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 窓の外を見たら、地面が濡れていた。

 何か小さな動物の、足跡も見える。


***


 彼が留学を名目に宗教組織の破壊工作に向かって、すぐ。駅前の宗教組織の拠点が、官邸の攻撃で壊滅した。

 どうやら、新型の中性子爆弾が使われたらしい。地球を破壊できる威力と聞いていたのに、駅前では特に爆発などは起こらなかった。もしかしたら、現実の爆発ではなく、思想や心裡に影響を与える爆弾なのかもしれない。


 駅前にあった組織に宗教の中心となる何かがあって、海外の宗教施設はスケープゴートらしい。

 それを聞いて、少し、ほっとした。彼の仕事は、それほど危険ではないということになる。


 数日経って、彼が帰国するという報せを受けた。


 部屋を掃除して。お風呂に入って。彼の来訪にそなえる。買い物はしてきたけど、彼は料理が好きなので、ごはんは作らなかった。


 窓の外を眺める。


「そうだ」


 彼に踏み荒らされていたお花に。水をあげることにした。

 踏まれても、それでも。花はまっすぐに咲く。


 彼が帰ってきたら。


 告白してしまおうか。


 ばかどもの能のない罰ゲームで彼が告白してきた以来、お互いにそういう言葉は口にしてこなかった。


 花に水をあげおわって。部屋に入ったとき。


 彼が来た。


 その姿は。


 変わり果てていた。


 目が、濁っている。

 両手とも、狐の形を作っていて。ぼそぼそと、呟いていた。ほっけこんこん。そう言っている。


 さっき、わたしが水をあげたお花。彼が、さも当然であるかのように、それを踏み荒らしていく。ところどころは、ほっけこんこんと呟きながら、花を蹴っている。


 彼は。彼じゃない状態だった。


 家に招き入れて。


 彼。


 ぼそぼそと、呟き続ける。ほっけこんこん。ほっけこんこん。


 声を。かけられなかった。


 彼。


 何か、おそろしいものに。とりつかれている。


 それを、どうやって解き放てばいいか。


 その手段を、わたしは持っていなかった。


「おかえりなさい」


 かろうじて、それだけを口に出した。


 彼。こちらを見る。


「ぼくの名前は安生」


 違う、名前だった。洗脳は、人の名前さえも、書き換えるのか。


「君は、清子?」


「ちがう。ちがうわ」


 窓の外。動物の足跡。踏み荒らされた花。


「そうだ。花」


 近くにあったお水をあげるための水筒を、手にとって。


「ね。お外にお花が咲いてるの。水をあげに、一緒に行きましょ?」


 彼。

 こころが。ひび割れる音がした。そんな音。聞こえないのに。たしかに、聞こえた。


「ほっけこんこん。ほっけこんこん」


 何かを、押し込めるように。また、彼が呟きはじめた。


「わたし。決めてたの。あなたが仕事から帰ってきたら。一緒にいよう、って。好きよ」


「ほっけこんこん。ほっけこんこん。僕は安生」


「ちがうわ。あなたはあなたよ。思い出して。わたしを。あなたが、好きなの。一緒にいたい」


 彼。混濁しはじめる。彼がいる。まだ、彼は。ここにいる。


「ふざっけんなよっ」


 彼。こちらに突進してきて。服の襟をつかまれる。

 かなしいほどに、細い腕だった。あんなに、鍛えられていた身体が。心で、こんなにも、弱るものなのか。襟を掴んでいる手。震える、狐の手の形。


「ごめんなさい。わたし。あなたを。どうしたらいいか、わからない。おねがい。戻ってきて。おねがい」


 彼。震えながら。

 力が。

 抜けていった。


 彼。


 もう、呼びかけても。


 戻ってこない。


 さっきまで彼だったものを。抱きしめる。なるべく、やさしく。

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