一言地蔵バス停にて

@HighTaka

本編

 その地蔵をいつだれがたてたのか、地元の人も良く知らない。ずいぶん古いもので、目鼻や衣の彫刻がだいぶ摩耗して信心深い町のお年寄りがときどき赤い前掛けをかけたりお供えをしていなければ地蔵とさえわからなかっただろう。

 言い伝えがあって、この地蔵は一人一回一言だけ願いをかなえてくれるという。

 これもいつから誰が言い出したのかわからないものだし、伝えている地元の人も本気で信じてなどいない。だが、ご利益がささやかであいまいでも、一言の手軽さから通りすがりに内心だけでお祈りする人は少なくない。

 地蔵のおかれた旧街道は小学校と中学校の通学路だったし、さらに一言地蔵前というバス停留所もできたものだから、特に小学生の変な願掛けに使われて地蔵のお供えには使わなくなったゲームのカード、ガシャポンのはずれ景品、おまけ目当てで袋だけあいたお菓子などよくならんでいる。

 その中には時々よくわからないものが混じってることもある。片目だけ入った小さなだるまとか、きれいな刺繍のはいったハンカチだとか、古いぬいぐるみとか。拳銃がおかれていたときは、警察が来る騒動になった。

「あら」

 いつもお供えを片付けている絹代は声をあげた。今年五十のぽっちゃり太った女性だ。子供は二人。昨年、下の娘が就職で完全に手を離れたのでこの仕事を引き受けた。町内会からはゴミ袋しかもらっていない。夫が市役所勤めで、この一言地蔵の前のバス停から出勤し、ここに帰ってくる。夫の仕事が多忙な時期でなければ乗るバスは決まっているので、彼女はここで片づけをしながら待ち、夫と一緒に帰るのが日課になっていた。

「これはゴミじゃないわね」

 彼女が見つけたのは、手作りらしいクマのマスコット。明らかにいらないものをお供えと称しておいていったものとは違い、前をむくように丁寧に置かれていた。

「すこぉし傷んでるけど、こわれてないわね」

 こういう場合はだいたい本気の願掛けなのだろうと彼女は思っている。そういうものを粗末にあつかう気にはなれず、ゴミとは別にとり置くことにしている。そこから誰か関係者の手に戻ったこともある。ほんの二、三だったが。

 自転車で通りかかった男子高校生が急ブレーキで止まったのはちょうどその時だった。

「びっくりした。大丈夫? 」

 こけそうになったので絹代は声をかけた。最近は自転車の事故でなくなる人も多いから、危ないことしていたら説教でもしようかと彼女は考えていた。

「あのう」

 高校生は遠慮がちに彼女の手にあるマスコットを指さした。

「それ、捨てちゃうんですか? 」

「あら、あなたこれ知ってるの? 」

「友達が大事にしてたものみたいなんです」

「あら、そう」

 ふーん、と彼女はにやにやしそうなのを我慢しながら無関心を装った。

「あの、預かっていいですか? なくして困ってたら返したいんで」

「いいわよ。ゴミ袋に放り込むだけのものだし」

 高校生は受け取ると、何度も頭をさげて自転車で去っていった。

「ストーカーでなけりゃいいんだけどね」

 片付けが終わると絹代は水筒のお茶をのみながら夫の乗ってくるはずのバスを待った。


 翌日はちょっと大変だった。誰だかわからないが、お刺身のパックを備えた人がいて、絹代が掃除にきたときには野良猫によって刺し身はなくなっていたが、底上げにつかっていた白髪大根があたりに散乱していたのだ。

「なまぐさものを備えちゃだめなのに」

 さすがにぷんぷんしながらほうきとちりとりで片づけをしていると、いつものバスがやってきて夫が下りてきた。

「ありゃ、今日は大変そうだな」

「そうなのよ。先帰ってていいわよ」

「いや、手伝おう」

「いいのに」

 ぽっちゃりした絹代と対照的に夫は少しやせすぎているくらいだった。定年も遠くなく、体力もあまり自信がないし、健康上の不安も少々出始めている。さっさと帰ってゆっくりしたいはずなのだが、彼は黙々と妻を手伝った。

 彼は思っていた。好意に甘えるのが一番匙加減が難しい。それで若いころは結構喧嘩になったし、絹代が二、三日実家に戻ってしまうなんて事件もあった。

 だから分かったのだ。これは甘えてはいかん好意だと。

 ゴミ袋を持つのは夫の役割。いつのまにかそうなっていた。二人は並んで家路についた。太めの妻と細めの夫。昔は二人の体格は逆だった。ほっそりした女子学生と、ぽっちゃりした少し内気な男子学生。並んで帰るようになって三十年くらいだ。

「そういえば、昨日のお供えに、マスコットなかったかい? 熊っぽいの」

「あったわ。どうしたの? 」

「いつも一緒のバスにのる女子高生があそこじっと見てたので、君がいつも片づけてることを言ったら聞かれた」

「あらま」

「友達に作ってもらった大事なものだったらしいよ」

「そんなものあそこにおいちゃだめでしょう」

「そうですね、としょぼんとしてたよ」

 しゃーっと自転車が追い越していく。昨日の男子高校生だ。

「いまの子よ」

「何が? 」

「そのマスコット、あの子が友達の大事なものだからってもってたわよ」

 呼び止めようと思っても、自転車はもうだいぶ遠くにいってしまっていた。

「おやおや」

「気になる? 」

「まあ、ね」


 翌日は散らかりこそしていないが、当惑するようなものが置かれていた。

「これ、手芸の道具よね」

 携帯用のケースに几帳面にしまいこまれた道具。新品のセットではなく、きちんと使い込まれたものが無造作に置かれていた。名前は書かれてないが、目印にクマの顔がマジックで隅っこにかかれている。

「これもゴミ袋にはおしこめないねぇ」

 取っ手付きなので、ゴミ袋は夫にまかせるとしてこれはもってかえろうと地蔵の横のベンチにすわって膝においてまってるとバスがやってきた。

 いつもこの時間でここに降りる利用者とは顔なじみである。

「いつもせいがでますね」

 なんて軽く挨拶してぞろぞろ散っていったあとにのこったのは夫と、そして少しふっくらした感じのボブの女子高生。

 夫は彼女を昨日の話にでた女子高生だと紹介した。

「田村美緒といいます」

 ぺこりと頭を下げるので、絹代も膝のものをおいて立ち上がった。

「それ! 」

 頓狂な声があがった。美緒となのった女子高生の目が絹代の膝にあったものに釘付けになっている。

「それ、どうしたんですか? 」

「今日、お供えされてたものよ。誰のかご存じなの? 」

「はい、友達が大事にしてたものなんです」

 これってデジャブってやつかしら。絹代は最近似たようなやりとりしたな、と記憶を探った。

 ほんのおとといのことだった。

「あらまぁ」

「あの、これどうするんです? 」

「捨てるしかないわねぇ」

 本当はしまっておくつもりなのだが、絹代はそんなふうに答えた。

 彼女は家でできる仕事をしているが、そのかたわら手芸も料理もやっていて道具はもっといいものを持っている。誰かの大事なものだからとっておくだけで、最後には供養だけして処分することになるだろうと思っていた。

 だから嘘ではない。だけど、ちょっとからかってみたい気持ちもあった。

「あの、それ、あたしが預かっていいですか。もしかしたら、いたずらされたのかもしれないし」

「いいわよ。どうぞ」

 大事そうにぎゅっと抱えるのを見て、ストーカーでなけりゃいいんだけどね、と絹代は思った。

「ところで、マスコットをあずかったって子、そろそろ通るんじゃない? 」

「そうね、いつもこれくらいに自転車で通るみたいね」

 しかし、その日いくらまっても件の男子高校生は自転車でやってくることはなかった。 


 翌日はお供えもほとんどなく、片づけは簡単だった。

「ものたんないわね」

 ほとんど空のゴミ袋を傍らに絹代はベンチに腰掛けた。

 先に帰ってしまおうかと思ったが、そんなことをすると夫がへそをまげる。面倒くさい人なのだ。

「しょうがないわね」

 ベンチに座ってぼうっとバスをまってると、通りの向かいをどこかで見た二人連れが歩いてきた。

 自転車の男の子と、バスの女の子。自転車をおして、歩きながら話をしている。女の子のかばんにはあのマスコットが、男の子の手にはあのケースがあった。

「最近の男の子って手芸するんだ」

 絹代が高校生だったころは、男子がそんなことをやっていたらバカにされていたし、ついでに教師は暴力的で体罰が愛の鞭なんていわれていた。粗暴な時代だった。

 二人は絹代の視線に気づくと、ぺこっと会釈した。それから会話を再開した。なんだかなじりあってるような感じだった。

 興味駸々で聞き取ろうとしたちょうどそこへバスが到着し、彼らが何をいっているかは聞けなかった。

「ただいま、どうしたんだ? 」

 にやにやしている絹代に、夫は不審なものを見る目を禁じない。

「あれ、見てよ」

 指さす先にはもう背中しか見えていない二人の姿があった。

「ああ、なるほど」

「あの二人、肝心の一言、ちゃんと言えるかねぇ」

「君のときは『逃げるな』だったかな」

「わすれたわ。ずいぶん勇気がいったことしか覚えてない」

 帰りましょ、と絹代はいった。

 遠くの背中が足をとめたようだ。遠すぎてそれ以上はよくわからない。

「ささ、あとは若い人たちにまかせて年寄りはこのへんで」

 二人は仲良く家路についた。


 あとには沈黙する一言地蔵だけがたたずんでいた。


--終わり--


 

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