第8話 暗黒ドライブ
真っ黒な空間をドライブしている。
窓の外には小さな光点が等間隔に浮かんでいて、それが僕たちの進むべきルートを示しているようだ。光点がすごいスピードで通りすぎていく。それ以外には、自分たちが動いていることを示す証拠はない。
車内は静か。
誰も喋らない。
ここはルール説明というか、チュートリアルっぽいことが行われるタイミングじゃないのか? と現代っ子の僕は思う。
自分から質問するべきか?
考えを巡らせていると、運転席の女性が唐突に言葉を発した。
「私はイシキリと言います」
名前を教えてくれたのだ、と理解するのに数秒を要した。
イシキリ?
石切と書くのだろうか。苗字?
それともイシ・キリさん?
「あ、僕は」
「知っています。
また車内は静かになった。
イシキリさんは運転に集中しているようだ。見た目はビートルでも、彼女のハンドリングはあまりに独特で、明らかに普通の自動車ではない。暗黒の空間を走っているのだから当然だが。イシキリさんの横顔は無表情だ。後部座席のカジヤマさんも無言。とくにぴりぴりした空気というわけでもないけど、なんとなく、何かを質問できるような雰囲気ではなくなってしまった。
まあいいか。
どうせ、なるようにしかならない。
ここから逃げ出したって行く場所もないし、そもそも逃げ出したいとも思っていない。今は何ひとつ選択肢が表示されていない状態だ。
たぶん、世界は以前とはすっかり変わってしまった。でも僕は冷静だ。落ち着いている。
普段の僕ならパニックを起こしたり、不安や焦りを感じたり、家族や友人の安否が気になったりするはずなのに。
今の僕は、以前の僕と連続性を保てているのだろうか?
窓に映る僕の顔は以前のままだ。だけど「以前」の記憶自体、疑おうと思えば疑えてしまう。
しかし、そんなことすらどうでも良い。
眠気すら感じる。
いっそ寝てしまおうか。
さすがにこの状況で寝るのは豪胆すぎるだろうか?
しかし眠気はどんどん重みを増していく。
「眠いの?」イシキリさんが僕の心を読んだようなタイミングで言った。
「はい。少し。いや、かなり」
「こんな状況で眠れるなんて。緊張とかしないの? さすがは選ばれし者といったところね」
「選ばれし……」
者。
よく自分が吹き出さずにいられたものだと感心する。まだ自分本来の反応が取り戻せていないのかもしれない。
イシキリさんはいたって真剣な表情だ。
でも同時に、かつて
〈おまえは選ばれたのだ〉
いったい僕は何に選ばれたのだろう。
ルララ子はどこに消えたのだろう。
いつのまにか後部座席のカジヤマさんは口を開けて眠っている。1日4ステージを終えて疲れ切った歌のお兄さんの楽屋のようだ。
「カジヤマくんは寝るよ、それは」イシキリさんが言った。「行きは彼が運転してたし。これ普通のクルマじゃないからね。すごく疲れるんだ」
「暗いですね、外」とだけ僕は言った。あくびを我慢しながら。
「ちょっと気を抜きすぎてるな」イシキリさんがイライラしたように言う。
イライラされる筋合いがあるだろうか。
「もう寝ていいですかね」僕の言葉も眠気のせいで棘がある。
「寝ちゃだめ」イシキリさんが冷たく微笑んだ。「少し緊張感を持ってもらおうかな」
イシキリさんがアクセルをわざとらしいほど大きく踏み込んだ。ハンドルも馬鹿みたいに同じ方向に高速で回している。ほとんどプロペラのように。
僕は夢でも見ているのか?
爆発的に加速しながらクルマは大きく右にカーブした。内臓が圧迫される。窓の外では光点が吹雪みたいに乱れ飛んでいる。
「ガソリンや電気で動いているわけじゃないんだ!」イシキリさんの声が妙に遠くから聞こえた。「私がこのクルマを直接操作している。すべての部品を直接ね。原理的には空飛ぶ魔法のカーペットみたいなものなんだよ」
僕は返事をしない。酔いかけていた。
「到着したら私たちの言うことに従ってもらう。それは君にとってかなりの大仕事になると思う。今のうちから緊張感を高めておくべきだね。寝てる暇なんてない」
「眠気より、今は吐き気のほうが……」
「ごちゃごちゃ言うな!」
イシキリさんは、ダッシュボードに密集している謎のスイッチ群を、ピアニストのように複雑な手順で押してゆく。同様に、何の意味があるのかわからない無数のつまみを上下に細かく操作した。DJブースみたいな運転席だ。
窓の外の光点が爆発的な勢いで踊りだす。
体にかかるGがやばいことになる。
イシキリさんの口から放たれる高音域の雄叫び。
ヒィャッハアアァァァーーーア!!!!
この人、もしかして雑魚キャラなのか?
僕は意識を失った。
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