初めての昼休みから

朝永雨

初めての昼休みから


 昼休みの空き教室。二人きり。隣り合って僕らは座っていた。


「はい、これ」と彼女は自慢気に巾着袋を手渡してきた。


 巾着袋から中身を取り出して蓋を開ける。


「すごい、美味しそう」


 僕はそう言うと彼女は照れくさそうに笑った。


「これ全部キミが作ったの?」


 お弁当箱の中にはふりかけがかかったご飯と、ハンバーグ、卵焼き、きんぴらごぼうにプチトマトが入っていた。


「そうだよ、と言っても過言じゃないね」


 なんとも妙な言い回しだと僕は思った。


「まあ」と彼女は付け足す。


「本当はお母さんにもちょっとだけ手伝ってもらったんだけどね」


「ちょっとだけ?」


「ほんとにちょっとだけだよ。ちょっとだけ」


 彼女は少し頬を膨らませた。


 彼女は表情がころころ変わる人だった。僕の言葉でも、行動でも。まるで彼女の表情を切り替えるスイッチを押してるみたいな感覚になることもあった。


「いただきます」と言って僕はきんぴらごぼうを一口食べた。


 彼女は自分のお弁当の蓋も開けずに、不安そうに僕のことを横目でちらちらと見ている。


「美味しいよ。いつものコンビニのご飯よりも、何倍も」


「ほんとに? 良かったー」


 彼女は安心した表情を浮かべた。


 ふぅ、と一息ついてから彼女も自分のお弁当を食べ始めた。


「大変だったんじゃない? お弁当作るの。朝早かったでしょ」


 午前中の授業でも、彼女は心なしか眠そうに見えた。


「ううん、楽しかったよ。それにほら、約束したし」


 ――明日のお弁当、私が作ってきてもいいかな?


 昨日彼女がそう訊いてきたときも、僕に了承してもらえないんじゃないかと怖がっている様に見えたことを思い出した。


「ねえ」と彼女は話し始める。


「卵焼きってしょっぱい派? 甘い派?」


「しょっぱい派、かな?」


「そうなの?」


「まあ、うん。どうして?」


「あー、ごめん。今日の卵焼き甘いやつだ」


 訊けばよかったね、と申し訳なさそうにする彼女を見て、なんだか僕まで申し訳ない気持ちになる。


「でも、実は甘い卵焼きって食べたことないかも」


 まだ食べてなかった卵焼きを一切れ食べて、「甘いのも美味しいね」と言うと、そうでしょ、と彼女はにんまりと笑った。


 甘い卵焼きの方が彼女らしいと、なんとなくそんな気がした。



「ごちそうさま。美味しかったよ。ありがとう」


「どういたしまして」


 僕がお弁当を食べ終わったタイミングで、彼女のお弁当もからになったようだった。


「少し眠くなっちゃった」


 彼女はそう言うと欠伸をした。口を押さえた右手の、白い指が視界に入った。じっと見てしまう自分が、少しだけ後ろめたい気持ちになった。


「わかる。お腹いっぱいだと眠くなるよね。僕も午後の授業やばいかも」


「そんなこと言って。どうせ君は寝なさそうだな」


 彼女は羨ましそうに僕を見た。


「そんなこと、ないと思うよ?」


「嘘だよ。授業中寝たことないでしょ」


 言われてみればそうだったかもしれない。授業中寝たことはない気もする。だからといって、別に授業に集中しているわけでもなかったけど。


 少しだけ返答に迷って、だけどどの選択肢を選んでもちょっとだけ間違えてるような気がした。


「ほらね」と笑う彼女は、子供っぽく感じた。


 なんとなく、そこで会話が途切れてしまう。


 こういう時、話をしないといけないという焦燥感に駆られる。沈黙すら心地良く感じる関係もあるのかもしれないけど、僕達は、少なくとも僕の中では気まずさの方が大きかった。


 頭の中で話題を探したものの、これといったものはなかった。自分が会話の種になるような出来事のない人生を送ってるかを実感してしまう。


 ふと彼女の方を見ると、僕の様子を伺っているようだった。


 僅かな間の後、彼女は身体を傾けて僕の肩に頭を乗せた。


 肩に乗っかる重さが、彼女の温度を伝えていた。


「なんか、照れるね」


 彼女の顔は見えなかったけど、照れ顔はすぐに想像できた。


「君とこんなふうになるなんて、前なら想像できなかったなぁ」


「ほんの一週間前まで友達だったもんね」


「よく言ったなって自分でも思うよ」


 ――あの、おかしなことを言ってるって思うかもしれないけど、私多分君のことが好きなの。


「びっくりしたけど、嬉しかった」


 彼女のくすくすという微笑みの揺れが、肩を通して伝わってきた。


「なんというか。あの日、思ったんだよね。今日なんじゃないかって」


 肩の重みが、ちょっとだけ増した。


「実は直前まで迷ってたの。勘違いや気の迷いなんじゃないか、って。だからいざとなったら適当なことを言って誤魔化そうって、逃げ道を用意してた。でも君のことを廊下で呼び止めたとき、指が痺れるくらい自分が緊張してるのに気づいて、やっぱり君のこと好きなんだなって思った」


 ――私と付き合ってくれませんか。


「僕は自分がキミを好きかもしれないってことに気づいてからも、言わないでおこうと思ってた。もし言って、友達でいられなくなるのが怖かった。告白を受けるのも少し怖かった気がする」


「怖い?」


「うん。誰かの好きな気持ちを受け入れるってことは、その気持ちがいつか自分に向かなくなるかもしれないっていう不安を抱えることでもあると思う」


「そう、なの?」


「なんていうか、失うくらいなら得ない方がいい、みたいな」


「じゃあ、どうして付き合ってくれたの?」


「それはまあ......」


 僕も少しだけ、彼女に体重を預けた。


「僕もキミのことが好きだったからだよ」


 彼女は顔を埋めた。制服のワイシャツ越しに、彼女の熱が伝わってくる。


「やばい、恥ずかしい」


 その気持ちは、言われずとも彼女の息遣いから伝わった。


「まあでも、その気持ちはわかるかも」


「怖いってことが?」


「そう。相手が変わってしまうかもしれないって思うのは、私も怖い。こんなのはやっぱりおかしいよって君に言われるかもしれないって考えたりもする」


 そんなこと言わないよ、と僕は思った。でも口には出さなかった。


「でも、人の気持ちが変わっていっちゃうのは、絶対避けられないことだと思う。だってさ、自分への好意を受け入れるのが怖いってことは、その分だけ嬉しい気持ちになってるってことだよ。それもきっと、変化のうちの一つなんじゃないかな」


 彼女の声は、いつになく真剣だった。


「だから、たしかに好きが好きじゃなくなることもあるかもしれないけど、好きがもっと好きになることも、絶対あるってこと」


「うん。わかるよ」


 こんな真面目な話をしたのは初めてかもしれないと思った。


「そっか」と彼女は満足気に言った。





「予鈴、鳴っちゃったね」


 授業開始まであと五分。それまでに教室に戻らないといけない。


 僕に寄りかかっていた彼女は身体を起こして伸びをした。


「君の髪の毛、いい匂いがした」


 そう言った彼女の顔はまだ少し赤いままだった。


「私も髪伸ばそうかなぁ」


 肩につかないくらいの長さの髪を、彼女は指先でくるくると弄る。


「今の髪型も似合ってると思うけど」


 彼女はくすぐったそうに笑う。褒められるのはあんまり慣れてないらしい。


 椅子から立ち上がって、僕も伸びをすると、ねえねえと脇腹をつつかれる。


「ね、来週もまたここでお弁当一緒に食べない?」


「いいね、そうしよ」


「うん!」


 眩しい笑顔。だけど目は離せなかった。


「きっとさ、変わっていくのはこういうことでもあるよ」


 彼女も椅子から立ち上がる。


「こうやって、二人の間でいろんな習慣が生まれて、気持ちも関係も、変わっていくんだよ」


 変わっていくことは避けられないことだと、でもそれは必ずしも悪いことじゃないと彼女は言った。


「来週、楽しみだなぁ」


 彼女は楽しそうだった。


 僕もそう、なれればいいなと思う。恐怖を抱えていても、一歩踏み出せるように。色々な変化を、楽しめるように。彼女みたいに、少しずつでも変わっていければいいなと思う。


「来週のお弁当は僕が作るよ」


 そう言うと彼女はすごい驚いた顔をした。


「え、君って料理できるの......?」


「まあ、それなりかな?」


「そうだったのか......」


 どうしてか、彼女は肩を落とした。


「女子力なら勝ってると思ったのに......」


 拗ねたように口先を尖らせる。


 その様子が可愛らしくて、思わず吹き出してしまう。


「笑わないでよー」


「ごめんって。一応、僕も――」


 彼女は目を細めてじっと見つめてくる。


「――女の子なんだけどな」


「そうだけど! なんとなくだよ!」


 そんなこと気にしなくていいのに、と僕は思った。どうせ女の子同士で付き合ってるのに。


「てか、時間やばいよ、授業始まっちゃう」


 そう言われて時計を見ると、授業開始の一分前だった。


「急ごう!」と言って彼女は僕の手を取って駆け出す。


 来週のお弁当に入れる卵焼きは甘くしようかな、そんなことを考えながら僕は走った。

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初めての昼休みから 朝永雨 @tomonaga00ame

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