレイジ君起きちゃうから」


「だって、さっきから真樹ったらずっとレイジ君のことばっかりなんだもん。ねえ、部屋に戻ったら、私のことも抱っこしてよ~」


「いやそれはちょっと物理的に無――」


「ちょうしのんなおまえ」


「……すいません」


 と、こんな感じで海からの構って攻撃も受けつつ、なんとかレイジ君を抱っこしたまま、コースの終点である駐車場付近へ。子供を抱っこするのは人生で初めてのことで、また、子供の扱いもよくわからず戸惑ったが、隣の海のサポートと、レイジ君が大人しくしてくれたおかげでなんとか助かった。


「さて、あとはこの子をとりあえずフロントに連れて行って……ん?」


 駐車場に入ったところで、俺たちはタイミングよく雫さんを見つける。外の掃除でもやっているのだろうか、と一瞬思ったが、それにしてはなんだか様子がおかしい。


 道具も持っていないし、表情もなんだか思い詰めているような。


怜次れいじ、怜次、どこ? 返事をして!」


「おーい! 怜次くん!」


 その理由は、すぐにわかった。


「? 雫さんの隣にいるの、アニキじゃん。寝てたと思ったのに……もしかして、ずっと雫さんと一緒にいたのかな?」


「かもね。あと、多分探している迷子は……」


 今、俺にしがみついて寝ているレイジ君のことだろう。


 レイジ君が旅館のお客さんではないことは確定だから、ということは、雫さんのあの様子を見ると……とにかく、すぐに無事を伝えなければ。


「雫さん!」


「! 真樹君、それに海ちゃん……」


「あの、この子、さっき山道で迷子になってるのを見つけて連れてきたんですけど……もしかして、この子……」


「! 怜次」


 雫さんの声に反応するようにして、それまで寝ていたレイジ君が目を覚ました。


「んぅ……?」


「怜次!」


「あ……ママ! ママだ!」


 雫さんの声で元気を取り戻したレイジ君を降ろしてやると、安堵した表情で腕を広げた雫さんのもとへと一直線に駆け出した。


「ねえ真樹、私さ、なんとな~くその可能性もあるかな~、と思って、でもまさかそんなことある? って思って言わなかったんだけど……苗字も違ったし」


「うん。俺も実は海と同じこと考えてた……予感って、割と当たるもんなんだな」


 俺たちが拾った迷子の正体は、雫さんの息子さんだったのだ。

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