早秋の紅葉

九里 睦

本文

 

 秋から冬にかけては、別れの季節。


 冬から春にかけてがそうだと言う人もいるけど、私はそうは思わない。


 冬の終わりには、さよならを言うための特別な式を開いてくれるから。


 それに比べて秋は。

 夏に頑張ったおかげで、やっと赤く色付いたと思ったら、実りを残さず、一斉に落ちていく。そして、後に残るのは寂しい風景。


 さよならを言わせてくれるのと、言わせてくれないの。どっちが寂しいかなんて、数学より簡単だ。




         ♢




「はい! それじゃあ二人三脚最後の組み合わせは竹くんと綾川さんねー! 男女の組みだけど、それでいいですかー?」


 担任の美弥先生が、ふっくらとした笑顔を見せた。

 この先生は、すごく優しい先生だ。それに、長年の教師生活の経験値からか、生徒の扱いをとことん心得ている。

 彼女は、体育祭の団体競技または個人競技で一位を取れば、その生徒に好きなアイスをご褒美すると言ったのだ。

 まだ中学生の私たちにとって、学校でのアイスはいわば禁断の果実。それをほんのひと時であれ解放されるとあっては、みんな目の色が変わっていた。

 むしむしと陽射しが差し込む廊下で、さくさくとアイスを食べ進む。他のクラスの子が指をくわえて見ても知らん顔。

 なんという贅沢! なんという至福! なんという優越感! 想像するだけでクラスのみんなはアイスのようにとろけている。


 一位取りたい! アイス食べたい! うへへー! 心の声が聞こえてくるようだった。


 だからこそ、この二人三脚は逃せない競技だった。なにせ、足の遅い速いはほとんど関係なく、ただ息を合わせて普通に走るだけで一位になれるのだから。


 だから、思春期真っただ中の中学生とはいえ、

「「大丈夫ですっ!」」

 男女でくっ付くことになんのためらいもなかった。いや、禁断の果実の前では、この事実も霞んでいたのかもしれない。


 その日の放課後、私たちのクラスは早速練習を始めた。グラウンドは野球部とサッカー部が練習してるから、近くの公園で。


 私たち二人三脚グループは、大縄跳びとバトンパス練習のグループの間に陣取った。


「じゃあまずタケと音ちゃんからどぞっ」


 ツインテールの美穂ちゃんが言った。あんまり大きな公園じゃないから、一組ずつの練習じゃないとぶつかってしまう。


 私とタケはしばし目配せ。


 ――どうするよ。

 ――やるしかないでしょ。練習しないと。

 ――だけどよぉ。


「音さん? どうしました? ほらほら」


 ベリーショートの環菜ちゃんがわざとらし〜い敬語で赤い紐を差し出してきた。


「ほらほら〜。ヤっちまえよ〜」


 他の男子たちもはやしてくる。


 くそう、他人事だと思って! アイスの魔力で忘れてたけど、私たち赤組じゃん!

 だから二人三脚の紐も赤色で、結んだ日には……


『ひゅーひゅー! タケと綾川は赤い糸(紐)で結ばれましたー! ひゅーひゅー! 暑いねー!』


 なんて学校中に言いふらされちゃう!


 それはタケもわかっていることで、だから

「おい綾川、お前髪くくるやつは?」

 と小声で聞いてきた。


 彼がそのこそこそ声を私に聞かせるために近づくと、周りは「ひゅー!」と色めき立つ。くそう、環菜ちゃんの裏切り者っ!


「あるけどきついよ。我慢できる?」

「当たり前だろっ、あの紐するよし百倍ましっ!」

「同感ね。じゃあ決まり!」


 私は普段はしないヘアゴムをポッケから取り出し、靴を脱いで足を差し込む。

 それを見たタケは、靴を脱いだ後……ええいっ! と足を突っ込んだ。

 

「あ!? 音ちゃんそれ反則ぅー!」

「あー! ずりぃ!」

「へっへー! お前らの思い通りにいくかよ!」

「美穂ちゃんと環菜ちゃんのばーかばーか!」


 私たちは逃げるように走った。公園の出口目指して。

 だけど、なんの示し合わせもなく走り出した二人は、たとえ目的地が同じでも……


「いてぇ!」

「もー! タケ! 先に出す足は真ん中でしょ!?」


 二メートルもいかずすってんころりん。

 クラスのみんなの笑いを誘った。



 翌日。


 すってんてん

 1つに重なる

 竹の音


 なんておバカな俳句が黒板にデカデカと書かれていた。もちろん相合傘があったのは言うまでもない。


 これは大変だ、ということでその日の放課後、極秘会議(クラスのみんなに二人でいるところを見られたらそれこそ終わりだ)を開くことにした。

 ちなみに、その日の二人三脚の練習は、「息を合わせるためには絆が不可欠! ということで今日は絆深める練習!」となり、みんなで遊びに行った。私たちが逃げ帰った後の練習がよっぽど上手くいったんだろう。くそう。


「ねえタケ、これからどうするよ」


 薄暗い場所で、私の声がエコーみたいに響く。クラスの練習場所とはまた別の公園の遊具の中が、私たちの作戦会場だった。


 タケはうつむいて考え込んでいる。……うんこ座りのせいでいきんでいるようにも見える。


「私たちの組み、解散する?」

「それは無しで」


 即答だった。

 確かにタケは身長も女子の私と並ぶくらいだし、足もそんなに速くない。極め付けに非力だから、勝つためには二人三脚しかない。ここで私がタケを他の女子に交換してしまったら、タケは食される禁断の果実を、指をくわえて見ている方に回るだろう。ほぼ100%で。


 ……私はこのままはやされ続けるよりそっちの方がいいと思うんだけど、男子はそうじゃないらしい。

 すね毛生え始めたくせに子どもなんだから。


「ならなんかいいアイディア出してよ」


 私はぶっきらぼうに言った。オマケに「ふんっ」と鼻を鳴らしてもよかったけど、どこかの嫌なマダムみたいになりそうだから止めておいた。


「うーん。……学校で俺と綾川はめちゃくちゃ仲悪いアピールしたらどうだろう。あまりに仲悪かったら、はやそうとも思わないじゃん?」

「……それだと美弥先生に見られた時、解散とかさせられない?」

「あぁーー」


 それから名案は一切でてこなかった。

 それに、帰る時、どこかの小学生に見られて、「あーお姉ちゃんたちエロいことしてたんだー!」と叫ばれて踏んだり蹴ったりだった。泣きたい。


 秋になったらしい帰り道はまだまだクソ暑く、背負った通学カバンの辺りに汗をかいて仕方なかった。


 翌日。


 少し遅れて学校に行くと、美穂ちゃんと環菜ちゃんにタケが追い詰められていた。


「あ! 助かった綾川ぁ! こいつらに説明してくれよぉ〜!」


 私にすがりきった情けない声を上げたタケ。ちらりとこっちを見た美穂ちゃんと環菜ちゃんの目が完全にすわっていたので慌てて助けに入る。


「ちょっと、美穂ちゃん環菜ちゃん、何があったのよ」

「何があったって音ちゃん!」

「音ちゃん昨日こいつにエロいことされたんでしょ!? 美穂の弟が言ってたんだよ!?」

「え? それでタケを?」


 隣で美穂ちゃんがぶんぶんと頭を縦に振る。


「ちょっと待ってちょっと待って! 全然違うよ!?」


 私は昨日のはただの極秘作戦会議だったってことを伝えた。結局、バレたから極秘でもなんでもなかなったけど。


「なんだ〜〜そんなことだったんだ」

「そうそう。だいたいこのタケにそんなことする度胸はないと思うな〜」

「なんだよ! 違うフォローの仕方はないのかよ! 仮にも相棒だろうに!」

「はいはい、一位取ってから認めるね」

「綾川……」


 雑に扱うと、タケがちょっと拗ねた。ダメだ、あんまり男らしくない。こういうところだってわかんないとね!


「でもよかったよ〜、音ちゃんが無事でほんとに」

「ほんとほんと、弟から聞いた時は夜じゃなきゃ、タケん家に殴り込みに行ってたね。……あのマサガキ、あとでとっちめなきゃ」


 タケが身震いした。


 二人はうんうんと頷いて、大きな安堵の息を吐いた。

 この二人、昨日まであんなにはやし立ててたのに、一大事となったら男子相手でもこんなに真剣になってくれて……。

 友情を感じて、一瞬ジーンときた。


「ありがとね、美穂ちゃん、環菜ちゃん」


 その日の放課後は、三人で遊んで帰った。



 翌日の放課後。



「綾川」

「なに?」


 帰り支度を整えて、美穂ちゃんと環菜ちゃんの元へ向かおうとしてた時だった。


「これ」

「タオル?」


 タケは自分の補助カバンからタオルを取り出した。


「公園行くぞ」

「なんで」


 二人三脚グループの練習は、もうほとんど行われてなかった。三日坊主。

 なのに私たちだけ、なんで。クソ暑いのに。


「勝つためだよっ!」

「えぇ〜」


 体育祭まであと二週間はあるのにー。まだ練習しなくても大丈夫だってー。

 わたしの言い訳はなにも通じず、半ば引きずられるようにして公園に行くことになった。


「真ん中の足から出すんだったよな!」

「はいはいそうねー」


「1、2、1、2でいくぞ!」

「はいはいそうねー」


 公園の中央に立っている時計は四時五十分。門限まであと一時間……。


 はぁ、はやく終わんないかなー。


 と上の空でいると、

「きゃ!」

 スタートする時、外の左足から出してしまい……

「大丈夫か!?」


 私の方だけ崩れ落ちる形になったけど、タケが見事に受け止めてくれた。タケはプロポーズの時の花を捧げる格好みたいになっている。


「あ、ありがとう。大丈夫。あ、でもタケの足が」


 タケの右膝には野いちごをくっ付けたような傷跡が。


「ん? あぁ大丈夫だよこんくらい。唾つけときゃなおる!」

「……ごめんね私の不注意で」

「いいっていいって」

「う、うん……」


 なによ、ちょっと男らしいところ見せてきて……。


 それからの一時間、私は真面目に練習した。


「よし! もう普通に走れるようになったな!」


 茜色に染まるタケの笑顔。

 それを見ていると、私も達成感に包まれた。くそう、一時間前の自分にビンタを喰らわせたいわ。


「そうね。……タケ、ありがとう」

「ん? なんで?」

「なんでも」


 まだ罪悪感は消えないけど、謝るよりはお礼のほうがいいかなって思い、私はタケに笑って見せた。



 それから、放課後の二人三脚の練習は週二のペースになった。

 そのかわりに、土日、「あとは絆を深めるだけだな!」というタケの提案で、色んな所に遊びに行くようになった。


 ちなみに、絆創膏を貼ったタケには申し訳ないけど、一回だけ、土曜日に断った。美穂ちゃんと環菜ちゃんと遊ぶために。


 それでも、あとの三回はちゃんとタケに付き合ってやった。


 初めの日曜日は自転車で。タケは私と同じように潮風の香りが好きで、日が暮れるまで海辺を走った。


 次の土曜日はショッピングセンターだった。ショッピングセンターといっても仲良くお買い物〜なんてせずに、ゲーセンに直行してクレーンゲームや太鼓の鉄人、アリオカートなんかをした。どれも協力プレーがあって、「ほら二人三脚の練習になるだろ!」とタケははしゃいでいた。


 最後の日曜日は、カラオケをした。もちろんデュエットで。白色と赤とか、撃ち込み花火とか、そんな曲しか知らなかったけど、タケに支えて貰って、点数はかなり高いのが出た。横で私の部分を歌ってくれて、音程を教えてくれたお陰だ。楽しくって、「お前、音って名前のくせに音程取れないのな」とか「お前は歌の点数タケぇよ」なんて、酔っ払いのお父さんみたいにはしゃげるくらい、アガった。



 ――そして遂に、体育の日。


「あー、今までタオルで代用してきたけど、遂にお前と赤い紐で結ばれるんだなー」

「ちょっとバカなこと言わないでよね! まったく……」


 と、こんなやり取りをしていても、私たちをからかう人はいなかった。あんまり練習してこなかった子たちはガチガチに緊張していたのだ。

 私とタケは、その子たちを笑ってやった。


「ほら美穂ちゃん環菜ちゃん! 二人ともトップバッターなんだから、震えてないでシャキッとしてよね!」

「う、うん」


『次は、プログラム7番。二人三脚〜一+一で三になれ!〜です』

 放送が入った。


「うわ〜、だっさいタイトル。こんなだったんだ〜」

「……これ俺のが採用されたんだけど?」

「え!? ゴメン!?」


 と、余裕のある私たちが最後尾で話していると、

「ふふっ」

「あははっ」

 前から女子と男子の笑い声が。


「音ちゃんとタケ、すっごく仲良くなったよね……。ありがとっ! お陰で緊張解けたっ!」

「このタイトル、タケが考えたのかよ! 厨二くせ〜!」

「よかった! ふふっ」

「は、はは……」


 一人は笑顔が引きつっていたけど、私たちのクラスの四組みは、それぞれ晴れやかな表情で結ばれた。





「それじゃあ今日一位を取った人たちには明後日、振り替え休日が終わった日にアイスを持ってきますから、ここに希望のアイスを書いといてくださいね〜。さようなら〜」


 美弥先生のお言葉に、クラスのみんなが「うぉーー!」と声を上げ、教卓のプリントに飛びついて行く。


「音ちゃんは行かないの?」

「美穂、今はそっとしといてあげなさい」


 美穂ちゃんは嫌味を言ったわけじゃない。私とタケも一位だった。だけど。


 ――竹優也くんは今日、お引越しの手伝いがあるので早めに帰ります。竹くん、体育祭で一位を取れてよかったですね〜! 皆さん拍手で送り出しましょう!


 よくないよ。なんでいきなり。せっかく絆を深めたのに。


 私は荷物が片付けられた、左端の席を睨んだ。


 アイス、食べられなかったじゃん。なのになんで一位にこだわったのよ。バカっ。


 泣きそうになった私は、誰にも見られないようにそっと教室を出た。


 帰り道、他の木はまだ緑なのに、一つだけ赤く色付いた葉っぱが、涙のようにほろりほろりと落ちていた。


 これは多分、私だ。

 誰かに赤く染めるだけ染められて、あとはほったらかし。実らせるものもなく、行き場をなくして落ちてゆく。


「秋に実る、果実はない、か……」


 熱いため息が出て、夕日が滲んだ。


「……あのバカ野郎」


 あんまり、足が進まない。


 たった二週間だったけど、あんなに一生懸命、あんなに楽しくやってきたのに……。

 引越し先どころか、さよならも言ってくれないなんて……。


 いやダメよ! めそめそするなんて私らしくない! 先生に引越し先を聞いて、会いに行ってやるっ! そんで次タケにあったら一発殴ってやるっ!


「ふんっ!」


 私はどこそこのマダムのように鼻を鳴らし、どしどしと地面を踏みしめて歩いた。


 そろそろ、紅葉が赤く染まる時期になる。

 タケのほっぺにも、紅葉を一つ、くれてやろう。


「あのバカ優也には、それがお似合いよ」


「誰がバカだって? 俺のお陰で一位だったのに?」


 え……?

 振り向くと、自転車のカゴにクマの人形を乗っけたタケがいた。


「音、お前怒ると独り言多いのな」

「な、なんでこんな所にいるのよ。引越したんじゃなかったの?」

「まだ引越してねぇよ。準備だよ準備」

「……人形かかえて準備? 可愛いね」

「……妹のなんだよ。それよりな、音。秋に実る果実もあるんだけど」


 そう言ってタケがポッケから取り出したのは、

「どんぐり?」

「そう、どんぐり。あと、柿もそうだな」


 そして、くすっと笑う声が聞こえた。

 バカにして――そう思って顔を上げると、タケはすごく優しい顔で笑っていた。


「……私の言う実るはそっちの実るじゃないとしたら?」

「なに言ってんの。俺ら今日、赤い紐で結ばれてんじゃん。遠距離恋愛、やろうよ?」

「な、なに言ってんのよ!?」

「なに言ってんのじゃないだろー。今日のために俺、凄く頑張ってたじゃん。アイス食えないのに」

「!? ば、バカ優也っ!」


 夕日道、優也の頬に、早秋の紅葉が咲いた。





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