第16話 大蛇の山

 深夜0時半。

 苺谷いちごたに詩緒しおくんと僕は、山の入り口のお堂で、カジヤマさんを待っている。

 カジヤマさんも僕たちと一緒に【つつの荘】を出たのだが、「ちょっと煙草吸ってくる。先に行ってて良いよ」と言い残し、裏庭に向かったのだ。

 大蛇を殺すと言っても、意外とのんびりした雰囲気が漂っている。


 お堂の前に着くと、詩緒は大きな岩に腰かけた。僕はその隣に立っている。

 詩緒の見た目は、本当に暖乃ののと見分けが付かない。

 山に入るときの服まで同じだ。

 ジャンプスーツとウェットスーツの中間みたいな変わったデザイン。小柄な体格も似ていて、顔の上のパーツには男性的な気配がまるでない。


 山は静かだ。

 生ぬるい夏の夜の微風。虫や動物たちのひしめく気配。明るい星々。

 目の前にそびえるピラミッドみたいな形の山を見上げながら詩緒が言う。


「あの山の名前は、ジャクマク。蛇が9回とぐろを巻く、と書いて蛇九巻ジャクマク山て言うとよ」


「蛇九巻……変わった名前だね。取って付けたような名前でもある」

「取って付けたのかもしれんね」

「というと?」

「へんな伝説が元になっとるとよ」

「伝説」

「まあ、昔話たいね。むかーしむかし、1匹の大蛇がこの村ば荒らし回っとったらしい。村人たちは、神様に祈り続けることしかできんだった。ところが、その暴れ回る大蛇自身が、ほかならぬ神様だった、ってストーリー」

「へえー。込み入った昔話だね」

「そうかね。ありがちって思うけど。結末はもっと単純ばい。選ばれし勇者みたいな人が出てきて、見事を大蛇ばらしめました。おしまい。まあ、棒で強く叩いただけらしいけど。大蛇は驚いて頭ば引っ込めて、9回とぐろを巻いた格好で鎮まり、眠りについて、そのまま山になった……ていう。まあ、そこから付いた山の名前たいね」

「蛇、九、巻、で蛇九巻ジャクマクね」

「ねえ、こん話聞いて、どう思う?」詩緒が無邪気な顔で僕を見上げた。

「どうって? たまにあるブラックな神話? って感じ?」

「やっぱそぎゃん思う? でもね、これ実話!」

 詩緒はいたずらっぽい微笑みを浮かべた。やっぱり、暖乃とまったく同じ顔だ。

 ちょっとドキッとしてしまう。

 そのせいで僕は詩緒の言葉を理解するのに数秒かかってしまった。

「え? 実話?」

「そう」何でもないことのように詩緒は頷く。「目の間にあるこの山が、その神話の山……つまり本当は山じゃなくて、大蛇ってこと」 

「神話ではなく、実際に起こった話……なの?」

「そうそう」


 月に照らされた黒い山を、改めて眺めてみる。


「ただの山じゃん」

「山に見えるばってん、もとは大蛇なんよ。とぐろを巻いた大蛇の皮膚の上に、土が積もって、森ができた。だけん変な形しとるどがい?」

「どがい?」わからない方言だ。「まあ、ピラミッドみたいだよね。そうか、とぐろを巻いた蛇の形か……」

「ナルくんは、神様は信じとるね?」

「トルネ? あ、torneか。違うか」まあいいか。「ええと、神様は……まあ、今さらかな」

「今さらって?」

「神様でも悪魔でも、いるって言われたら何でも信じるよ。こんな状況じゃあね」

「ふふふ」詩緒は目を細めて笑う。「でも忘れんでね。蛇でもあり神様でもある、この蛇九巻ジャクマク山をもう一度眠らせるっていうのが、ナルくんの仕事だけんね」

「僕の?」

「そう。この時代の選ばれし勇者というのが、三重野みえのナルくん。昼間に蛇が出たのも、ナルくんにびっくりした神様の、まあバグみたいな行動だろね。僕の勝手なカンだけど」

「なにそれ。みんな僕のこと選ばれし者って言ってるけど。恥ずかしいんですけど」

「選ばれし者っていうとは、神様に選ばれた戦士、って意味たいね」

「神様って、この蛇の山そのもののこと……じゃなかった?」

「うん、そう」

「だったら変じゃない? 自分を眠らせるために、自分を殺すための戦士を選ぶなんて」

「神様の中には2つの人格がある。人格っていうか、神格? まあ、人格でいいか。神様の中に眠る、もうひとつの人格。それが、選ばれし者を選ぶ神様」

「ややこしいよ。意味も良くわからない」


 僕が言うと、詩緒は小さなあごを指でつまんで、うーん、と少し考える。


「つまり神様の中に、眠りたい人格と、眠りたくない人格がおって、争っとる。でも今は、神様は眠っとらん。起きとるわけ。眠りたくないほうが優勢ってこと。だから、眠りたい人格のほうは、眠るために僕らに味方してくれる。利害が一致しとるけんね」

「なんだそれ。なんか牧歌的な話だね。ていうか……ギャグ漫画?」

「ははは」詩緒はからっとした笑い方をする。


 ん?


 山を見ながら、僕は不思議に思う。

「どぎゃんした?」

「ドギャン?」どういう意味だ?「いや、きみたちが毎晩殺してるっていう大蛇。それって何なの? この山に住んでる大蛇ってわけじゃないよね? だってあんな電車みたいに大きな蛇、このサイズの山に何匹もいたら、遠くからでも見えるはずだもんね」

「あー、うん。僕たちは今から山ん中に入るわけではなくて……分かりやすう言うと、神様の精神世界、つまりこころん中に分け入って行くとよ。で、神様の心に住んでいる精神的な蛇を、一晩に一匹殺します」

「精神的な蛇」

 なんだそれは。そんな言葉の組み合わせがあるのか?

 まともに考えると馬鹿馬鹿しさが止まらなくなる。

「まあVRのホラーゲームみたいなもんたいね。でも、ゲームの中で敵を殺したら、現実の世界でも敵が死んでいる。そういうことが起こっとるわけ。あんまむずかしゅう考えんでかよ。気楽に、気楽に」

「いや気楽にって……」

「できるできる」詩緒は戸惑う僕をにこにこと見上げて言う。「ここまでで、何か分からんこつあるね?」

「何もかも。まず『神様の目が覚めてる』ってのが、よくわからない。神様って、この山のことでしょ? 山のままじゃん。起きてないじゃん。もとは蛇だったのなら、目が覚めた今、蛇になって動き回るんじゃないの?」

「そこはそれ、眠りたい人格のほうがうまく制御しとるんじゃないか? 布団の中で起きとるけど、目は閉じて動かれん~、ってとき、あるどもん?」

「アルドモン?」

「あるでしょう? ってこと」

「うーん。そもそも、なんで神様が目覚めたら世界が消えるの? それがいちばんわからない」

「それは簡単なこつよ」詩緒は真顔で言う。「僕たちが暮らしていた【元の世界】っていうとはね、神様が見とった夢に過ぎんわけ」

 神様が見てた……。

 夢?

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