第14話 雨中に抄う光 その3
「部長すいません。しばらく部活休ませてください。」
昼休みを利用して三年生の教室を訪ねた俺は所属するバド部の部長、戸松夏奈先輩に頭を下げていた。引き締まった踝を見つめていると戸惑っているような声が降ってきた。
「えっと休むのはいいんだけどいつまで?なにかあったのかな?」
顔を上げると心配そうにこちらを見つめる瞳と目が合う。代名詞のポニーテールもせわしなく動いていた。
「期間は、ちょっとわかりません。でも今、友達が困っているから助けになりたいんです。」
真剣な想いはどうやら伝わったらしい。目じりがやわらかく緩み、バシン、と強めに肩を叩かれた。
「そうなんだね。頑張りなさい。あ、顧問の先生には言っときなよ。」
力強い笑顔に勇気をもらい、いっそう奮い立つ。ありがとうございます、と立ち去ろうとしたときふと思いついて聞いてみた。
「あの、先輩はサッカー部の遠藤先輩って知合いですか?」
ザクザクと足の裏で踏みしめる砂利の感触がいつもより遠い。緊張感で胃が痛くなってきた。頭が回らないせいでこれからなにを話すか全然まとまらない。こうなれば出たとこ勝負だ、ちくしょーめ。
驚いたことに戸松先輩と、問題の美千歌に告白した遠藤先輩は同じクラスだった。世界は狭い。戸松先輩にお願いして放課後に呼び出してもらった俺は、待ち合わせの場所である校舎裏に先んじてきていた。放課後に来てくださいと言ってもらったのでHRがいつ終わるかの差でしかないけれども。
すぐに足音が聞こえ、近づいてくることがわかる。そのカウントダウンに合わせて暴れだす心臓に大きく息を吸い込み、挑戦的に唇の端を吊り上げる。美千歌のために来ているんだ。失敗するつもりは毛頭ない。
ぬっと角からまず逆立てられた短い髪を乗せた頭がのぞき、ついでガタイのいい引き締まった体が現れる。身長は俺より一回りは高いだろうか。モテるという噂にたがわない彫の深い顔立ちをしていた。
「えっと戸松に言われてきたんだけど、日渡くん、だっけ?初対面だよね、何の用だろう?」
目を閉じ、鋭く息を吐き出す。そして吸い込むとともにできうる限りの意志をこめて見開く。
交差した視線から相手が一瞬怯んだことが分かった。勝った!
「美千歌のことで話をしに来ました。一年の小高美千歌、知ってますよね。」
「ああ、あの子。困ったな、なにか話があるなら直接言ってくれればいいのに。いつも最後には逃げられちゃうんだよね。」
やれやれと肩をすくめる先輩の様子に怒りがこみ上げるも拳を握って抑える。
「美千歌は、あの子は先輩に付きまとわれて迷惑してるんです。もうやめてもらえませんか。」
ギリギリ声が震えなかった。言い切った達成感に少し全身の力が緩む。そのせいでこちらを見る瞳が細められたことに気づくのが遅れた。
「キミ、なんの権利があってそんなこと言ってるの?これは俺と彼女の問題だ、部外者は口を挟むな。別にキミと彼女が付き合ってるわけじゃないだろう?」
発せられた圧に身がすくむ。対面にいるだれかを自分より強いと思うのは初めてだった。
怖い。本能的に引いた足が校舎に当たり、釣られてそちらに視線が向く。
校舎の白い壁と粒の大きい砂利、そしてその場所で丸くなっていた小さな背中を想起する。
そうだ、今、俺はだれのためにここにいるんだ。胸の奥に火が灯り、暗くなっていた視界がクリアになった。顔を上げてこちらを見下ろす視線を睨みつける。ビビっている暇なんて、ない。
「確かに俺と美千歌は付き合ってないです。でも、彼女は俺の一番古い大事な友達だ。大切な人なんだ。その子が泣いているんだ。お前こそ何様だ、あの子に近づくな!」
そのまま睨み続ける。お互い火花をちらつかせ、意志が空中でぶつかり合う。時間が永遠に感じられる中、ふいにカラスの鳴き声が響いて視線が分断された。目を瞬かせているとふん、と鼻を鳴らす音が聞こえた。
「そっか。小高さんは泣いていたのか。」
黙って首肯すると先輩はそっか、ともう一度残念そうにつぶやく。天を見上げ、肩を落とすとため息をついた。
「付き合い始めればそのまま惚れさせる自信はあったんだけど、泣いているならしょうがないな。」
なにかを思い出すように上を向いていた視線がこちらに戻る。先ほどまでの剣呑な雰囲気を嘘のように消えていた。
「わかった。俺はもう彼女に近づかないよ。後はキミが何とかするのだろう?」
憑き物が落ちたようにさわやかな笑顔を向けてくる彼にいいようのない敗北感を覚える。これがイケメンか。
対抗するように挑戦的に笑いかける。
「ええ、俺が力になります。大事な友人ですから。」
「任せたよ、というのはどうなんだろうと思うけれども、任せたよ。」
「必ず。」
大きく手を振って爽やかに遠藤先輩が退場する。そんなところまで様になるなんてなんて嫌な先輩なんだ。
ずるずると壁にもたれながら座り込む。
とりあえず一つ目の問題はこれで解決だ。なんとかするとは言ったものの、上手くいってよかった。
抱え込んだ足に顔を乗せ、髪の毛をわしゃわしゃとかき回す。こんな綱渡りで上手くいくのだろうか。見ないようにしてきた不安が湧き上がってくるのを必死でせき止める。
こんな顔は美千歌の前では見せられない。不安に感じていいのは今だけ。
頭を持ち上げ、ぼうっと目の前の木を眺めていると唐突になにもかも馬鹿馬鹿しくなった。
どうせ考えたってこの先のことなんてわからないのだ。だったらうだうだ悩むのは時間の無駄だ。
立ち上がって大きく伸びをする。すっきりはしないけどきっとこの感情はもう飲み込めただろう。なんとかなるさ。
拾った石に黒いものをすべて込めると目の前の幹に投げつけ、次の場所へと踏み出した。
早く行こう。きっともう、あの子が待っているから。
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