第50話 天海夕と朝凪海 2
おかしいな、と私が思い始めたのは、ちょうど中等部に進級したあたりのころ。
夕が私たちのグループに入ってから数年――私が思った通り、夕は私とともにクラスの中心、いや、学年の中でも中心といっていいほどの存在感を放っていた。
私も容姿にはそれなりの自信はあったが、夕と較べると、ちょっと分が悪すぎる。
それについて、特に嫉妬するようなことも、もちろんない。そういうレベルにないのだ。
「あ、海だ! おはよう、海っ!」
「わっ――と、ちょいちょい、いきなり抱き着くんじゃないよ。どこのワンワンかっての……まあ、可愛いからよしよししてあげるけど」
「えへへ~、ありがとう海」
夕はというと、中等部に進級してからも、相変わらず私にべったり気味だった。初等部の頃と違って、みんなの前で人見知りをするようなことはなくなったけど、それでも私といると、だいたいこんな感じになってしまう。
最初に出会ったときにこっそり見せてくれた、あの時の笑顔のまんまで。
私のことを特別だと思ってくれていることが嬉しくもあり、また、相変わらず私がいないとダメなんだなと残念でもあり。
「紗那絵、茉奈佳、おはよ」
「おはよう、海ちゃん」
「おはよ~」
紗那絵と茉奈佳に関しては、特に変化はない。仲良しだが、だからといって夕みたいにベタベタすることはない。というか、それが普通で、夕がちょっと甘えん坊すぎるのだ。
「あ、そうだ夕、アンタ今日日直じゃない? 先生から日誌もらってきた?」
「え? ……あっ!」
「もう……ほら、早く行ってきな。遅くなると、先生に怒られるよ」
「う、うんっ。みんな、ちょっと行ってくるねっ」
夕はそう言って、歳を経るごとに輝きが増している金髪をなびかせて教室から出て行く。
ただ日誌をとりに行くだけ。ただそれだけなのに、まるで花から飛び立つ蝶みたいに、夕は画になった。
ウチの学校にいるのは女の子だけだが、それでも夕のそんな姿にみんな見惚れているようだった。
「ったくもうあの子ったら……あ、そうだ。二人とも。来週の休みなんだけど、土曜か日曜って空いてる?」
「え? え~っと、どうだったかな……」
「習い事次第って感じだけど、どうして?」
「へへ、実はね」
私は制服のポケットから、チケットを取り出した。ちょうどその日が公開予定の、映画の無料招待券。お母さんが知り合いからもらったらしく、友達と一緒に行って来ればと譲ってくれたのだ。
「四枚あるから、私たちで行かない? 映画行った後、どっかで遊んで、ゴハンとかも食べてさ、どうかな?」
中学に入ってから、いつもの四人で遊ぶことが減っていた。紗那絵と茉奈佳は勉強や習い事で忙しく、遊ぶ約束をしても、都合が悪くて一人欠けたり、両方ともいなかったりということがしばしばだった。
そういうことが頻繁にあると段々テンションも下がってくるものだが、それでも私はマメに誘うことにしていた。
遊ぶ回数が減っただけで友情が薄れるとは思わないが、それでも、やっぱり皆で遊んで、たまにはその友情を確かめたかったのだ。
だって、私が四人の中ではまとめ役なのだから。
「え~っと、土曜日曜、土曜……日曜……あ~、っと……」
「来週は、ちょっときつそうかな」
「え、二人ともなんだ? 塾とか?」
もしかしたら、と思っていたが、案の定だったらしい。
「うん。そんな感じだよ~」
「私も、塾とか他の習い事だよ」
「そっか……最近多いね」
私や夕は一般家庭だが、紗那絵と茉奈佳は結構なお嬢様だ。のほほんとしている私の家とは違って、勉強やその他の教養だったりと、親から色々と言いつけられているらしい。
「ごめん、海ちゃん。せっかく誘ってくれたのに……」
「いいよいいよ。二人ともお家の事情なんだから、そこは仕方ないさ」
申し訳なさそうな顔を見せる二人の肩を、気にするなとぽんぽん叩く。
映画のチケットはちょっともったいないけれど、それはまた次の機会にでもいけばいいのだ。だって、友達は逃げないのだから。
「あ、遊ぶんだったら、再来週の日曜とかどう? そこなら私、空いてるよ。茉奈佳は?」
「うん。私も、親にお願いしてみる。たまには息抜きさせてくれって」
ほら、私の言った通りだ。こうして誘わなければ、おそらく再来週もなんだかんだで予定が立ち消えになってしまうところだった。
「――お待たせ、皆! 日誌、ちゃんと先生からもらってきたよ」
「お、噂をすればちょうどいいところに……じゃあ、また集合時間とかは連絡するよ」
……仕方ない、ちょっと寂しい気もするけど、映画のチケットはもったいないから私一人で行こう。夕と一緒に行ってもよかったが、それだと二人に悪い気もするし、それに、たまには一人で集中して観るのも悪くないかもしれない。
そんなわけで、次の日の土曜日、夕にも内緒で一人映画をする計画を立てて、内心少しうきうきした気持ちで、街に繰り出したわけだが……そこで、私は自分の間の悪さを呪うことになる。
せっかく一人少し遠出でもしようと、いつも遊ぶ場所から、電車で二駅、三駅ほど離れたところにある、大きな繁華街の映画館へ向かっている時のことだった。
「え~っと……映画館、映画館は、っと……」
スマホに表示された地図とにらめっこしながら歩いていると、本来なら、そこにいてはならないはずの声が聞こえてきたのだ。
「夕ちゃん、ほら、次はあそこ行こ」
「あ、待ってよ、二人とも……」
その瞬間、心臓が、きゅっと締め付けられる感覚がした。
聞こえたきた声は、もちろん三人分。
紗那絵、茉奈佳、そして夕。
声がしたほうに顔向け、彼女たちであることをきちんと確認する。
夕はともかく、なぜあの二人がここにいるのだ。二人は用事があるのではなかったのか。
なぜそうしたのかはわからないが、私はとっさに物陰に身を隠して、三人の様子を眺める。
「どうしたの、夕ちゃん? 浮かない顔して……楽しくない?」
「え? ううん、普段こないところだから、新鮮でとっても楽しいけど……でも、海がいないのがちょっぴり寂しいなって」
「だ、だね……でも、しょうがないよ。海ちゃん、今日はなんか忙しいらしいし」
「うん。私も海に訊いてみたけど、その日はダメだって言ってた」
違う。紗那絵と茉奈佳の二人に用事があったから、私は夕にそう言っただけなのに……なんで、どうして私がハブられてるみたいになっているのだろう。
そう思った瞬間、頭の中がかっ、と熱くなった。理由はわからないが、二人はウソをついていたのだ。私をのけ者にして、私に見つからないように、いつもと違う場所で夕と遊んで。
すぐに飛び出して、二人を問い詰めてやろうと思った。どうして私をのけ者にしたのか、友達と思っていたのは私だけだったのか、皆の前でリーダーぶっていた私のことを内心では生意気だと嫌っていたのか。
「……っ、」
しかし、私の足は、薄暗い陰から一歩たりとも前に進まなかった。
最後のところで、理性が働いてしまったのだ。
ここで出て行ったら、全部が壊れてしまう気がした。感情のままに突っ込んで怒りを晴らすことと引き換えに、これまで積み上げた四人の関係がまっさらになってしまうのではないかと。
「……見なかったことにしなきゃ」
私は自分に言い聞かせるようにそう呟いた。今回のことは悲しいけれど、私が我慢すれば、それで友達関係はひとまず守られる。
そうすれば、夕のあの笑顔を曇らせずに済むのだから。
夕はあのままでいい。あの子は何も知らなくていい。
私は三人に見つからないよう、何もせず逃げるようにして帰宅した。何かの滴で滲んでしまった映画のチケットは、ビリビリに破いて、どこかのコンビニのゴミ箱に丸めて捨てた。
その後、心の中に大きなわだかまりを残しつつも、私はいたって平静に努め、友達付き合いを続けた。
初めのうちは私なら余裕で我慢できると思っていた。ウソをつかれたのは結局その日の一回きりだったが、信じていた友達に一度でも嘘をつかれたショックは想像以上に大きかったらしく、ふとした瞬間、ついにそれに耐えられなくなった。
それがちょうど中三の冬。高等部にそのまま進学するはずだった私は、両親に事情を話して進路を変更した。
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