第15話 神託

 食堂の8人掛けのテーブルに6人が座っている。


 僕、苺谷いちごたに暖乃のの、カジヤマさん、イシキリさん、宇留賀うるがまほろ。

 そしてもうひとり。


 白い半袖のセーラー服を着た女の子だ。初めて見る顔。胸もとまで届く黒い髪のまっすぐさを参照しているかのように、背筋もぴんと伸びている。僕からいちばん遠い席にいて、軽く会釈はしてくれたけど、それ以上の会話はなく、名前もわからない。誰も紹介してくれないし、僕から気軽に話しかける感じでもなかった。


 空いている2席は、イサナくんと、さんの座る場所だったのだろうか。

 でも「シオ」って子もいるはずなんだよな。

 セーラー服の女の子が「シオ」ではない、と何となく僕にはわかっている。

 どうしてそんなことがわかるのだろう?


 食卓にはカレー、アボカドとトマトのサラダ、マッシュポテト、コンソメスープ、ほうれん草のオムレツ、その他いろいろが所狭しと並んでいる。天国のようだった。これは天国だと思いました。

 でも隣に座った暖乃が小さな声で「食べてかとはカレーだけ」と念を押すものだから、僕はカジヤマさんに「そんなにお腹減ってないっすねー、すみません」などと言い訳しながら、カレーだけを食べるしかない。


 料理は普段からカジヤマさんがほとんど一人で作っているらしい。オーソドックスなバターチキンカレーで、びっくりするぐらいおいしかった。他の料理もぜひ食べてみたい。僕の中に、食に対する強い欲望が沸き起こった。しかし暖乃が刺すような視線で注意を促し続けるから、黙ってこれに耐えるしかなかった。暖乃はすでに、さまざまな制約を僕に課すことができる立場にある。僕は暖乃の可愛さに精神的に屈服しているのだ。いともたやすく。


 それにしても、若い男女が集まっているのに、食卓に飛び交う言葉は「大蛇が昼間に出たこと」に関するものばかり。シュールかつ殺伐とした話題だ。

 やはり大蛇が出たことそれ自体ではなく、「昼間に出た」のが珍しいようだ。

 暖乃とセーラー服の女の子だけは会話に参加せず、黙々と食べている。暖乃は僕と同じくカレーにしか口を付けていない。


「夜に大蛇が出るのは珍しくないことなんですか?」と僕は質問してみた。

「珍しくないっていうか」宇留賀が面倒くさそうに頭をかく。「夜はこっちから出向いて蛇を殺しに行くんだよ。選抜メンバーで」

「選抜?」

「神託によって、俺たちの中から毎晩3人が選ばれる」エプロン姿のまま食卓についているカジヤマさんが言った。「指名された3人は、その日の深夜、山に入り、大蛇を殺す。それは俺たちの日常だよ」

「なんでそんなことをするんですか?」

「世界を元通りにするためさ」

「元通り?」

「言ってなかったかな。この世界って、もうここしか残ってないんだよ」カジヤマさん机の上で両手の指を組み合わせた。「この山と、この小さな集落。少し東に行くと、もうひとつ同じくらいの規模の集落があって、それで全部だ。あとは、君も見ただろう、真っ黒な空間を。空間というか、あの部分はまだんだ。【世界の果て】ってのが、ちょっと歩けば簡単に見られるのさ、今のこの世界ではね。大昔のコンピュータ・ゲームみたいに容量が少なくて、マップも狭い」


「えっと……」

 何と言って良いかわからない。頭の処理が追いつかない。


「蛇を殺せば殺すほど、世界は復元されていく」カジヤマさんの講義は続く。「といっても、仮の状態で、だけどね。この集落だって仮の姿だ。大蛇を殺せば、とりあえず元の世界の要素が少しずつ戻ってくるんだ。それを適当に並べれば、仮の世界が広がっていく。奪われたパズルのピースを1つずつ取り返すようなものだよ。戻ってきたピースは適当に机に並べる。それは僕たちの知っている世界とはまるで違った世界だけど、すべてのピースを取り戻せば、また元通りに並べ替えることはできるだろ。俺たちがやっているのは、そういう作業だ」


 部屋が一瞬、しんとなる。


 僕はコップの水をひとくち飲んだ。水は飲んで良いんだっけ? ちらりと暖乃の表情をうかがう。何も言わずに僕を見ている。

「どうしてこんなことになったんでしょう……?」と発した僕の声は、自分でも笑いそうになるくらい細かった。

「昼間に言ったろ。神様が目を覚ましたからだよ」宇留賀が割って入る。「寝てた神様が起きたからこうなった。聞いてなかったのか?」

「いや、聞いてはいたけど。意味はわかってない。わからないことだらけだよ。世界がここしか残ってなくて、大蛇を殺すたびに世界が復元されていく仕組みで……そもそもあの大蛇って何ですか? 全部で何匹ぐらいいるの? 僕も毎晩大蛇を殺すメンバーの1人ってことですか? なぜ僕が選ばれたんだろう? あと……」

「あんま考えすぎんなよ」宇留賀は退屈したように椅子の上で膝を抱えた。

「考えすぎって……」

「私たちみんな文句ひとつ言わずにやってんだよ。ごちゃごちゃ言っても仕方ないよ」

「仕方ない……のか、なあ?」

 宇留賀の表情が怖すぎたので、僕の語尾はあやふやになった。

「とは言ってもね」今まで黙っていたイシキリさんが口を開く。「私たちも現状に慣れすぎて、ちょっと雑だったと思うよ、この子の扱いが。ほとんど何の説明もしてないもん。大蛇というのはね……」


らん」


 短い言葉で断じたのは暖乃だ。

 全員の視線が彼女に集中する。

「こんひとには私があとで詳しく説明するけん。みんなは何も言わんでか。こん人の扱いは私に一任して。それと、たった今……」

 そこで急激に、暖乃の首がぐらつき、目がうつろになる。

「たった今……」暖乃は弱々しい声でもう一度繰り返し、がくんと体の力が抜けたみたいに椅子の背に寄りかかった。


 そのまま意識を失い、動かなくなる。


「えっ、なに?」僕は椅子から立ち上がり、彼女に触れる直前で手を止め、食卓を囲むみんなを見回す。「あのこれ……」

 ところが誰も動こうとしない。慌ててもいない。平然と暖乃を見ている。

 そのとき、食堂の扉が何の前触れもなく開かれた。


「神託が降りた」


 そう言いながら部屋にずかずか入ってきたのは、暖乃だ。

 え?

 混乱した僕は、意識を失った暖乃と、いま入ってきた暖乃、2人の顔を見比べる。

 同じだ。

 ……増えた?

 いや増えるわけないか。

 どういうこと? 目の錯覚? 乱視が進んだのか?

 怪談?

 二人目の暖乃?

 綾波レイ? 


「今夜のメンバーは、梶山さんと、新入りの……ええと、三重野みえのナルくん。あと僕」


 二人目の暖乃は淡々とそんなことを言う。

 二人目の暖乃の一人称は『僕』だ。

 二人目の暖乃がまっすぐこちらに近づいてきて、僕の隣で意識を失っている一人目の暖乃の肩に手を置いた。


「部屋まで運ぶけん、手伝てつどうて?」二人目の暖乃は、体をひねって僕を見る。「僕はイチゴタニ・シオ。ストロベリーの苺に、風の谷の谷、詩人のへその緒で、苺谷詩緒。暖乃の双子の弟です。どうぞよろしくっす」


 苺谷いちごたに詩緒しおは空いているほうの手でピースして、それを自分の頬に当てた。

 かわいい。

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