第17話 そんなとこばっか見ないでよ

「夢? 僕たちが暮らしていた世界が?」


「そ」詩緒しおは簡単に頷いた。「人も物も現象も。世界のすべては、神様という圧倒的な処理能力を持つ個体が見ている、複雑な夢に過ぎない。のである」

 詩緒は顔の前で人差し指を立てた。


「へえ~」と僕は言う。「そうなんだ~」


 ここは「そうなんだ~」で流すのが正解という気がする。この土地に来てからずっと、荒唐無稽な説明ばかり押し付けられているのだ。まともに受け止めていたら身が持たない。

 とにかく、目の前に起こることに対処し続けるしかない。

 できる範囲で。

 すべてを、当たり前のこととして捉える。


「でもさ」僕は思ったことを口にしてみた。「世界を司るような神様が、こんな田舎の、こんな小さな山にいるってのも、なんかしっくりこない話だね」

「そうかね?」詩緒は可愛らしく小首を傾げる。

「だって日本の山奥だよ。世界にはいくらでも、それっぽい場所があるのにさ」

「世界を創った神様が日本に住んどるっていうのは、少しも不思議なことじゃあかて思うよ」

「うーん」

「じゃあナルくんは、これがクレタ島とかデルポイの遺跡で起こった話なら納得できるとね?」

「まあ、今よりかなり納得感あるかな。正直」

「じゃあストーンヘンジなら? ダイアモンドヘッドなら? 九龍なら? アマゾンの奥地なら?」詩緒の視線が僕を照射する。「この目の前の山なら?」

「ええと……」

「どこだろうと、偶然でしかかよ。神様はずっと昔から、日本の、九州の、山奥におった。それだけの話」


 ここ九州なんだ? と思ったけど、そのことはいったん胸に留めておくことにする。


「神様の棲むこの山のふもとには、神様の声を聞く一族もずっと生まれ続けとった。僕と暖乃ののは神様の声を聞く、いわば巫女の一族たいね」

「巫女なんだ」

「いわば、ね。僕は男だけん」

「本当に男?」

「は? 暖乃の弟って言うたろがい? 男!」

「あ、ごめん、怒った?」

「少し」

「暖乃さんと顔が同じだからさ。性格はぜんぜん違うけど」

「暖乃は性格のくら~かけんね」

「詩緒くんは人懐っこいね」

「詩緒で良かよ。性格は普通だろもん」

「ダロモン?」

「神託を受けることができるって以外は、普通の男たい」

「神託を受けるってのが、きみたちの役目なの」

「そう。ずーっと昔から繰り返されとること。大蛇が眠っとる時代に生まれたら、なんもすることかけど。僕らは数百年ぶりに神託ば受けた。そういう意味では幸運な双子って言うてか、かもね」

「数百年前にも一度神様が目を覚ましてるってこと?」

「けっこう定期的に目ぇ覚まさすらしいよ。神様は。その都度、世界はめちゃくちゃになる。その都度、誰かが神様を眠らせて、元に戻す。寝かしつけに失敗したら、世界が終わる。まあ、それだけの話たいね」

 うーん、と僕はまた考え込んでしまう。はっきり言って、反論や疑問を百個ぐらい箇条書きにできそうだ。

 でも、それらもいったん保留。

 目の前のことだけに対処する。

 できる範囲で。

「なんで平凡な僕が選ばれたんだろうね、神様に」

「神様の考えることはわからんね。信託ば受ける僕たちと言えどもね。ま、ナルくんはナルくんのペースでやっていくと良かよ」


 励ましてくれているのだろうけど、なんだか言葉に重みがない。


「おーい、待たせたね」

 懐中電灯を手にしたカジヤマさんが、坂道を登ってくるのが見えた。

「遅すぎ」詩緒が軽く睨む。

「ごめんごめん」

 カジヤマさんはお堂に入り、一振りの剣と二つの鏡を抱えて戻って来た。

 僕とカジヤマさんが鏡、詩緒が剣を持つ。この役割分担は、今晩の神託によって決定されたものだ。

「じゃあ、山に入るか」カジヤマさんが言った。

「ここで待ってれば大蛇が出てくるってわけではないんですね」

「昼間のは異常事態だよ。未だに原因がわからない」

「単に驚いただけだろね。山が。ナルくんに」と詩緒が見解を述べた。

 昼間ここにいたのは、暖乃だ。

 詩緒の顔が暖乃と同じだから、気を抜くと混乱しそうだ。

 詩緒と暖乃の記憶が共有されているのではないか? とすら思ってしまう。


 詩緒は鞘に収められたままの剣で、空中に何か紋様のようなものを描いた。

 すると、その部分が鈍く光り出す。


ゲートだ」カジヤマさんが解説してくれた。「ゲートは暖乃ちゃんか、詩緒にしか作れない。ゲートが出現すると、山は状態になる。山をひらくのは、双子の役目だ」


 空中に浮いた小さなゲートは、見る間に大きくなっていく。

 やがて、四角い扉のような形状にまで育った。


「さ。行こうかね」詩緒が僕たちを振り返る。「こんなかは、神様の心の中。実際の山とは様子が違うけん、気ぃつけて」


 まず詩緒が足を踏み入れた。その姿が門の向こうに、すっ、と消える。鳥居をくぐったらそのまま行方不明になった、という印象に近い。

 続くカジヤマさんの姿も、同じように見えなくなった。

 ひとり取り残される僕。

 今の精神状態を分析すると、かなりびびっていて、かなりやけくそ、かなりどうでもいい。という感じ。

 意を決して門を通り抜ける。巨大なシャボン玉の中に入るみたいな、ほんのちょっとした抵抗を感じた。それだけ。僕はすぐに詩緒とカジヤマさんを発見する。


 景色にとくに不自然なところはない。だけど真夜中にしては周囲がよく見える。やはり現実の山ではないのだろう。暗いのは暗いけど、けもの道が茂みの中に延びているのがはっきりわかる。


「来たか」とカジヤマさんが嬉しそうに目を細め、僕の肩にぽんと手を置く。

 詩緒は僕の姿を確認すると、黙って歩きはじめた。僕たちもそれに続く。

 靴の裏から伝わってくる感触は、ごく普通の山道のものだ。

 ここが本当に神様の心の中、なのか?


『ここが本当に神様の心の中、だよ』


 不気味な声があたりに響く。

 いや、響かない。

 僕の内臓から発せられているような。


 前方を歩く詩緒とカジヤマさんは、振り返らずに歩き続けている。

 僕にしか聞こえていないのだろうか?


『お前にしか聞こえていないよ』


 声がするたびに内臓が波打つようで、気持ちが悪い。


『うふふ。そんなとこばっか見ないでよ』


 いや何も見えないんだけど。


 じつは最初の一音を聞いた瞬間から、僕にはこの声の主が誰だかわかっている。


 闇鍋ルララ子。

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