第五話 もう存在しない場所で、先輩と


 何もなくなった一面光の白い世界。地面まで白くて、高低差も位置感も全くわからないふわふわとした世界。そこに二人だけが色づいている。


 僕は校舎だけを破壊できると想定していたのに、とんでもない。先輩の「マジカルアタック」は世界をぶっ飛ばす威力だったらしい。



「これで、あの部室はなくなりました」


「なんで……」


「だから、本来の居場所に帰りましょ……」


「なんで、こんなことするのよ!!」


 顔をあげた先輩は、目を真っ赤にらし、そのひとみは僕をにらんでいた。本当はこんな先輩の顔なんて見たくないし、これから口にするような冷たい言葉も発したくはない。でも、僕は先輩の幸せを願うから……


「そんなの、先輩が一番知っているんじゃないですか」


 先輩は突き放されたように、目の色を失い、絶望の表情いろを見せる。そして、目には大粒の涙を溜めて、子供のように泣き始めた。


「私……何も知らないもん……」

 

 手で涙をぬぐいながらも、それでも間に合わないくらいに涙であふれていく。僕の心は張りさけけそうだ。それでも、歯を食いしばり先輩を追い詰める。


「先輩がそんなに目を背けるなら、僕が現実を言います」


 部室で拾ったページには、『南陽岡症候群が長期化するのは夢で出逢った故人と離れたがらないから』としるされていた。


 だから、冬芽先輩が目覚めた時に、泣きながら弟の名前をつぶやいていたことも頷ける。


 そして、先輩がなんでページを切り取ってまで隠したのかといえば、先輩は僕に気づいて欲しくない事実があったから。それは……


「先輩は夢の中にいるんです。そして、僕は……」


 話している途中に、とつぜんくちびるうばわれた。なかば口を塞ぐように押し付けられたキスは、生前叶うことのなかったファーストキス。


「そんなこと言わないでよ! 私のこと嫌いなの??」


 唇を離し、十センチにも満たない距離で、ゆがんだ泣き顔が映る。


「そんなわけないじゃないですか! 大好きです! ずっと前から、これからも大好きです! その気持ちはずっと変わりません。たとえ僕が死んでいたとしても」


「なんでよ! なんで死んだのよ!!」


 声を裏返して彼女は叫んだ、そして小さく「……しかも私をかばって」ともつぶやく。


「確かに死ぬには早すぎて、まだまだ先輩と一緒にいたかったんですけど。でも、先輩を守れて死ねたらな悔いはないです。だから……夢から覚めましょう!」


「いやよ! 絶対イヤ!」


 もう離さないと僕をぎゅっと抱きしめる。そして、耳元で甘えるようにささやいた。


「悠くんがいて、南陽岡高校があって、一緒に歴史研究部を作って、私は他に何もいらないんだよ」


「もう、夢でもいいよ! だって現実じゃ南陽岡高校は取り壊されて、引越し先では悠くんが死んで……」 

 

「故郷を失って、想い人まで失って、私どうすればいいの?」


 先輩のたどってきた道はあまりにも残酷だった。そこに同情なんて何の意味もなくて、かける言葉なんか存在しなかった。


「ねぇ…… 確かに何も無くなっちゃったけど、二人でここで暮らさない? 私悠くんがいるならどこでもいいよ?」


 そのささやきはとても甘美かんびで、温かくて、優しくて……つい流されてしまうそうになる。僕だって、夢の中で先輩と一緒にいたい……


 でも、そんなのは間違っている! 


 生きている先輩には、見るべき景色も、聞くべき愛も、感じるべき幸せも、まだまだ沢山ある。ここにいたんじゃ、十七年分でしか生きられない。


 僕は覚悟を決めると、悪魔のような魔法の言葉を使う。


「諦めてください。僕だって成仏できなくて困るんですよ?」


 すると、ピタリと言葉が止み、代わりに大声をあげて泣き始めた。やるせない涙というのが正しいのか、ただひたすらにしずくを落とす。


 先輩はこんな時でも、困っていると言ったらやっぱり助けてくれた。僕はそんな先輩から、離れたくない……


 僕は目元が熱くなるのを感じ、頬には幾多ものしずくが伝った。


 先輩は耳元で「じゃあ最後に一ついいかな」とささやくと——



 唇を重ね、最期のくちづけをした。





 長くて深いキスからは、涙の味がした。




 唇を離すと、二人とも真っ赤な泣き顔をしてて、なんだか笑えてきた。それは先輩も同じで、見つめ合いながら少し笑った。


「でも、私これだけじゃ全然満足してないんだよ! だけど悠くんが言うから仕方なく諦めるんだよ!」


「はい、先輩は夢から覚めて、先輩の人生を生きてください。そして……」



「先輩が人生をいっぱいいっぱいに楽しんで、もし時がきたら、また南陽岡で会いましょう! 楽しい思い出話たくさん用意してくださいね? 少なかったら怒りますよ!」

 

 僕がそう口にすると、白はさらに眩しく光り始めた。先輩の夜明けは近いのだろう。


「わかったよ……悠くんまた今度ね? 約束だよ!」


 先輩の表情には、別れの寂しさはあれど、悲しみの色はなくなっていた。僕はその表情にホッとすると、笑顔の先輩を見て「はい!」と返事をする。


 だけど、世界はもう真っ白で、その返事は届かなかったと思う。でもそれなら、次会った時にまた返事すればいい。


 僕は待ち続ける。その待ち時間が長いことを願って。それでも、どんなに長くてもずっと待ち続けるよ、



 先輩とまた会える日まで。



 そして、僕は跡形もなく白となった。

 魂にひとつ、温かい記憶を書き加えて。



* * *



「お、起きたぞ! 結女ゆめが起きたぞ!」


 私が目を覚ますと、そこには白い天井が写っていた。周りはなんだか騒がしくて、両親がはしゃいでいた。


 そんな祝福の喧騒けんそうに、ポツンと聞きなれた優しい声が聞こえて、すぐに振り向く。

 

 そこには、スマホから悠くんの声が再生されていた。


「いっぱい、いっぱい声かけたんだけど、全然起きなくて……でも悠くんの声なら起きるのね……」


 お母さんは複雑そうな顔をしていた。だから私は大きな声で言った。



「悠くんが助けてくれたの!!」

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もう存在しない場所を、先輩と さーしゅー @sasyu34

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