第58話 『約束』のかわりに


 週末はなんとなく気分が高揚すると思う。


 明日から休みということで億劫な学校や仕事から解き放たれ、この後なにをしようかとちょっとだけ胸を躍らせる――土日休みの学生にとっては、概ねこんな感じのはずだ。


 そして、テンションがおかしくなってついやらかすこともあると思う。遊びで羽目を外しすぎて他人に迷惑をかけてしまったとか、そうでなくても、後から思い返して悶えるほど恥ずかしいことを言ったりやったりとか。


 ――大好きだよ。


 週末の夜の別れ際、『友達』である朝凪海から俺だけにこっそりと伝えられた一言も、きっとその後押しがあったからこそ出た言葉だと思う。特にあの夜は、色々あったせいか、俺も海もなんだかおかしかった。


「ああもう、海のヤツ……なんであのタイミングであんなこと言うんだよ……どう考えても週明けに気まずくなるのわかってるじゃんか……」


 あの言葉で確信したが、きっと海も俺と同じように、いつからか『友達』以上の感情を抱いてくれていたのだろう。あの状況や言い方は、冗談を言う時のような海ではなかった。


「あれって絶対告白だよな……俺、勘違いしてるわけじゃないよな。……大好きって、聞き間違いじゃないよな」


 あの時の状況を、悶えながらも何度も頭の中に思い浮かべて、自分に言い聞かせるように確認する。


 99パーセント、そうだと思う。これからは友達じゃなく、もうちょっと進んだ関係として、自分たちのペースでゆっくり付き合っていこう――多分、海はそういう意味で言ってくれたんだと思う。


 そうだとしたら、もちろん嬉しい。好意を抱いていた女の子から『大好き』だと言われたのだから。


「……返事って、どうすればいいんだろう」


 だが、それを受けてどうすればいいのか、ちょっと悩んでいた。


 大好きとは言われたが、それに対しての返答はまだしていない。今日は月曜日の早朝だが、その前に海からの電話やメッセージはないし、俺もしていない。


 ……なんとなく、恥ずかしかった。


 返事はそう難しいものではない。俺も海のことが好きなのだから、そう伝えればいいだけだ。


 いいだけなのだが。


「おはよ、真樹。お母さん今日は遠方で打ち合わせあるから先出ちゃうけど……って、なにしてんの?」


「……別に、なんでもない」


「そう? アンタ、休みの日からずっと今みたいな感じだけど。……今まで訊かなかったけど、もしかして海ちゃんと何かあった?」


「…………」

 

 どうやら様子を見られていたらしい。休日の間はずっと海の『大好きだよ』が頭から離れず悶々としていたので、周囲に気を配る余裕がなかったのだ。


「別に、なにもないって」


「ふ~ん。まあ、言いたくないんだったら別にいいけど。でも、来週以降も家に連れ込むんだったら、ちゃんと言いなさいよ。お金、いつもより多めに用意してあげるから」


「……わかってるよ。行ってらっしゃい」


「はいはい、行ってきます」


 母親を見送って、俺もさっさと朝の準備を始めることに。結局、さっき考えていたようなことがずっと頭の中をぐるぐるしていたせいで、あまり眠れなかった。


 いつもより、ちょっと目のくまが目立つかもしれない。別に嫌な悩みではないのだが、これだと海に変に思われてしまうかもしれない。


 なんとなく学校へ行くのに気が進まない月曜日は幾度もあったが、まさか、女の子からの告白の返事がその理由になるなんて思いもしなかった。


 多分、高校入学前の俺にいっても、絶対に信じてくれないだろう。実際のところ、俺もまだ半信半疑なところがある。


「……でも、こんな俺でも、好きになってくれる女の子がいるんだな」


 朝のコーヒーを沸かすヤカンに映る自分の歪んだ顔。むすっとしているように見えるし、目つきが悪いくらいで、特徴があるわけでもない。


 多分、俺のことを好きだと言ってくれる女の子なんて、後にも先にも、きっと海しかいないと思う。外見は良くなく、ぼっちをこじらせてひねくれた内面を持った自分のことを『大好き』だと言ってくれた女の子。


 だからこそ、俺のほうでしっかりと捕まえておかなければならないと思う。海は気付いてないかもしれないが、本当の朝凪海は、天海夕に負けないぐらいの美少女なのだ。


 今はまだそれを知っているのは俺だけだが、きっとこれから先、どこかで本当の朝凪海を見つける人が出てくるだろう。俺なんかよりも、よほど彼女に相応しい人が。


 そうなったら、きっと俺はその人にあっさりと負けてしまう。


 だからこそ、アドバンテージを活かさなければならない。


 本当の朝凪海を知っているのが、俺だけであるうちに。


 俺が可愛いと思ったあの笑顔が、他の人に向けられるのなんて、考えたくもない。


「……うん。決めた」


 そこまで考えて、俺はようやく決意を固める。


 今日のうちに、この前の返事として、俺の今の気持ちを正直に伝えよう。


 こういうのはきっと早いほうがいいことは、最近までの経験で学んだのだから。


 気合を入れるようにして熱いコーヒーをぐいっと一口飲んだところで、インターホンが、前原家にはとくに珍しい朝の来客を告げる。


『えへへ、おはよう、真樹君!』


『……お、おはよ、真樹』


 モニターを見ると、そこには週末と同じ顔が並んでいた。


 ニコニコ顔の天海さんと、そして、頬を染めて俯き加減の海。


 なにはともあれ、ひとまず家に上がってもらうことに。


「ごめんね真樹君、いきなり押しかけたりして」


「いや、もう準備は大体終わってるからいいんだけど……それより、何かあった?」


「うん。金曜日のこと、海から全部聞いたから」


「……ああ、そっか」


 もしやとは思ったが、天海さんには告白のことを全部打ち明けたらしい。


 あと、気のせいじゃなければ、海の目にも、若干だがくまが出来ている。


 ……もしかしたら、海も休日の間は俺と似たような心境だったのかもしれない。


 本当、似た者どうしというか、なんというか。


「それはわかったけど、でも、どうして朝からここに?」


「うん。二人に、『約束』のかわりにやってもらいたいことがあって。今日はそのために来たんだ」


「それって、今からってこと?」


「そうだよ! 理由は後でちゃんと話すけどね」


 つまり交換条件ということか。


「わかった。いいよ、別に」


「真樹……!」


 二つ返事で引き受けた俺に、朝凪が不安そうな顔を見せる。


「いいの? まだ何やるかも夕から言われてないのに」


「まあ、確かに若干怖いところはあるけど。でも、いったん決めた約束をこっちから反故にするわけだから」


 それに、天海さんだったら、そこまでひどいことはさせないだろうし。


 ……ちょっと面倒なことになりそうな気はするが。


「えっと……それとさ、海」


「ん?」


 天海さんが目の前にいるが、まあ、言ってしまっていいだろう。変に恥ずかしがるよりは、こちらのほうがいい。


「俺もその、海と同じ気持ちだから。……一応それだけは今のうちに伝えとく」


「あ……えっと、う、うん。わかった」


 意味がわかったのか、海は顔を真っ赤にさせて俺から視線をそらす。


 バカ、という俺に対して向けられた海の呟きが、今はとても耳に心地いい。


「んふふ~、ってことで真樹君はこう言ってるけど……海、どうする?」


「あ……っと。う、うん。真樹がやるんだったら、私もやるよ。元々それを条件で了承したわけだし」


「じゃ、決まりだね」


 もう腹はくくっているわけだし、なんでもこいという心境ではあるが。


 わりと初めてかもしれない天海さんの意地悪な笑みに一抹の不安を覚える俺だった。

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