第7話 一度わかれた飛行機雲はまだ交わらない
お互いの間にはとくに会話なんてなくて、聞こえるのは廊下に木霊する靴音となんの曲かわからないような吹奏楽の練習する音だけで、それでも気まずさなんかは感じなかった。くすぐったくなるような甘酸っぱい思いだけで胸が満たされていた。
「ようちゃん。」
ほとんど意識していなかったが足が勝手に運んでくれたらしい。美千歌に呼ばれた時には昇降口が視界に入っていた。
「うん?」
「手。…いつまでつないでるの?」
ああ、とつぶやいて名残惜しさを覚えながらつないだ手をそっと放す。
未練がましく左手を見つめていると同じように右手をぼうっと見ていた美千歌がプイっとそっぽを向く。その耳がほんのり染まっているのがとてもうれしい。
「嫌だった?」
思わず聞いてしまった声は不安三割、からかい七割といったところだろうか。
ゆっくり振り向いた美千歌の表情はしかめられていてその感情までは読み取れない。
薄紅色の唇からすぐに否定の言葉が出ないことに不安が募ってしまう。
「いや、ではないけれど、…小さい時ならともかく、もう外で手をつないでたら変だよ。あたしたち、つきあってるわけじゃないのに。」
つきあってるわけじゃないのに、という言葉が心臓の奥にズシンっと突き刺さり、表情がピシっと固まってしまう。幸いなことに美千歌の瞳は伏せられていて気づかれた様子はなかった。
事実だし罵倒されたわけでもないが、おそらく好きな子から聞きたくない言葉ランキングトップ3には入るだろう。かなり入るダメージが大きかった。できれば二度と聞きたくない。
つらつら考えていたら顔が苦笑いまで回復してきた。これなら何とかなりそうだ。
「そうだな、悪かったよ。でも俺にとってはここがどこかなんて関係ないよ。チカと手をつなぐの、好きなんだ。」
そんなつもりはなかったのに、すごく優しい声が出てしまった。不思議そうに見上げてくる美千歌の視線がまぶしくてその頭に手を乗せ、優しくゆっくりと撫でる。やわらかい髪が指に心地よい。
いくぞ、と声をかけて背を向ける。今は俺が美千歌に顔を見られたくなかった。
靴を履いて表に出るころには平常心が戻っていてうかつな自分の発言に頭を抱えるしかなかった。なにやってんの!?おれ!!
うめき声をあげながら羞恥と混乱に耐えているとローファーを履いた美千歌が出てきた。
テテテっと駆け寄ってきて飲み込めていないような顔で尋ねられる。
「ねぇ、よーちゃん。さっきのっていった―」
「あー、そのなんだ、あまり深く追求しないでくれ。そんな深い意味はない。忘れ、…なくてもいいけど覚えてなくていいから。」
おおげさな身振りでごまかしながら心の中でため息をつく。あまり調子に乗るな、俺よ。
そのまま昇降口前の階段を下りていくと後ろから慌てたようについてくる軽い足音が近づいてくる。
その音が横に追いついてきた辺りで足を止めないまま空を見上げる。きれいに三本の飛行機雲が伸びていた。
それらは上に行くにしたがって点々と消え、そのまま伸ばせば交差しそうなところで消えていた。残っていたころはどんな風だったのだろうか。
ふと左側を見下ろすと美千歌が同じように空を見上げていた。まあるく開いた口元がなんとも愛らしい。
そのまま見ていると、気づいたのか口を閉じてこちらに目線を振る。それに合わせて前髪が一房流れる。
なにか言わなきゃな、とぼんやり思う。今伝えたい言葉がある気がする。
「…チカってモテそうだよな。黙っていればかわいいし。」
一瞬で美千歌が鼻白らんだのを見て血の気が引く。ちょっと待て、今俺はなんつった!?
「…モテるわけないじゃん。あたし、男子でしゃべるのお兄ちゃんとようちゃんだけだよ?」
そのまましかめっつらで何かを言いよどんだ後、結局言うことにしたのかぼやくように続ける。
「それにモテるのはようちゃんの方でしょ。さっきのだって、…まあ気づいてなさそうだしいいか。」
心当たりがなくて首をひねっているとつまらなそうに切って捨てられる。深くため息をついた後、ぎこちない笑みを浮かべた。
「でもあたしのことかわいいって言ってくれるのは家族とようちゃんだけだよ。お世辞でも、ありがと。」
なにを言うべきか逡巡し、意を決して口を開こうとした矢先、機先を制される。
「ほら、着いたよコンビニ。さっさとコピーしちゃお。」
さっさと入り口のドアを開けて中に入ろうとする小さな背中に手を伸ばしかけ、引っ込める。今はまだ、俺の想いは伝えられない。でも、いつか―。
中途半端に上がっていた手のひらを強く握りしめ、今度こそ手を伸ばしてドアを開いた。
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