第13話 雨中に抄う光 その2
窓を叩く雨音に紛れるような音で鳴らされたノックを聞き逃さなかったのは、当時の自分をしてあっぱれと言わざるを得ない。とにかく、幸運なことに美千歌が発したSOSを受け取ることに成功した。
どうぞ、とうながすとためらいがちにゆっくりと扉が開けられる。小さく開けられた隙間には雨に濡れて黒くなったセーラー服と対照的に白い顔をした美千歌が佇んでいた。
無理やり聞き出してはいけないと直感的に思った俺は辛抱強くその迷いに震える唇が開かれるのを待った。
ようやく開かれた時、その声はとてもか細くて今にも泣きだしそうだった。
「たすけて。おねがい、ようちゃんたすけて。」
俺は目を瞑って口角を上げ、立ち上がると目線を合わせる。今度はしっかりこちらと目が合ってもどかしいようなくるおしいような思いが胸の中でうずく。
頭に右手を乗せて胸元に抱き寄せると腕の中へ問いかけた。
「わかった。俺はなにをすればいい。」
抱きよせた美千歌の反応を待ったがなにもない。精一杯これまでの知識を使ってカッコつけた反動でだんだんと生まれる焦りもまた大きい。
冷や汗をだらだらかきながら自らの行いを呪っているとしゃくりあげる声が聞こえた。
腕の中の小さく丸めた背中が震えはじめ、額が胸に押しつけられる。
「ぅぅぅぅぅぅああああああ。」
グリグリと押しつけられる胸元に頑張ったな、と声をかけて小さな背中をできうる限り優しく撫で続けた。
美千歌が落ち着くのを待ち、服が濡れたままだと風邪を引いてしまう、と着替えを押し付け、自分は部屋を出た。
台所でホットミルクの用意をしながらシンクに映る自分の顔を見つめる。
指で口角を吊り上げ、笑顔を作る。これから、あの子の話は笑顔で聞いてあげなきゃいけない。嘆いたり悲しんだりするのはあの子の役目だ。
チン、というレンジの音に覚悟を決めて最後にもう一度ニッと笑顔を作ってからコップを持った。
コンコン、とドアを叩くとどうぞ、と泣きはらしたような鼻声で応答があったのでドアを開ける。先ほどより幾分か落ち着いて血色の戻った美千歌が、俺のぶかぶかのジャージの袖を折って着ていた。ひとまずホッとする。
ミルクを手渡すとちびちびと飲みながら、ぽつぽつと現状の話をしてくれた。
ことの起こりはどうやら美術部の友達とサッカー部の試合の応援にいったことらしい。
その一緒に行った子が好きだった先輩に美千歌が惚れられてしまい、そのせいでクラスで女子から総スカンをくっているみたいだ。
話を聞いて今後解決しなければならない問題は二つ。
ひとつは好きな人が他にいないならあきらめないと主張している件のサッカー部の先輩をあきらめさせること。
俺が、美千歌が真剣に兄のことを好いていることを知ったのはこの時だ。好きな人はいるのか尋ねると散々渋ったあと観念したように教えてくれた。最初はまだ仲がいいんだなくらいにしか思っていなかったのだが、タガが外れたかのようにまくしたて始める姿を見て、認識を変えざるをえなかった。きっとだれにも言えずに一人でため込んでいたのだろうなどと思えば同情するしかなかった。自分が同じ立場になろうとはこの時は想像もしていなかったが。
とにかく兄には知られないようにこの事態を解決したいと望む美千歌の願いを叶えるためには何かしら策を考えなければならないだろう。
二つ目はクラスで孤立している状況の打開だ。
ただこれに関しては下手につつくと悪化する気がするので静観するしかないかなと考えている。
ひとまず美千歌のために時間を作ろうと決めた。俺の部活は、先輩にお願いすればしばらく休めるだろう。大事な妹分のためにできる限りのことはしたいと思う。
語り終えた美千歌がブルっと肩を震わせたので毛布を肩にかけて、横に座る。
どうしよう、と不安がる彼女に大丈夫だよ、と根拠のない言葉を自信ありげにかける。
この子にこんな顔をさせてはいけない。にこにこと楽しそうに笑っている美千歌が俺は好きなんだ。
何度か、壊れたレコードのようにやりとりを繰り返していると疲れたのか美千歌がその小さい頭を肩に預けてきた。何も言わず、ただその重さを受け止める。
最後にもう一度だけ、大丈夫、と告げるとそれまでこわばっていた体の力が抜けて全体重を預けられる。愛しいなという思いと責任が重いなという感情が複雑に交差する。勇梨はいつもこれに耐えて兄をやっているのか。やっぱり、俺の親友はすごいや。
乾燥機が回っている間だけ、と言い訳しながら彼女に寄り添っていた。胸の中にやわらかなぬくもりとその真ん中に灯る光を感じながら。
美千歌を家の前まで送り、そのまま家に入ろうとする彼女を呼び止めた。
「チカはいつもだれと学校行ってるの?」
「前は友達と行ってたけど、最近はひとり。たまにお兄ちゃんと行く。」
「そっか。じゃあしばらくは俺と一緒に行こう。八時集合でいいか?迎えに来るよ。」
「…わかった。明日からよろしく。―――ありがと、よーちゃん。」
最後の一言は蚊の鳴くような声だったがちゃんと聞こえた。昔のように呼んでくれたことについうれしくなってしまう。そのままぷいっと家に入ってしまったが頬が緩むのを我慢できなかった。
街灯に照らされた帰り道でひとり空を見上げる。
先ほどまで雨が降っていたので分厚い雲に覆われた空はすべてを吸い込んで黒い。
あきらめずに探していると雲が薄くなっているところにぼんやりと半月状の明かりが見えた。
今はまだ見えずともあきらめなければそこには光があるのだ。
ひとり笑うとまっすぐ前を見て、水たまりの水を蹴飛ばしながら自宅へ向かって走り出した。
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