第11話 門

 宇留賀うるがまほろの言う〈神様〉って、いったいどういう神様のことだろう。


 世界を創造したとされる神様が実在していたとして、そういうもののことを言っているとは思えない。そんな偉大な神様がこんな小さな山に住んでいるはずがないだろう。ここがどこだかわかってない僕が言うのも変な話だけど。

 そもそも僕は「いま世界に何が起こっているのか」について何も理解していない。


「やべーな」という宇留賀まほろの声で僕は我に返る。


 彼女は山の入り口を睨んでいた。僕の見た限りでは、何も異常はない。

「やべーって、何が?」

「山がのに、ゲートまで生まれようとしてる。これじゃノノたちがを殺したのか、殺せてないのか、わかんないんだよ」


 ゲート? 大蛇? 知らない用語ばかりだ。質問するのも面倒くさい。


 突然、宇留賀まほろが走り出す。今度は何なんだ。ウサギが跳ねるような勢いでお堂に向かっている。土足で上がり込んでいる。天罰とか気にしないのだろうか。神様が棲んでる山のお堂なんだからさ……。


 お堂の中でかがみこんで何やらごそごそしていた宇留賀まほろが、また元気よく飛び出してきた。表情は硬い。長い棒を持っている。走ってこちらに近づきながら、その棒を「ほい」と僕に向かって放り投げた。

「わっ、なに?」僕は慌てて空中でそれを受け取る。


 思ったより軽い。きっちり閉じられた傘? と一瞬思ったけど、どうやら剣だ。シンプルな装飾の黒い鞘に収められている。


「まだ抜くなよ」と宇留賀が言った。「一晩に一度しか抜けない剣なんだから」

「なにそれ」

「まあ、今は昼だけど。昼間に剣を使った奴なんて私も見たことない。だから、これがどういう風にカウントされるのかわからない」

 何を言ってるのかわからない。

「見てみ」

 宇留賀があごで指し示した先を見る。山の入り口、つまり集落との境界線のあたりに、真四角の、光り輝く窓のようなものが浮かんでいる。

 何だろう?

 さっきまで何もなかったのに。ちょっと非現実的な光景だ。


「あそこで光ってるのがゲート。どんどん大きくなってるだろ? あるていどの大きさになったら、私たちの仲間が吐き出されてくる。今回は、ノノととイサナだ。そのあと、勝手に門は閉じると思う。そのパターンのときは何もしなくて良い。でも」


 宇留賀まほろは鋭い目つきで光の窓を見ている。さっきは雑誌くらいのサイズだったのに、宇留賀の言う通り少しずつ広がって、今ではスーツケースほどの大きさになっている。


「でも、何?」僕は宇留賀に近づく。怖いのだ。

「中から蛇が出てきたときは……」

「蛇?」

「蛇っつってもバカみたいにでっかい大蛇なんだ。電車くらいある、クソでかいやつ。それがゲートから顔を出してくるかも。そのときは……」

「そのときは……?」

 ていうかそんなことあり得るのか?

 電車みたいにでかい蛇?

 何だよそれ。

 宇留賀まほろは、僕の目をまっすぐに見て言った。

「その剣で、蛇の頭を斬り落とせ」

「できないよ」

「即答すんなよ。選ばれし者なんだろ?」

「選ばれし者って?」

「お前が言ったんだろ」

「イシキリさんが言ったんだよ。意味はわからない。君が戦ってよ。やったことあるんでしょ?」

「その剣、私じゃ抜けないかもしれないんだよ。今は」

「どうして」

「あとで説明するよ」

「今してよ」

「うるせーな!」宇留賀まほろが目をむく。「昨日の晩に使ったばかりだからだよ! 心配しなくて大丈夫! お前ならやれる! お前は最強! お前が死んでも、お前が終わるだけ!」

「ええ〜……」

「私もフォローもするから! ただ……」宇留賀はゲートと呼ばれた光の窓に視線を戻す。それは今では、姿見ほどの大きさにまで成長している。「この場所が、ぎりぎり山の外ってことが問題なんだよ。が使えない」


 跳躍。


「わからないことばっか言うなよ」

「黙れ。来る……!」

 宇留賀が腰を落とす。僕はその一歩後ろに隠れるようにして、光の窓……〈ゲート〉を注視する。


 パキン


 と澄んだ音がした。

 ゲートの光が粉々に飛び散る。高級なガラス細工のように。

 その中心点から、何かが飛び出してくるのが見えた。


 人間だ。


 そいつは投げ飛ばされた柔道家みたいに、勢いよく地面に叩きつけられ、ぐったりと動かなくなった。男だ。僕たちの前方2メートルほどの位置に倒れている。こちらに背を向けているので顔が見えない。意識を失っているようだ。


「イサナだ! 斬るなよ!」と宇留賀が言った。


 言われなくても、斬る準備なんてそもそもしていない。僕の体はかちこちに固まったままだ。

 続けざまにもう一人、何も無い空間から人間が転がり落ちてきた。ぽろん、って感じに。僕の目の前に。


 その人物は、片膝と片手を地面についたターミネーター・スタイルで静止している。たぶん女の子だ。うつむいた顔は、柔らかそうなボブヘアで隙間なく隠されている。かなり可愛いのではないか? という場違いな予感に胸を膨らませていると、突然彼女は顔を上げた。首を揺すって髪を払う。


 そこで僕はぎょっとした。

 ぎょっとするほど可愛いのだ。

 顔が。

 正体不明の可愛い女の子は、寝起きみたいな目でじっと僕を見ている。


「その子がノノだ! 斬るなよ」宇留賀が叫ぶ。「ノノ、は?」


 ノノと呼ばれた女の子は素早く立ち上がる。小柄で、均整の取れた体つき。ウェットスーツとジャンプスーツの中間みたいな服を着ている。僕と同じ剣を手にしていて、それは鞘に収まっていた。


「呑まれた」とノノ。

「呑まれた?」宇留賀が目を見開いた。「が?」

 ノノは頷く。そして山の入り口の辺りを睨む。


 何もない空中。人の頭よりやや高い位置に、二人の人物を吐き出したのとはまた別の、四角い光の窓が現れる。

 そして、その窓を押し広げながら、

 巨大な巨大な物体が、

 それこそ電車みたいに大きなものが、

 ゆっくり、ゆっくり、

 僕たちの前に顔を出す。

 黒々とした鱗。ビー玉みたいに冷たい眼光。稲妻のような赤い舌。


 蛇だ。


 とんでもなく大きな、蛇。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る