幸せの証

柵木悠夏

第1話

 夢見てた結婚10周年とは程遠い1日だった。

 日常の延長線で、何も変わらず仕事に忙殺され、過ぎ去った1日。 

 それでも、真夜中の薄暗いリビングに広がる光景には微笑みと涙がこぼれ落ちる。


 2色の即席麺『赤いきつねと緑のたぬき』とコンビニのレシート。


 レシートの裏のメモ書き。


 『幸せの証』



 私の嗚咽と夫の寝息が入り交じるリビングには確かに明かりが差し込もうとしていた。




         *



 「結婚!?あんた達、まだ学生でしょう?何言ってんの?顔洗って出直してきなさい」

 私の母は当時大学生だった私と婚約者である直哉さんに激怒した。

「わかっています。まだ、収入のない未熟な僕たちの結婚なんてそう簡単に認めてもらえないこと。でも…」

「でも、じゃない!まだ、早いと言っているの。大体なんなのよ、こんな茶髪の、ピアスにチャラ男…」

「ちょっと、お母さん!」

 私は懸命に止めにかかる。そんなこと言わないでよ、大切な人なんだから。

 なだめようと必死な私の横で直哉さんは澄ましがおで頭を下げた。

「お母様がそう言うのも無理は思いますが、僕は、○✕銀行から内定をもらっており、4月からはそこで働きます。働くまでは今まで通り、1人暮らしを続けます。この通りです。必ず娘さん――遥月はるかさんを幸せにします」 

 私は(酷い話だが)直哉さんの熱意に正直びっくりした。こういう、素直でまっすぐでみんなが恥ずかしがるようなセリフがいえる人だとは知っていたがこんなところでも発揮するとは。改めてこの人だ、と思った。

 結局、説得までに4時間以上もかかったが、最後には納得してもらえたし、そんなことどうでもよかった。ただ、この人のいろんな面がみえて、思っていることをことばで表してくれて。幸せだった。


 11月25日。私もなんと一流とよばれる企業から内定をもらえ、準備が整ったこの日に婚姻届を出した。


 それから、次の年の7月二人で住みはじめた。


 価値観の違いがあったりして揉めたりもしたけど、きにとめることもなかった。それくらい素晴らしい日々だった。

 起きると、隣に好きな人がいる。先に、起きてくれて朝食を作ってくれていることが多かったが、休日は遅くまでゴロゴロする。朝食中も目をあわせ、いただきます、美味しいね、なんていう日々が続いた。

 

 そういえばだが、私はまったく料理というものができなかったため、食事はほとんど直哉さん任せだった。

「別に大丈夫だよ。僕は料理好きだしね、お互いできないところを補いあったらいいから」


 優しくて、頼りになって、こんなにも好きな人がいる。


 欠けたところなど、見つからない年月だった。



 4年がたったある日。

「なんだか、頭がいたい」

 直哉さんは珍しく会社を休んだ。

「大丈夫だから。僕1人でも。遥月は仕事行きなよ」

 なんて言ってくれたが

「心配だし」

 なんていって会社を休んだ。

 

 症状は、微熱、頭痛、少しのだるさだけで、一応クリニックには行ったが、他には何も問題なかった。


 いや、私には最大の問題がある。

 食欲のない直哉さんに食べてもらえるようなものを作らなければいけない。今頃になって料理を任せっきりにしていたことに後悔した。

 にんじんを水から茹でたらいいのかお湯からなのかすらわからない。食べやすいうどんを買ってきたが茹ですぎてふにゃふにゃになってしまった。

 外は雪がちらついて、息が白くなるほど寒い。こんな日は…あったかくて、甘めの味付けで、柔らかいお揚げさんが乗っかっているきつねうどんでも食べて元気になってほしいのに。

 

 時間は待ってくれない。どんどんお昼が近づいてくる。どうしよう。どうしよう。


 あったかくて、、甘め……あっ!


 気がつくと私はコンビニへ走っていた。

 おうどんといえばあれだ―――『赤いきつね』だ。あれなら食欲のない直哉さんでもつるりと食べられるはず。自分の作ったものを食べてほしかったけど、仕方ない。私の作ったものよりずっと美味しいはず。

 あった、赤いきつね。小さい頃からから変わらない美味しさ。で、隣には緑のたぬき。

 直哉さん用にはきつねを1つ。私用はたぬきを1つ買って帰った。

 


 「いただきます」

 「どうぞ、」


 作った赤いきつねをお椀に移して、直哉さんに出した――まるで自分で作ったかのように見せかけるため。

 こんなのは反則だって言いたくもなるが、お椀に移すだけでも、手間をかけたかった。

「このうどん美味しいじゃん…!遥月が作ってくれた?」

「い、、あの、その…えっと…」

 正直に言うべきか…。でも、私が作ったことにしたい…なんてわがままだし。素直にううん、と言うべきか。いや、でも…と考えているうちに

「なんてね、」

といって直哉さんは大笑いし始めた。

「直哉さん?」

「ごめん、遥月。いや、そのわかってたんだ。これ、赤いきつねだよね?」

 あっさりと言い当てられてしまい、どうしようもなさそうにしている私を慰めながら直哉さんは続けた。

「でもね、僕は嬉しいよ。さっきから鍋とか包丁とかぶつかりまくる音してたし。遥月、料理苦手なのに…こんなことまでしてくれてさ。僕はしあわせだよ」

「直哉さん……」

 好きな人の手のひらは温かい。私もしあわせを一緒に感じる。

「この、きつね、幸せの証な」

「ん?どういうこと?」

 どういう意味かわからず、聞き返す。

「いや、今、しあわせだから。なんか、うん。僕のなかで証みたいな感じだな」

「なにそれ」

 私は直哉さんの隣で笑った。

 その後、一緒に緑のたぬきを食べた。いつもより、ずっとおいしかった。好きな人や大切な人の隣で食べるごはんって美味しいなとしみじみと感じた。



暗転

 その日から直哉さんは会社を休みがちになった。体調を崩す日が多い。とくに朝。会社に行く前になって、お腹がいたいといって休むようになった。

 何度も病院にかかったが別になんの異常もなかった。


「心療内科のほうに行ってみてはどうですか」


 体に異常がなければ、あるとすれば心だ。

 お医者さんの紹介で心療内科に行くと体調不良の原因がすぐにわかった。

 

 ストレスだった。


 こころに負担がかかっている。おそらく原因は職場にある―――。


 ショックだった。そんなにストレスを抱え込んでいたなんて。

 まるで崖を転がり落ちるかのようにいろんなことができなくなっていった。職場に行けなくなり、外にも出ることができなくなって、部屋に引きこもるようになってしまった。

 私は隣でみているだけで何もすることができない自分に腹が立った。


 明かりが点っていたはずのリビングには薄暗い雲が立ち込め、太陽が見えなくなった。窓にはきっちりとカーテンが閉められている静かな家。

 時々聞こえる直哉さんのごめん。

 ごめん、ごめん、ごめん、ごめん……。


 不安と悲しみで押し潰されそうな日々が約6年続いた。



         *


「し、しあわせ…の…証」


 拭いても拭いてもこぼれ落ちてくる涙をぬぐう。

 直也さんが外へ?

 コンビニにわざわざ行ってくれたの…?


 私の肩にポンッと優しい手が乗っかった。直哉さんの大きくて優しい手。

「遥月、今まで迷惑かけてごめん。本当に申し訳ない。たくさん、たくさん迷惑かけた。本当にごめん、ごめん、ごめ…」

「もう、謝らないでよ!」

 腹の底から、喉を絞るような声がでた。

 何回も何回もきいた、ごめん。ごめんの日々が悲しくて仕方なかった。私がほしいのはごめんじゃなくて。

「遥月…ありがとう」


 ありがとう。

 ありがとう。

 そう、ありがとうが欲しかった。


「一緒に食べてくれる?赤いきつねと」

「み、緑の、たぬき」

 私の涙はとっくにかれ果てたかと思ったがまだまだあるみたいだ。涙の合間に、私も伝えたい。


「直哉さんもありがとう」



 リビングには確かに明かりが今にも降り注ごうとしていた。

 

 


 

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幸せの証 柵木悠夏 @haruna-mn

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