第7話 チョロい俺とチョロい陽菜。

 注文したハンバーグを食べ始める。

「ん。頬についている」

 陽菜が呟くと、俺の頬についたケチャップソースを指で拭い、ペロッとなめる。

 かぁっと頬が赤くなるのを知覚し、恥ずかしさをごまかすように頬を掻く。

 すると、陽菜も恥ずかしかったのか、頬を染める。

「「…………」」

 気まずい空気が流れ、ふたりとも黙ってしまう。

「そ、そうだ。そろそろ定期テストがあるよな。勉強は進んでいるか?」

「うん。アタシは大丈夫……」

 話題を変えるために言ったが、長続きしない。先ほどの行為が尾を引いているのだ。

「黄竹は勉強なんてしていないんだろうな……」

「そう、なんだ……」

「そうそう。あいつは勉強嫌いだからな」

「ふーん」

 あまり興味なさそうに呟くな。なら、どんな話題がいいんだ? 女の子と言えば、やっぱり甘いものか。

「で、デザートとか、どうだ? 食べたくないか?」

「……うん。そうかも」

 この声、トーン。あまり好きではないらしい。

「やっぱり他のがいいか?」

「うん。そうだね」

 明るいトーンになった。良かった。

「お腹すいていないか」

「うん。アタシのことよく分かっている。さすが緑苑くん」

「じゃあ、次に行きたい場所も考えているんだ?」

「……うん。でもどこでもいい、よ……?」

 その声音はどこか湿り気を帯びていて、切ない。

 胸の辺りがキュンとくるのは彼女の持っている小動物感からか。

「どこに行こうか?」

 ゆっくりとした動作で水を飲む。

「マンガ喫茶とかどうだ?」

「うん。いいよ」

 即答である。どうやらそれでいいらしい。失敗すると陽菜がどうなるのか、分かったものではない。

 昼食を終えると、俺たちはマンガ喫茶に向かう。

 俺と陽菜はマンガが好きだ。特に陽菜は時折、同人誌を書いているほどだ。だから、マンガには詳しい。

「どんなマンガが人気あるんだ?」

 マンガ喫茶に入り、棚を見やる。

「これ、と、これ……」

 陽菜が差し出してくれたのを持ち寄り、喫茶店の個室に入る。

 狭い中、俺と陽菜は肩を寄せ合いマンガを読みふける。

 隣に座っている陽菜がどこか赤い顔をしているのには気がつかないふりをした。それにしても熱いな。俺の体温も上がっている気がする。

 チョロい俺はたぶん、陽菜にもドキドキしているのだと思う。

「ん」

 陽菜の吐息に甘い感情を抱くのは仕方ないこと。吐息だけで可愛いと思わせてくれるのは陽菜だからこそ。

 しかし、可愛いな。どうして俺はこの子と付き合っていないんだろ。

 果梨奈と伊知花の顔が浮かぶと、そんな気分も吹っ飛ぶ。

 いけない。彼女らを裏切ることになってしまう。……でも、もう裏切っているような気がする。

 ぶー、ぶーとスマホが鳴り響く。

 スマホの画面には『果梨奈』と表示される。

 それを見た陽菜が、目を丸くする。

「すまん。ちょっと出てくる」

 俺は外にでると公衆電話付近に移動する。

「もしもし。果梨奈。どうした?」

『家に向かっていたんだけど、いないみたいだね』

「ああ。ちょっと外にでている」

『女……そんなわけないか。でも今日は出直すね』

 ……! 驚き、ゴクリと喉を鳴らす。

「ああ」

 電話が終わると、俺は自分の個室に戻る。

「悪いな。陽菜」

「じー」

「なんだ。陽菜?」

「妹さん、とか……?」

「いや、まあ、うん」

「そっか。緑苑くんに限ってそんなことないよね。うん」

 裏切っているような気分に俺はさーっと血の気が引いていく感じがする。

「それにしてもマンガは楽しいな」

 話題をそらすためにも感想をもらす俺。

「うん。マンガは違う世界へ行けて楽しい」

「違う世界か……。そうだね」

「ん。そう」

 陽菜は静かに小さく応える。

「陽菜は可愛いな」

 つい言葉が滑る。

「ん!」

 ボッと火の手が上がったように顔を赤らめる陽菜。

「あの――その――」

 陽菜がぼそぼそと小さな声で呟く。

 だが、その行動もすでに可愛く見えてしまう。

「もう――」

 陽菜はそっと目を細め、頬に唇をそっと触れさせる。

「なっ――!?」

 驚いて顔を離す俺。

「ふふ。しちゃった……!」

 照れ笑いを浮かべる陽菜に、心の中をかき乱せる。

 そのあとの陽菜との会話も、読んでいたマンガの内容も頭に入ってはこなかった。

 というか、陽菜も大胆な行動をとる。

「今日はありがと。じゃあまたね」

 そう言って陽菜は去っていく。

「ああ」

 気のない返事になってしまった。

「あ。送っていくよ」

「え。あの――その――」

 陽菜は困ったように立ち尽くす。

「俺が送っていくと言うのだ。嫌ではないだろ?」

「うん。それはもう――」

「ならいいだろ?」

 俺は陽菜の前にでると手を握る。

「うん――」

 電車でみっつ先の街にたどり着く。

 確か陽菜の家は群青通りのすぐそばだったはず。

「陽菜の家ってどこだったっけ?」

「こっち」

 陽菜に引き連れられて移動を始める。

 手のつなぎ方が絡めてくる。いわゆる恋人つなぎになり、身体の芯から熱がこみ上げてくるのを知覚する。

「おい。見ろよ。あんなかわいい子をつれて歩いているぜ」「彼氏? うらやましいわ」「それにしても男の方はもっさりしているな」

 歩道を歩く男子たちがはやし立てる。

 もっさりって、うるさいな。

「アタシはもっさりなんて思ってないから」

 俺といるときだけ早口になる陽菜につられ、頬が緩む。

「なあ、陽菜はどうして早口なんだ?」

「む。そんなつもりはないの――」

「だから早いって」

「そう、なのかな――」

「ふっ。かわいげがあっていいと思うぞ」

「――もう。そんなこと言って――」

 陽菜に惚れているのだろう。でも果梨奈や、伊知花も対しても……。

 俺はやはりハーレムになっているのだろうか。もしかしたら刺される運命なのかもしれない。

 チョロいな俺。

「――陽菜は……」

 何かを言いかけ言いよどむ陽菜。

 珍しく自分のことを〝陽菜〟と呼んだな。

「珍しいな。陽菜って」

「うん――忘れて」

「忘れてあげない。だって可愛いもの」

「もう――。忘れてよ」

 陽菜は照れると、右へと曲がる。

「こっちなのか? お前の家」

「うん。ここだよ」

 目の前にある豪邸で立ち止まる陽菜。

 広さは普通の家の二倍か。庭を含めると三軒分はある。

「すごい豪邸だな」

「うん。でも緑苑くんのおうちに比べれば、だよ」

「俺んちは見た目よりも貯金に回しているからな」

 俺の家には貯蓄がいっぱいある。小遣いも高く、みんなから大金持ちとされている。

 確かにお金で困ったことはない。それで言い寄る奴もいるが、俺はそういったやからには近づかないようにしている。

 でも彼女らは違う気がする。だからこそ、陽菜も心を開いてくれているのだろう。

「うん?」

「なんだ。もう帰りな」

「うん」

 陽菜は豪邸の中に消えていく。

 でもあんなに気持ちに素直なのは緊張していないから。

 恋をしているなら緊張をするのが普通だ。

 もしかして陽菜は俺に恋をしていないのか? 練習でもされているかのような気分になる。そうだ。練習台にされているのだ。そうに違いない。

 そうでなければ、あんなに積極的になれるわけがない。特にあの人見知りの陽菜がそうなるわけない。

 そうに違いない。

 彼女は俺を練習台にしているのだ。相違ない。

 俺はそう決めつけると、自宅へと向かう。

 電車で一本。

 帰ると亜鈴が迎えてくれる。

「お帰り」

「ただいま。亜鈴は元気にしていたか?」

「うん。それよりも今日は遊んできたの?」

「ああ。そうだ」

「誰と?」

「陽菜と」

「そう、なんだ……。見境ないね」

「え」

「女の子にだらしない、ダメ兄です」

 がーん。そう思われていたのか。お兄ちゃん、ショックだよ。

 俺はふてくされるように、ベッドに潜り込む。


 泣いてなんかいないよ。本当だよ。

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