第11話 望まぬ望み
目の前で幼い美千歌が勇梨に抱き着いていた。
「あたし、おにいちゃんだいすき~。おおきくなったら、おにいちゃんとけっこんするの~。」
うれしそうに頬を寄せる美千歌を勇梨がよしよししている。
俺は、なにをしているのだろうか。積み木をしているのかミニカーで遊んでいるのかとにかく手に何かを持って動かしていた。
手元に影が差して顔を上げる。いつのまにか先ほどまで勇梨に抱き着いていたはずの美千歌が目の前に来ていた。見上げる俺に彼女がにへーと笑いかける。
「よーちゃんもおにいちゃんのつぎに、おむこさんにしてあげるね。」
ドクンっと心臓がはねて目を見開く。目に映ったのは、天井に貼られたアニメのポスターだった。
「夢か。」
まだ心臓がドクンドクンと強く存在を主張している。荒くなった呼吸を落ち着けようと申し訳程度にかかっていたブランケットを押しのけベッドから降りる。
リビングに降りて水を飲み干すとようやく人心地着いた。
壁の時計を確認すると普段起きる時間より30分は早い。肺に溜まっていた空気を大きく吐き出すとそのまま壁に背中をつけてずるずると座り込む。
摘まんだグラスを灯りに掲げながら先ほどの夢を思い返してみた。
あんな出来事があっただろうか?記憶にはいまいち自信がない。
それにしても過去にあんなことがあってそれに縋っているとしたら。
「だっせーな。」
自嘲げに吐き出してみても気分は晴れない。目の前のコップを思い切り握りしめてみる。
ミシリ、とコップが悲鳴を上げたところでため息が出た。物に当たってもしょうがない。
母親が起きだしてくる音が聞こえたので腹に力を入れて起き上がる。
もう一杯だけゴクゴクと音を立てて水を飲み干してからコップをシンクに投げ込んだ。
せっかく早起きしたのでいつもより一本早い電車で登校することにした。
ガタンゴトンと唸る列車だが、普段なら一緒になる友人たちがいない車内はやけに広くて静かに感じる。たまにある本の続きが読みたいときは早起きした方がいいのかもなと朝にしてはめずらしく冴えた頭でそう思う。
ヒマな車内で考えることは、何回軌道修正を試みてもやはり夢の内容に戻ってしまう。
確かに美千歌はある時期までは兄の次ではあるものの、俺に対しても好意を表すことを躊躇わなかった。俺はそういうのが恥ずかしくなるのが早かったから彼女に対してすら面と向かって告げた記憶はない。男同士で好きな人の話をすることはあっても明言するのは避けてきた。そもそもそんな話をしたら間違いなく勇梨の耳に入るし、あいつからそんな話を持ち出されたらその場に穴を掘って埋まりたくなる。
美千歌も年齢を重ねるにつれてその手の話はしなくなった。
改めて聞いたのはあの子が中学に上がってからだ。そう、美千歌が初めてラブレターをもらった、あの…。
回る思考にどっぷりつかっていた俺はふと何かを感じて視線を上げる。
視界に学校の最寄り駅の看板と閉じかけたドアが飛び込んできて慌てて電車を降りる。
せっかく早く来たのに考え事をしていて乗り過ごすなんてシャレにならない。
こっそり冷や汗をぬぐいながら改札に向かって歩いていると後ろからポンポンと肩を叩かれた。
「おはよ、日渡くん。今日早いね~。いつも見かけないのにいるからびっくりしちゃった。」
振り返るとみこがひまわりのようににっこりしていた。立ち止まりそうになったものの、上手く流れに乗って連れ立って改札を抜ける。
「おはよー。なんか目が覚めちゃったんだよね。にこ、いつもこの時間だったっけ?」
「ううん、茉紀ちゃんと待ち合わせしてるときは一本遅いよ。今日は一人だから早かったの。」
そっかー、と一人でうなずいているみこが瞳をきらっと輝かせる。
「たまたまだったのか。今日は運がよかったな~。神様に感謝しなくちゃ。」
と言って実際に祈る仕草をするのでクスリと笑いをこぼす。神様に祈る姿がよく似合っていて、名前の通り巫女みたいだな、と思った。
「あのね、今テスト期間だからおやすみしてるけどもうちょっとで今書いてる小説が完成しそうなの。できたらまた読んで欲しいな。」
みこは文学部に所属していて自分でも小説を書いている。初めて読んだみこの作品は【春の花びらに抱かれて】去年の文化祭のときに発行された部誌に載っていたもので一週間で消えてしまう桜の精に恋をした青年の短編小説だった。俺の好みにクリティカルを出したこの話の感想を、熱く伝えたことをきっかけにしてみこはときどき完成した小説を読ませてくれていた。作家デビューした暁には最初にサインをもらうのが野望のひとつだ。
「おっいいじゃん。読みたい読みたい、楽しみだな~新作。にこ先生、次回作はどんな感じですか!?」
「せ、先生は止めてよ~。えへへ、うれしいな。いつもそう言ってくれて。」
みこは笑うと片方だけえくぼができる。今回も左頬にえくぼをつくりながら照れて手を擦る仕草はなかなかかわいらしく、それまで沈んでいた気分が少し浮上した。
「えっとね、今回は王道に挑戦しようと思って。困っていた主人公にヒロインの子が声をかけてくるんだけど―。」
弾むみこの語りに笑顔で相槌を打っていたものの、頭の中の大半を占めていたのは今朝の夢のことだった。昇降口についたときにそれまでの話をほとんど覚えていないことに罪悪感を覚え、せめて実際に小説を見せてもらったときはたくさん感想を伝えられるくらいしっかり読み込もうと心に誓った。
教室に入ったところでみこと別れ、席に座ってぼんやりと黒板を眺める。
俺はいつからこんなことを考えているのだろうか。そもそもなんで美千歌なんだろう。
俺の好みは別に最初からあの子ではなかったはず。好みの子だって他に気になる相手だっていなかったわけではないのだから。
いくつかのアニメや小説のキャラ、小学校の同級生でよく遊んでいた子や中学のときの気になっていた先輩、何人もの顔が浮かんでは消え、最後に浮かんできたのは昨日見た、心からの笑顔を浮かべる美千歌の顔だった。
そっとズボンのポケットを優しく撫でて、ゆっくりとパスケースを取り出す。
壊れ物を扱うように丁寧に開き、そこに貼られた写真に溜めきれない息を漏らした。
たっぷり五秒かけて見つめ、またゆっくりと閉めた後、胸にギュっと押しつけてから仕舞いなおす。
ガタンっと音を立てて立ち上がり、財布だけ掴んで廊下に出る。無性にコーヒーが飲みたい気分だった。
缶コーヒー特有の甘さと苦さが同居した味を舌の上で転がしながら堪能する。
背中と共に頭も壁に預け、目を閉じると瞼の裏に浮かんできたのは幼い美千歌の顔。
先ほど思い浮かべた最新の表情に上書きしようと試みていると、もう一つ別の場面が浮かんできた。
今とは違いセーラー服を着て二つ結びのおさげの美千歌が、肩を震わせ青い顔をしていたあの時。
「あの日、やっぱりあの日だよな。」
だれもいないホールに漂った言葉は力尽きたように地面へと吸い込まれていった。
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