第136話 夕と渚


 審判役の先生の笛がなって、後半。


 前半と同様、味方からパスをもらった荒江さんに、海はさっそくやってきた。


「……どうも。ごめん、また来たよ」


「しつこいね、アンタも」


「私はねちっこいヤツだからね」


 前半二人だった荒江さんへのマークが、今はもう一人増えて、計三人。


 一人に対して三人なので、残り二人で相手チームの残り四人をケアしないといけないわけだが、荒江さんはいつもつるんでいる友達の子にしかパスをしないため、荒江さんが周りを頼らない限り、この戦法でも十分いけると判断したのだろう。


 海と中村さんがメインで荒江さんを囲み、一人は、前半に荒江さんが見せたフェイントからの股抜きのようなトリッキーなプレイを警戒して、少し後ろに位置する形だ。


 こうなれば、さすがにいくら経験者といえども、そう簡単にはいかなくなってくる。


「ちっ……んの、ウザいんだよ」


「っ……と」


 それでもなんとか強引に抜こうとする荒江さんだったが、強引に行き過ぎた結果、ディフェンスの海に体を強く当てすぎてファウルをとられてしまう。


 ピーっと鳴らされる先生の笛に紛れて、荒江さんがもう何度目かもわからない舌打ちを繰り返した。


「ってて……」


「大丈夫かい、朝凪ちゃん」


「うん、ちょっとバランス崩しただけ。さ、こっちボールだよ」


 中村さんの手を取って、海がさっと立ち上がる。派手に尻餅をついたのでちょっとだけ心配だったが、腰やその他の場所を痛めたわけはないようで安心した。


 クラスマッチは控えメンバーがいないこともあってファウルを何度しても退場にはならないが、チーム全体で5回目以降の反則があった場合は、すぐにフリースローが与えられるルールになっている。


 前半もちょろちょろ反則はあり、10組チームは今回ので4回目(全て荒江さん)。フリースローを打つのは海だが、ほぼ決めてくるはずなので、ここからはファウル=失点を覚悟しなければならない。


 さすがに荒江さんもそれは良くないと思ったのか、強引抜くことはせずに、フェイントを入れつつ、距離をとってのシュートなどもしてくるように。


 スリーポイントラインからも難なく決めてくるところはさすがだが、当然、その分ミスも増えるわけで。


「っ……!」


「中村さん、お願い!」


「よしきたっ」


 4つ目のファウル以降、あまり強く当たってこないと踏んだ海は、中村さんを荒江さんのマークから外して、ゴール下のリバウンドを処理してもらうよう指示。


 こぼれ球には当然天海さんも拾おうとするものの、ジャンプボールで見せた高さそのままに、ほとんどのボールをキャッチしてみせた。


 そして、素早く相手ゴール側に走り込んでいる背の小さい女の子――確か七野(しちの)さんといったか――が、落ち着いてカウンターを沈めて、徐々にリードを広げていく。


「荒江さん、ドンマイ。次は私も頑張って拾うから、どんどんシュート打っていって」


「っさいな……わかってる」


 後半始まって5分ほどだが、スタミナまでは回復していなかったようで、荒江さんの小麦色の額からは汗がにじんでいる。


 ゆっくりと点差が広がり、スタミナも切れかかり。


 だが、当然海が手加減するまでもなく、逆に、とあるプレーで荒江さんを完全に崩しにかかってきた。


「荒江、オフェンスファウル」


「は!? 今ので? 私、今全然押してない!」


「だが少し接触はあったし、故意気味に押したろう? ファウルだ、ファウル」


「っ……」


 俺も決して近くではないので判断は迷うが、荒江さんが少し前へと圧力をかけた瞬間、海がバランスを崩して転んだのだ。


 あれぐらいなら今までなら耐えていたはずだが……。


(――もうけ)


 唇をそう動かしてぺろりと舌を出した海を見て、多少の演技があったことに気づく。


 これを卑怯ととるか上手いと見るかは各々の判断になるだろうが、荒江さんを揺さぶるには十分だっただろう。


 これで5つ目。ということで、11組チームに2本のフリースロー。


「……よしっ」


 海は当然のように2本沈めて、これで点差が二桁となった。


「勝てないからって、ズルかよ。小者らしい、いい判断じゃん」


「それはどうも」

 

 試合状況が有利なこともあって、海は余裕の表情で小言を言ってくる荒江さんに対応する。


 ……小者、か。その言葉、そっくりそのままブーメランとして自分に突き刺さっていると思うのだが、荒江さんは気づいていないのだろうか。


「荒江さん、大丈夫。まだ時間はあるから、私たち全員で攻めれば――」


「……ねーって」


「え? なに?」


「だからそういうのいらねーって言ってんの!」


 そんな声とともに、荒江さんが、天海さんからのボールを、まるで平手打ちでもするかのように、ばちん、と強く叩き落とした。


 突然体育館内に響いた大きな音に、隣のコートでバレーをしていた人たちの視線も、一斉にバスケコートの二人へと注がれる。


「あれは……海」


「うん」


 海に呼び掛けた俺は、何かあった時にすぐ止められるよう、二人の近くへ。


 今までのプレーの積み重ねでイライラが募ったのだろうが、ただの仲間割れは放っておくにしても、先生が見ている前での一触即発はまずい。


 先生のほうも俺たちに少し遅れて天海さんたちの方に駆け寄るものの、それに気づいた天海さんが俺たちのことを、いつもの笑顔で制した。


「先生、それにみんなも――大丈夫です。大したことじゃないので」


「いや、しかし天海、そうはいっても――」


「平気です。子供がぐずってるようなものなので」


 にこりとした笑顔で言う天海さんだが、言葉のほうは中々鋭い。


 フラストレーションがたまっていたのは、天海さんもだった。


 当然だ。天海さんだって、悩んだり怒ったり、悲しんだり、感情のある一人の女の子なのだから。


「へえ、今までお友達に庇ってもらってただけだと思ってたら、案外言うじゃん。それがアンタの本性ってワケ?」


「本性も何も、私はもともとこうだよ。人より気は長いとは思うけど、それでも限度ってものはあるし」


 怒っている天海さんを見るのは、おそらくこれで二回目。去年の実行委員決めのくじ引きはもう遠い思い出となりつつあるが、わりと感情的だったあの時と較べ、今の天海さんは静かに怒っているよう気がする。


「荒江さん、はっきり言うけど、今の荒江さん、すごくダサいよ。一人で意地張って、イライラして、色んな人に迷惑かけて……子供なのはどっち? ちょっとはさ、自分の行動を冷静に振り返ってみなよ。そうじゃなきゃ、本当に海の言う通りだよ」


「は……!?」


「荒江さんが私の何を嫌ってるのかなんて知らない。知りたくもないし、なんならもっと嫌いになってくれて構わない。でも、だからって、私の好きな人たちや大切な人たちにまで嫌な思いをさせないで。狙うなら私だけにして。荒江さんぐらいの人なら、それぐらい訳ないでしょ?」


「…………」


 今までの及び腰とは打って変わった天海さんの様子に、さすがの荒江さんも面食らったようで言葉に詰まっている。


 そして、それは、これまで長いこと親友をやってきた海でさえも。


「……ご、ごめんなさい、ちょっと感情的になっちゃって……でも、私だって、今までは友達が近くにいて怒ってくれたから大丈夫なだけであって、思うところがなかったわけじゃないから」


「……てかさ、もういい加減うざいんだよ。いちいち、声かけてきてさ。なれなれしくすんなよ。ただ教室が一緒になっただけの、友達でもなんでもないくせに」


「友達……じゃないのはそうだけど。でも、一緒のチームには変わりないわけだし……たとえ友達じゃなくても、チームで助け合うのは、当然でしょ? 荒江さんだって、それを知らないような人じゃ絶対――」


「……足手まといは、仲間なんかじゃないよ」


「え?」


 荒江さんの口からぽろりとこぼれた呟きに、天海さんと、それから近くにいた俺と海は一瞬戸惑う。


 なんだか、先程の一時だけ、荒江さんの様子がおかしかったような。


「っ……もういい。もう疲れた。……すいません、先生、気分が悪いので、ちょっと休みます」


 自分で言ったことに気づいた荒江さんは、ちっ、といつもの舌打ちを残すと、そのまま近くの女子更衣室へと引っ込んでしまった。


「……先生、すいません。もう試合時間もないですし、今回は私たちの負けってことで、次の試合に行ってください。私、ちょっと頭冷やしてきます」


 ごめんね、と残りのチームメイトたちに力のない笑顔で謝った後、天海さんはそのまま水飲み場のほうへ。


 ということで、結果的に練習試合は上手く作戦のはまった11組が勝利となったわけだが、このような形では海も素直に喜べるはずもなく。


「朝凪ちゃん、どうする? ゲームが終わった後は得点係とか片付けとかやんなきゃだけど」


「中村さん……ごめん、私もちょっと喉渇いたから、ちょっと水飲み場に行ってくるね」


「了解。他のことは私と他の皆でやっておくから、朝凪ちゃんは天海ちゃんのほうに行ってあげて。大事な親友なんでしょ?」


「うん。……真樹、行こう」


「うん」


 おそらく一人で落ち込んでいるであろう天海さんの支えになるべく、俺と海は一時体育館を後にした。

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