第2話 小高美千歌という女の子

腕の中の美千歌が落ち着いたのを感じ取って静かに体を離す。

すこしさっきまでの寂しそうな感じが薄れて、それでもまだなにか我慢してるような様子をにじませて彼女がニコっと微笑む。


ズキっと胸が痛むのを俺は表に出さないよう細心の注意をはらう。

美千歌がこういうことに気づいてほしいと思っているのは俺ではないのだ。


校舎に戻る道を促して並んでゆっくりと歩を進める。

サク、サクと時折踏む枯葉の音、普段なら心地よく感じるはずのそれですら今の俺には耳に障った。なんでこの子相手にこんな気まずさを覚えているのやら。

少し前までは、誰の隣にいるよりも居心地よい相手だったのに。





俺、日渡陽介と今隣を歩く少女、小高美千歌は幼馴染だ。

より正確に言うならば美千歌の兄、小高こだか勇梨ゆうりと小学校の通学班が同じのご近所さんとして仲良くなり、その一つ下の妹である美千歌ともその当時からよく遊んでいた。


中学校まではよく一緒にいたけれど、高校に入ってからある出来事をきっかけに疎遠になって現在に至る。本音を言えば、俺たちを追いかけてこの高校にくるとは思っていなかった。


「そういえば、チカはなんで俺のこと探してたんだ?なにか用事だったのか?」

ふと思い出したので聞いてみると振り返った彼女はとても不満げだ。


「今日、お兄ちゃんと茉紀先輩は遊びに行くから部活休みだって。活動するかはあたしとようちゃんで決めてっていうから探しにきた。メッセージも送ったけどぜんぜん既読にならないし。」


慌ててスマホを確認したら何件もメッセージが来ていた。

美千歌からのだけではなく、勇梨たちからもだ。


「それは、なんかそのすまん。」

ひとまず謝ってはみたものの、ジロリと睨み返す瞳が冷たい。

美千歌としてはあまり触れたくない話題であることは想像にかたくない。

放課後の予定だってグループで俺が不在にしていたから出た話題なのは間違いないだろう。

全体的に今の彼女の不機嫌さや悲しみの原因を作ったのが俺であることは明白だった。


途方にくれていると美千歌がペロっと舌を出して苦笑いする。


「ごめん、あたしもちょっとやつあたり。いつまでもこんなことしててもしょうがないのに。なんだかなあ。」

自嘲ぎみにつぶやく美千歌の瞳は複雑に揺らめいていてその奥に隠れた真意までは読み取れない。やりきれない思いで先ほどしていたように彼女に手を伸ばしかけるが、とっさに引き戻す。傷つく彼女をなぐさめる術は俺の手中にはないだろう。



美千歌は小さい時から兄への依存度が高い子だった。

初めて会った時も、招かれて上がった勇梨の家で彼に隠れるように挨拶されたことを今でも覚えている。

そんな彼女の人見知りな警戒心も何度か遊びに行くうちに徐々にほぐれ、俺には次第に打ち解けて遊ぶようになっていった。

そんな美千歌も小学校に上がると徐々に人見知りが改善され、俺たち以外の友達もできてはいた。しかし彼女の兄依存はそんな状況でも下がることがなく、中学に上がるころには恋心にまで発展していたのだった。

当時彼女の恋の相談に乗っていたのはすべての事情を把握している俺だけで、だから今の状況に陥ることを俺だけは防ぐ術はあった。

あったけれど、でも当時の俺には限界だったのだ。膨れ上がる自分の中の美千歌への想いを押し込めて、彼女の禁断の恋を応援し続けることは。


だから高校に入って一時的に美千歌と勇梨の間に距離ができ、彼に想い人ができたと知ったとき魔が差した。

今ならば、勇梨に恋人ができれば不毛な恋に見切りをつけて俺の方を向いてもらえるのではないかと。

つまりはすべての原因は俺にあるのだ。半年以上たったいまでも美千歌が失恋の傷に傷ついているのも。その原因を作った俺に想いをぶつける資格がなくなってしまったのも。



現状の俺にできることは彼女が望むなら側にいてやることくらいだ。その資格すら本来喪失しているべきだが、兄だけでなく俺までいなくなったら本格的に彼女はひとりになってしまう。だからこれはけじめなのだ。あの日、自分の欲に負けて彼女を絶望の淵へと叩き込んだことに対する贖罪。なくした彼女の世界を少しでも取り戻してやりたいと切に願う。


とりあえず、今日のところはなくなった放課後の予定を埋め合わせようと思う。

せめて友人としての務めを果たすために。


「俺にはなにを言ってもいいよ。幼馴染だし、年上だしな。」

ああ、ずるいなと思わずにはいられない。まだ、優しいふりをするのだろうか。

ほんとに考えているのはそんなことじゃないのに。

その見えない涙を拭いたい。抱きしめたい。好―。


「俺たちも今日は部活はなしにして遊びにいこう。なにか甘いものでもおごってやるよ。他にやりたいことがあればつき合う。…どした?」


それまでうっすら瞳を潤ませていた美千歌がどことなくイタズラっぽい笑みを浮かべて後ろに振り返る。

そこから響いた声にはもう先ほど感じた影は含まれていなかった。


「ううん、なんでもない。放課後までになにしたいか考えとくね。」


今度は、もう足元で鳴る音に気を取られたりはしなかった。

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