第15話 雨中に抄う光 その4

「どうした?食べないのか?」

パフェのてっぺんに乗ったアイスがスプーンでつつかれてくすぐったそうに身をよじっている。そのスプーンを握る白魚のような指の持ち主、美千歌はぼーっと窓の方を眺めていた。その視線をたどると、しとしとと降り続く雫が窓ガラスを伝っている。ガラスに映りこんだ彼女はまるで泣いているように見えた。


遠藤先輩に話を通したあの日から数日が経過していた。美千歌の友人関係に現状では回復の兆しは見られないものの、放課後一緒に過ごすようになると少しずつ彼女に笑顔が戻ってきた。最近はどうすれば美千歌を喜ばせられるか考えるのが密かな楽しみだったりする。


今日は近所の喫茶店「天使の梯子」に寄り道をしている。小学生の時は親や勇梨と一緒にお菓子を食べていたこの店も中学生になった今ではご無沙汰していた店だった。彼女ができたら連れてこようと思っていたのはナイショだ。


「ちか~、おーい。」

目の前で手を振ると驚いたように肩をはねさせた美千歌がスプーンを机の上に落とす。意外と大きな音がして慌てて周囲を見回すものの、こちらを見ている人はいなかった。


「なにやってんだよ。」

と言うと机を拭いていた美千歌がチロっと桜色の舌を出す。やっちゃった、と書いてあるその顔を見ているとそれ以上責める気は起きなくて、代わりに自分の分のパフェからサクランボを一つ、彼女の器に乗っけた。


「どーしたの。なにか考え事?」

片付けも終わり目の前のパフェに関心の戻った美千歌に問いかけると、盛られたクリームにぐさっとスプーンを突き刺した。


「う―ん、あたしがお兄ちゃんのこと好きなのってそんなに変なことなのかなって。」

俺が答えられずに固まっているとうつむいた美千歌はそのままボソボソと語り始めた。


「あたしにとって一番身近な男の子はお兄ちゃんで一番優しいのも、近くにいるとドキドキするのもやっぱりお兄ちゃんなんだよ。」

語る声が徐々に細くなり、最終的には悲鳴に近かった。俺はこれを止めるべきなのだろうか。

今にも泣きだしそうに見える美千歌は、悩んでいる間にこれまでの鬱憤を晴らすかのように続きを吐き出す。


「友達にも言ったことあるけど笑われただけだったし、あの先輩も。」

目が吊り上がり、手元のパフェがグサグサ刺されて無残な姿になる。南無阿弥陀仏。


「かわいそうなやつだって顔になっただけで断る口実くらいにしか思ってなかった。嘘じゃないのに。あたしは、ホントに好きなのに。」


話し終えた美千歌は再び俯いてしまった。なにか声をかけようとするものの、まったく言葉が浮かんでこない。焦れば焦るほど手の中をすり抜ける単語たち。続く沈黙の中でアイスコーヒーがカランっと音を立てる。机を挟んで向かい合っているだけのはずの美千歌がひどく遠くにいるように感じた。


手に食い込む爪の感触に、いつの間にか手を握りこんでいたことに気づく。指が白くなり、こわばっていた拳を慎重に開いていると、それに反応するようにゆっくりと美千歌が顔をあげる。



その顔に目を奪われてしまった。瞳に挑戦的な光を宿らせ、世界に逆らってやるという意思を湛えたキレイな笑み。心臓を貫かれるような感触で胸が苦しい。

ずっと泣き虫で兄の後ろを付いていくだけだった女の子はこんなに強い子だったんだな。

周りに理解されなくて、敵しかしなくてもこうして取り繕って一人で立てる子だったんだ。

もっと見たい、という衝動が身を焦がす。だれもまだ見つけていない、この美しい蕾を、一番近くで見ていたいとそう思った。


「ごめんね、変なこと言って。早く食べよ?アイス溶けちゃった。」

そう言ってクリームを抄って食べ始めた美千歌の顔を見ていると体の底からふつふつと不安が湧いてくる。今はこうして一緒にいても、この先はどうなんだろうか。半年後は?一年後は?高校生になったら?その先は?

声を出そうとして乾燥してざらついた唇を舐め、半分ほど氷の溶けたコーヒーを飲み干した。


「なあ、チカは俺のことなんだと思ってる?友達?それとも近所のお兄さん?」

不思議そうに小首をかしげ、口についたクリームをかわいらしい舌でペロっと舐めた美千歌が無邪気に答えた。


「う~ん、ようちゃんはどっちかっていうとお兄ちゃんの友達?いちおう仲がいいとは思ってるよ。」

「ひでぇ。…じゃあさ。」

このときした約束を俺は後から何度も後悔することになる。安易な提案をした自分の愚かさを何度呪ったことかわからない。けれど、俺はきっとやり直す機会をもらったとしても同じ約束をするだろう。今の俺たちの関係は、これまで築き上げてきたものは、たぶん間違ってはいないと思うのだ。


「俺と、友達になってよ。他の人にできない話でも、俺は聞きたいよ。これからもチカの隣にいたいんだ。」


言い終えると急に恥ずかしくなってそれをごまかすようにさっさとパフェを片付ける。

他に逃避できる場所がなくなりしぶしぶ顔を上げるとポカンとした顔で美千歌がこちらを見ていた。

そのまま見ていると三口ほど残ったクリームを口に詰め込む。もぐもぐ、もぐもぐ。

ゴクンと飲み込むとようやく答えが聞けた。


「なにそれ?愛の告白?」

「…友達って言っただろ?それにチカは勇梨が好きなんだろ?告白してもしょうがないでしょ。」

「あはは、確かに。でもいいの?たぶんあたし、そうとうめんどくさいよ?」

笑う美千歌を見ていると胸がドキドキしてくる。きっとこれはもう友情ではないのだろうけど。表出しかけた感情に力任せに蓋をする。きっと勘違いだ、そうでなくてはならない。


「いいよ、別に。それに、変わった友人なら既にいるし。」

「確かにお兄ちゃんもかなり変人だよね。うん、わかった。」

うんうん、と一人でうなずいていた美千歌がニパっと破顔して手を差し出してくる。

そのほっそりとした小さな手を握り返して、この冷たい手を温める役割は誰にも譲りたくないなと頭の隅でだれかがささやいた。


「友達として、改めてよろしくね。よーちゃん。」


こうして俺に二人目の親友ができた。

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