第9話 真夏の村
「着いたよ。起きて」
やわらかい声で僕は目を覚ます。
ここがイシキリさんの運転するクルマの中だということを思い出すのに少し時間がかかった。
どれくらい気絶していたのだろう?
まったくわからない。
黒一色だったはずの外の景色が、なんだか明るい。
「起きなって」イシキリさんが少し身を乗り出して僕の肩を揺すった。いい匂いがふわりと漂う。それだけでイシキリさんをちょっと好きになってしまう。
僕の頭の中って、ここまで単純な仕組みだったろうか?
クールでとげとげしい印象だったイシキリさんは、クルマを降りた途端になんだか優しい空気に包まれていた。
気絶する前の短い記憶が夢だったような気分になる。
とにかく自分の中のすべてが安定しない。
イシキリさんが後部座席のドアを開けた。
「カジヤマくんも。目を覚まして。何だか様子がおかしい」
僕たちはわらわらと車を降りる。テニスコート2面分ほどの空き地のようだ。
周囲を見渡す。明るい午後。かがやく棚田。きらめく小川。手入れされた様子のない豊かな山々……。
どこだろう。田舎の集落だ。さっきまで暗黒の空間を旅していたはずなのに。
気温はかなり高い。30度はありそうだ。
カジヤマさんは車を降りてすぐに煙草を吸いはじめた。
僕にはすることがない。荷物もない。今着ているTシャツと、ぎりぎりパジャマではないって感じのスウェットの下だけ。部屋からいきなり連れ出されたから、スニーカーすら履いてない。地面が熱い。
裸足の僕に、イシキリさんがさすがにちょっと心配そうな顔をする。だけどイシキリさんが口を開く直前に、「おーい!」という声が聞こえて、僕たちの意識はそちらに奪われた。
10メートルほど先に民宿っぽい木造住宅がある。その玄関から女の子が飛び出してきたのだ。手を振りながらこちらに走ってくる。
ストライドが大きい。あっという間に僕たちの前に到着したその子は、爽やかな印象を2秒で裏切り、「帰ってくんの遅えよ!」と顔を歪めた。
背はけっこう高い。170センチ近くあるだろう。明るい栗色の長い髪が顔にかかっている。Tシャツにショートパンツ。サンダル履き。僕と同じくらいの年齢だろうか。僕は圧倒されている。活力に溢れた生命体が、妙に生々しい感じで視界に飛び込んできたものだから。
彼女も僕を見ている。僕の全身を怪訝そうな視線で高速スキャンすると、さらに怪訝そうに顔をしかめてイシキリさんに説明を求めた。
「誰こいつ? 裸足なんだけど」
あまり感じが良くない。
「昨日言ってた
「ああ、なんか言ってたね、そういえば」女の子は僕をもう一度見て、「裸足じゃん、こいつ」と同じことを言った。
「マホロちゃん、何か言いたかったんじゃない?」車の向こうからカジヤマさんが言う。
「そうだった!」女の子が1回拍手をする。マホロちゃんという名前らしい。「聞いて、2人とも! のんびりしてる場合じゃなかった」
「山がひらいてるみたいだけど」とカジヤマさん。
「私もそれ気になってた」イシキリさんも頷く。
「神託が降りたんだよ」マホロちゃんは急に真剣な目つきになった。
「こんな昼間に?」煙草をくわえ直そうとしていたカジヤマさんの手が止まる。
「今、ノノと、みずうみと、イサナが山に入ってる」
その言葉に、イシキリさんとカジヤマさんが顔を見合わせた。僕には何が何だかわからない。
ノノ? みずうみ? イサナ?
靴すら履いていない僕は完全に蚊帳の外だ。
神託というワードも気になる。
ここは宗教団体か何かだろうか。
「もう4時間ぐらい経つよ」マホロちゃんが腕を組む。「真っ昼間に神託が下るなんて初めてじゃん? 山もひらいたままだし。あの3人なら大丈夫とは思うけど、さすがにちょっと心配でさ。だからとりあえず、入り口のあたりまで様子見に行こうかなって」
マホロちゃんの言葉に「俺も行くよ」とカジヤマさんが煙草を踏み消した。
「カジヤマさんは来なくていい」
「どうして」
「疲れてるでしょ。こいつ連れてくわ」
マホロちゃんはあごで僕を指し示しながら言った。
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