雪の国への帰省
あああああ~~。由利は脳内で叫んでいた。
どうしよう。どうしよう。どうしよう。
由利を乗せた電車は、一つ前の駅を出発してしまった。佳宏の待つ駅まで、もうあと5分しかない。真っ暗な窓の外を雪が真横に吹き流されている。それを横目に見ながら由利は、ボックス席で文字通り頭を抱えた。
着いちゃう。着いちゃうよ。なんであんなこと言っちゃったんだろう。いつもなら笑って流すのに、やっぱり30手前という年齢に無意識に焦りを感じてるんだろうか。
三日前、高校時代の同級生とのグループ通話で啖呵を切ってしまったのだ。
「私から告白する!」
あーん、なんてこと言っちゃったんだろう、と自分の頬をペチペチ叩く。
仲のよかった6人組のうち、佳宏を除いた5人の『由利の初恋応援』グループで、月に一度はグループ通話をしている。ここでいつも佳宏の近況を教えてもらったり、写真を送ってもらったりしてるのだ。その場で、みんなにうまくのせられてしまった。
最初は、由利の母が見合いを用意しているという話からだった。
「今回は絶対お見合いさせまくるって言ってたよ」
「させまくるってどういうことよ」
「由利の結婚が決まるまででしょ」
「もういい加減佳宏に告白してやれよ」
「佳宏から動き出すの待ってたら、一生幼なじみのままだぞ。それでいいのか」
「いいわけなーい! ないけど私からなんて絶対言えない。佳宏が私を好きだなんて信じられないもの」
ふられて年に一度だけ会える貴重な機会までなくしたくない。幼なじみだからこその、近い関係。この均衡が崩れてぎこちなくなったり、避けられたりしたら、耐えられない。
「いつまでもそんなこと言ってたら、そのうち若い子にとられるぞ」
「そういえば、この間から派遣で来てる子、ずいぶん積極的みたいよ」
「え? 何それ。聞いてない」
思わず声が上擦った由利は、焦って手に持っていたフォトケースを落とした。今まで送ってもらった佳宏の写真をプリントアウトして大事に持ち歩いているケースだ。
「そんな写真で満足してないで、ちゃんと捕まえないと」
「佳宏だって男だからな」
「ど、どういうことよ」
「まぁ、それくらいぐいぐい来てる子がいるってことだ」
それくらいって、どれくらい? 由利の頭の中に、佳宏の腕をとってホテルに引っ張って行こうとする可愛らしい女の子の姿が浮かぶ。その先は……想像したくなくて、思わず首を振る。
「見合い見合いって言ってる由利のお母さんだって、佳宏だったらオッケーでしょ」
「それは勿論」
佳宏と由利の親は、会うたびにそんな話をしてくるくらいだ。
「由利ちゃんがお嫁に来てくれたらいいのにねぇ」
「佳宏くんなら安心なんだけど」
でもそんなとき居合わせたら、佳宏はいつも明後日の方を向いて聞こえないふりをするのだ。本当のことを言って私を傷つけたりしないように。私も曖昧に笑ってごまかすしかできない。
「ほら、それなら、その若い子より由利がぐいぐいいっちゃえばいいのよ」
「そんなのできたら、とっくにやってるわよ~」
情けない声を出す由利をみんなで叱咤する。
「由利がちょっと勇気出すだけでいいんだって。絶対そんな子に負けないから」
「佳宏のこと一番わかってるのは由利だろ」
「由利はいい女だ、俺が保証する!」
「だからそんな女に負けないで、告白しちゃいなよ」
「今回も駅まで迎えに行ってくれるんでしょ。そんなの普通はしてくれないよ」
「家に着いて、見合い見合い言われる前に、会ってすぐに言っちゃえよ」
新しい女の子の出現と、見合いに全勢力を注いできそうな母に対抗するためには、腹をくくらないといけないようだ。
「わかった。私から、告白する!」
神妙な面持ちで由利が宣言すると、一拍おいてみんなが歓声をあげた。
「やった!」
「よし、やっとその気になったか」
「よかったね~。由利」
「式はいつ頃かな、由利のウェディングドレス、綺麗だろうなぁ」
「ちょっと待ってよ。ふられる可能性をまるっきり考えてないよね?」
「大丈夫大丈夫!」
「今度ちゃんと報告してね」
浮かれ気分の4人と対照的に、カチコチに固まった由利。
あれからなんて言うか、いろいろいっぱい考えたけど、まだ決まらない。シンプルに「好き」って言ったらいいのか、「つきあって」と言った方がいいのか。
そうこうしているうちに、社内アナウンスが入る。由利の頭の中は車外に降り積もる雪のように真っ白になった。
もういいや、出たとこ勝負しかない。由利は考えるのをあきらめた。
ふーっと深呼吸して目を閉じると、どんどん減速していく電車の揺れに集中した。もうすぐ止まる。止まると降りないといけない。降りると、佳宏に会ってしまう!
せっかく深呼吸して落ち着かせた心が、また暴れだす。緊張でどうにかなってしまいそうだ。大事なプレゼンの時でもここまでなったことはないのに。
がったんと最後に揺れ、電車が止まる。由利は気合いをいれて立ち上がり、ドアの開ボタンを押した。途端に吹き込んでくる冷気。
あれだけ思い迷っていたのに、凍りつくような空気と、激しい雪が余計な考えを停止させた。早く暖かいところへ入りたい一心で、たったと足が動く。
それなのに、迎えの車がきていない。
当然のように、すでに待っていると思っていたのに、いつも迎えに来てくれるときに停めている辺りに車はない。びゅうっと吹きつける風に身を縮こまらせる。
今まで一度も待たされたことなんてなかったのに。時間厳守の佳宏がいないなんて、何かあったのだろうか。それとも、忘れられた? 優先順位が変わって、他の人と……。そんなわけはない、もしそうだとしても、佳宏なら連絡をくれるはず。
そこまで考えたとき、ヘッドライトが近づいてきた。1分も遅れていないのに、なんだかものすごく嫌な予感がする。
告白する勇気は、砕け散ってしまった。
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