第137話 うみぱい
天海さんを追いかける形で俺と海が体育館すぐそばにある水飲み場へ行くと、バシャバシャと顔を洗っている天海さんがいた。
「夕、はいタオル。ちょっと使っちゃってて申し訳ないけど」
「……海ぃ」
海が首にかけていたタオルを天海さんに渡そうとすると、天海さんは、それを受け取らずにそのまま海の胸へと飛び込んできた。
「あ、もう……それは別にいいけど、顔のほう先に拭かなきゃ……ほら、いったん離れて、顔上げて」
「うん……ぐすっ」
鼻声で応じた天海さんの顔を、海がタオルでやさしく拭っていく。顔を洗ってもなお瞼からとめどなく溢れる涙を、まとめて引き受けるように。
「ごめん……ごめんね、海。本当はもっとちゃんと落ち着かなきゃって思ったんだけど、荒江さんがボールを思いっきり叩いたのにびっくりしちゃって……あんなこと、言うつもりなんかなかったのに」
「ううん、こっちもちょっとアイツの鼻を明かしてやりたくて、本番でもないのにちょっと露骨にやりすぎちゃった。……ほら、おいで」
「……うん」
涙が少しおさまったところで、海が再び天海さんを自分の懐へと抱き寄せ、天海さんの柔らかな金色の髪をくしゃくしゃと撫でる。
去年の冬、ちょうど家庭のことで取り乱した俺にやってくれた時と同じように
「……えへへ、海の匂いだ。こんなふうにしてくれるの、いつぶりだっけ」
「初めて会った時ぐらいじゃない? あの時はまだ夕も泣き虫だったし、同じクラスになるまではたまにこうして慰めてたよね」
「そっか……じゃあ、今度からはもっとして欲しいな」
「ん~……まあ、考えとく」
「え~? それ絶対してくれないやつじゃん」
「これは特別な時にしかしない主義なの。いつもやってたら慣れちゃうし」
「……真樹君にはいつもやってあげてるのに?」
「っ……!? 夕なんでそれ……」
ちら、と怪訝な表情の海の目がこちらの方に向くが、俺は必死に首を振って否定する。
あの時以降、確かに二人きりでじゃれ合っている時にしてもらうことはあるが、これは本当に二人の秘密で、いくら天海さんといえど、そんなことを言いふらすことなどありえない。
「あ、なんだ。あてずっぽうで言ったけど、やっぱりそうなんだ。真樹君、いいな~」
「……夕、もう元気そうだから離れてもらっていい?」
「ああん、ごめんなさい~! 謝るからもうちょっとだけ~」
そう言って、天海さんが海の胸に顔を擦り付けてくる。俺たち以外誰もいないとはいえ随分な甘えん坊モードだが、まあ、そこの場所の心地良さは、俺にもわかる。
以前、両親との件で不眠気味になっていた時、そうやって海の部屋で朝までぐっすりと眠ってしまった俺が言うのだから、間違いない。
「真樹君も、ごめんね。せっかく止めようとしてくれたのに、私ったら突っぱねて、結局カッとなっちゃって」
「大丈夫。あれくらい怒るのは当然だし、それに先週の海に較べたら全然可愛いものだったし」
「まきくぅん? なんかいったあ?」
「あ、いや……ほら、言葉の綾というか、なんというか……あの、すいません調子に乗りました」
「……もう、真樹のばか」
ぴしん、と軽いデコピンをもらってしまったが、その様子を見ていた天海さんが楽しそうにくすくすと笑ってくれたので、このぐらいの痛みなら良しとしよう。
天海さんも人前でつい感情的になってしまったとはいえ、これまでのもやもやを吐き出したことで多少はスッキリしたのか、それまでの怒りの感情は完全に消え失せて、いつもの明るい表情に戻っている。
怒りに身を任せるのもよくないが、だからと言って、もやもやを抑え込んで自分の心がダメになるのもよくないし――俺も経験があるが、ここのバランスが本当に難しい。
コミュニケーションや感情については、俺もまだまだ勉強しなければ。
「ねえ、夕。今日さ、私と一緒に紗那絵と茉奈佳のとこいかない? 一緒に体動かそうよ」
「え? いいの? 私も出来れば皆と一緒に練習できれば嬉しいけど……」
予定でいえば、今日は海が二取さんと北条さんに教えを仰ぐ日だから、昨日練習したばかりの天海さんとしても気を使っているのだろう。
しかし、それでも海は天海さんへ手を差し伸べる。
「こういう時は体を思いっきり動かして発散するのが一番だから。大丈夫、紗那絵と茉奈佳も、きっと喜んでくれるよ。ね、真樹?」
「うん。それについては俺も賛成だよ」
誕生日会の時に久々に四人集合した時、海も、天海さんも、二取さんも北条さんも、みんな本当に嬉しそうにしていた。
クラスマッチの上ではあくまで敵同士でも、親友であることに変わりはないから、遠慮なんてする必要ない。
皆で練習して、皆で頑張って、試合ではお互いの手の内を全部知ったうえで、後はその場の駆け引きで勝負する――そういうのも正々堂々という感じがして、俺はいいと思う。
「そう、かな。そうだったら、私も嬉しいな。……ぐすっ」
「もう、夕ったら、また目が潤んで……しょうがないんだから」
「ごめんね、海。……へへ、私、幸せものだ」
再び瞳を潤ませる天海さんだったが、今のはどちらかというと感極まっているほうなので、こちらの涙は全く問題ない。
やっぱり天海さんは、今みたいに明るく笑っているほうが可愛いし、似合う。
「二人とも、時計見る感じ、そろそろ授業終わるみたいだから、早めに戻ろうか。先生とか、あとは11組の人たちにも改めてありがとうって言っておかないと」
結局、授業最後まで中村さん他11組チームの人たちに任せっきりだったので、放課後改めて挨拶に向かうことにしよう……また囲まれそうなのが、ちょっとだけ怖いけれど。
「……うん。あ、それから、荒江さんにもね」
「夕、あれだけ色々言われても懲りないね」
「うん。さっきのこともあるし、ちょっと怖いけど……でも、やっぱりそっちのほうがいいかなって。ダメ?」
「いいよ。まあ、なんだかんだそっちのほうが夕らしい気もするし」
「ありがと、海。さすが私の親友」
「本当だよ。もっと私のことを褒め称えて崇め奉れ」
「うん、すごいすごい。海ってば最高」
ここまで来れば、もう俺は彼女たちのことを近くで見守っていればいい。
久しく感じていなかったが、二人がこうして仲睦まじくしている姿は、クラスの誰かが言った言葉を借りれば本当に『尊い』。
これからずっと、というわけにはいかないかもしれないが、できるだけ二人には仲良しでいて欲しいものだ。
「ってことで、夕。もういい加減離れようか」
「ぶ~、もうちょっとウミパイ堪能したいのに~」
「ウミパイ言うな。もう、中村さんったら、ユウパイとか変な言葉使うから夕がヘンに覚えて……」
天海さんもあの時の文脈から色々と察したのだろう。中村さんの(おそらく)アドリブで考案された言葉だが、すでにちょっと浸透しつつあるのは気のせいだろうか。
ともかく、ウミパ……じゃなくて海の活躍により、ひとまず天海さんを元通りにしたところで、次にやるべきことのため、体育館のほうへと戻った俺たちだったが。
「――ああ、荒江か? あの子なら、気分が悪いって言ってたから早退させたよ。実際、見た感じかなり顔色も悪そうだったしな」
幸か不幸か、荒江さんとは話すことのできないまま、その日の授業は終わってしまったのである。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます