第12話 雨中に抄う光 その1
「たすけて。おねがい、ようちゃんたすけて。」
ふとした時に聞こえる、すがるような声。鮮明に思い出してしまったその声が耳にこびりついて離れない。せっかくの昼休みだが、笑顔をつくるのが難しくなってきたのでみなに断って席を外す。スマホにメッセージを一言だけ打ち込むと幽鬼のようにふらふらと歩き出した。靴底が廊下に張り付いているかのように重たい。窓の外はどんよりと雲がたまって空気まで壁になってしまったみたいだった。
あの日は雨が降っていた。そう、大粒の雨が降っていて部屋に入ってきた美千歌の服も湿っているのが見てとれた。
あのころ、ちょうど三年前、中学二年生のあのときは勇梨とクラスが分かれていて、部活も違っていたので一時的に小高兄妹と疎遠になっていた時期だった。
クラスの友人たちと談笑していたとき、ふとこんな話題が飛び込んできた。
「一組の小高の妹が兄貴の友達をとっかえひっかえしてるらしいぞ。」
「へぇ~、いいなあ。その子かわいいの?」
「さぁ。まあ手当たりしだいつき合えるくらいだしそれなりにかわいいんじゃない。」
一組の小高、美千歌が男をとっかえひっかえ?引っ込み事案な彼女が勇梨の後ろに隠れるところを想起し、眉をしかめる。そんなのありえない。どこから出てきた噂なんだろうか。輪から一歩引き考えを巡らせていると、彼らはすぐに興味を失ったのか別の話題に移りってその後その話題を口にすることはなかった。それでも俺の心には棘のように刺さっていた。
数日後、移動教室への移動中に美千歌を見かけた。一人で俯いている彼女に努めて明るく声をかけた。
「よう、ひさしぶり。チカ、元気してた?」
ビクっと怯えたように肩を震わし、下ろされた前髪の隙間からこちらの様子を窺うとキュっと唇を引き結び足早にその場を立ち去る。
さすがに無視されると思ってなかった俺は呆気に取られて見送るしかなかった。
これはいよいよ何かあるな。ちょっと調べてみるか。
その日のうちに勇梨を訪ねることを決めて後ろ髪を引かれながら移動教室に向かった。
一組の教室には初めてきたが、勇梨の姿はすぐに見つかった。四人組で昼休みの雑談に興じていたらしい。声をかけるとすぐにこちらに気づいて寄ってきてくれた。
「やあ。陽介ひさしぶりだね、どうかしたのかい?」
「ん~、ちょっとここじゃなんだから少し歩こうぜ。」
校舎内を体育館の方へと促しながらお互いの近況を話す。ずいぶんひさしぶりだったので話題に困ることはなかった。
周囲に人が少なくなってきたところで本題を切り出す。
「ところで最近チカに会ってないんだけど元気にしてる?今日すれ違ったから声かけたんだけどつれなくってさ。」
「キミがまたなにかやったんじゃないのかい?チカはからかわれるのがあまり好きではないのだからほどほどにね。うちではいつも通りだよ。特に変わったことは、…ああそういえば最近あまり美術部に顔を出していないみたいなんだ。原因を聞いても言い出さないから自分から言い出すのを待っているんだけれども。」
勇梨が普段から優し気に垂れている眉をさらに下げている。部活がらみのトラブルでいつもベッタリな兄には相談できない内容。それは俺にも言いたくないか。
でも伝えてあげなきゃ。きっと今は周りのすべてが敵のように見えているかもしれないけど、俺は、昔から兄貴と同じくらい味方であると。
「そっか。まあ、チカももう中学生だし言いたくないこともあるかもな。寂しいな、お兄ちゃん。」
ほんとにね、という勇梨と連れ立って教室の方向に戻る。昔話に花を咲かせながら頭の片隅では今後のことを考えていた。まずは逃げ回る美千歌を捕まえないと。
その機会は案外すんなり訪れた。翌日のこと、とりあえず美千歌の様子でも見てみるかと一年生の教室の方へ歩いていくと人目を忍ぶようにコソコソと教室から出てくる当人と遭遇する。見つからないようにやり過ごしてこっそり後をつけた。
ついていくとたどり着いたのは校舎裏に砂利が敷いてあるだけの場所だった。よく来ているのか平べったい石に腰をつけ、膝を抱えてうずくまる。
少し様子を見るつもりだったが痛々しくて見ていられなかった。
じゃっじゃっと俺が立てる足音に反応してさらに小さくなる。
「やっほー。となり、いいかな。チカ。」
いつもなら空ける隙間をあえて空けずにすぐ隣に腰掛ける。人のぬくもりを感じ取れるように。
驚いたように顔を上げる彼女を知らん顔していつも友達と話しているように話しかける。
昨日見たテレビの話、部活中にミスって転んだ話、通学路で見かけた猫がかわいかった話。
気がつくとそれまで感じていた周囲を拒絶するようなオーラがなくなったのでそれまで空を見ていた視線を左に傾ける。彼女は無表情で、その瞳にはなにも映してはいなかった。
一旦笑いかけると視線を再び前に戻す。できるだけ、余計な意図を含まないように丁寧に言葉を紡ぐ。
「チカがなにか困ってるなら、俺はいつでも手を貸すよ。大事な友達だからね。側にいていいと言ってくれるなら、いつも側にいるよ。それだけ言いたかったんだ。」
数秒まったが、隣からは何の反応も帰ってこなかった。けれど、今はそれでもいいだろう。伝えたいことは伝えられたと思う。
静かに立ち上がり、尻を払うと普段ならじゃあな、と言うところだが少し考えてまたな、と告げてこの場を去る。後は彼女次第だ。
二日は何もなかった。きっと来る。確信に近いなにかを感じてゆっくりと決意を固めて待ち構えていた。
三日目の夜、美千歌は俺の部屋のドアを叩いた。
そして彼女はたすけて、と言ってくれた。
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