雪の夜
楠秋生
雪の夜の迎え
降りしきる雪の中、駅までの道を佳宏は慎重に車を走らせていた。ちらりとダッシュボードの時計に目をやる。
「ギリギリ間に合うか?」
佳宏は1年ぶりに帰省する幼なじみの由利を迎えに来ていた。その右手の人差し指が、無意識に世話しなくトントンとハンドルをたたく。あと5分で電車が到着する。5分あれば余裕で着く距離なのに、激しさを増していく雪が邪魔をしてスピードを出せないからだ。厳寒の中、ちょっとでも待たそうものなら由利が怒りまくるのは目に見えている。他の人には人当たりよくいつも笑顔を絶やさないのに、佳宏と二人のときは言いたい放題なのだ。
田舎なので、8時をまわったこの時間、駅周辺に開いている店はない。
それでなくとも今日は特別な日なのだ。助手席にはベタな小説にでもありそうな真っ赤なバラの花束が置いてある。これから勝ち目のない告白をするのに、遅刻なんて問題外だ。
時間をきっちり守る佳宏は、普段なら約束の10分前には必ず待ち合わせ場所にいるようにしている。今日はそわそわしてしまい、1時間も早く出発したのが間違いだった。
ちょうど1本前の電車が到着したところで、隣家の老夫婦が徒歩で帰ろうとしているところを見つけてしまったのだ。車では10分ほどの距離も、老人の足ではかなり時間がかかるだろうと、思わず声をかけてしまい、遠慮する二人を説得して家に送り届けた。そしてもう一度駅へ向かう途中、今度は脱輪して立ち往生している車に出くわし、手伝っていたらギリギリの時間になってしまったのだ。
風に舞う雪で視界が悪い。徐行運転をしながら、佳宏は助手席のバラにちらりと目をやった。まるでプロポーズでもするかのような大きな花束。みんなに勧められたとはいえ、どうしてこんな物を買ってしまったのか。告白するのにこのサイズは大き過ぎやしないか。それ以前に、そもそも告白に花束は必要か。
この花束を注文してしまった先月の飲み会を思い返す。
「お前ら一体いつになったらつきあうんだよ」
高校のときの同級生で、数ヶ月に一度集まって飲むと、必ず出る話題。仲のよかった6人のうち、由利を除いた5人でいつも飲んでいる。年末にしか由利がいないため、佳宏一人が集中攻撃を受けることになる。
「つきあうも何も、俺の片想いなんだからどうしようもないだろ」
「片想いなわけないだろ? なんであんな美人でバリバリのキャリアウーマンになった由利が、いつまでたっても一人だと思ってるんだよ。お前から告白してくれるのを待ってるに決まってるじゃないか」
「仕事が面白い、男より仕事だっていつも言ってるだろ。言い寄ってくる男だっているみたいだし」
「佳宏の気をひこうとしてるに決まってるじゃないの」
「女から言わせるなよ」
「結婚してないの、あとお前らだけだぞ」
「俺は俺。由利は由利だろ」
「それでいいのか」
みんなしてからんでくる。いいのかと聞かれても、佳宏の意思で決められることではない。
大体、いつだってみんなの中心で笑顔を振りまいて輝いている由利と、隅っこでみんなの話に相槌を打つだけの佳宏とが、釣り合うわけがないのだ。佳宏にとって由利は高嶺の花で、一番近くにいたのに手の届かない存在だった。
その距離も、都会の大学と地元の大学と進路が別れたときに離れてしまった。そして由利はそのまま都会で就職し、キャリアを積んでいる。地元の公務員の佳宏との接点は、ここ数年、年末の帰省時だけというのが現状だ。
「今回の帰省の間にお見合いさせるって、この間おばさんが言ってたわよ」
「え?」
寝耳に水の佳宏が狼狽する姿を見て突っ込んでくる。
「そんなわけのわからんやつに、とられていいのか?」
「来年は30なんだからね。由利だっていつまでも待てなくなるよ」
「いや、だから由利が待ってるってのは、お前らの考えすぎだよ。そんな素振り見せたことないだろ」
反論しながらも佳宏の脳内に、見合いという言葉がぐるぐる回り始めた。
「お前は惚れてるんだろ。都会の男にしろ、見合いの男にしろ、そのうち由利が結婚するのを、指を咥えて見てるつもりか? この際ぶつかってみろよ」
「来月帰ってきたら、見合いするより先に告白しちまえ」
「そうよ。いつも駅まで迎えに行ってるんでしょ。その時に言っちゃえばいいのよ」
酒の勢いでみんなが勝手に話をすすめていく。
「口で言えないなら、ほら、花束を渡すのとかどう?」
「おー、それでいいじゃないか」
「ね、これなんかいいんじゃない?」
一人がタブレットで花束を検索して見せ、みんなで選び始めた。佳宏は気持ちが追いつかないまま、「ほら、ポチっちゃえ」の言葉に流されてしまったのだ。
その後2週間、やっぱりキャンセルしようかと何度も佳宏の心は揺れ動いた。
小さい頃から可愛かった由利は、大きくなるにつれ眩しいくらい綺麗になった。自分はというと、ひょろりと背だけが伸びたもやしのような眼鏡男。都会に出てさらに洗練されて磨かれていく由利と、真面目だけが取り柄の冴えない自分を比較すると、やっぱり告白なんて大それたことはしない方がいいのではないか。そんなことをしたら、ただの幼なじみですらなくなってしまうだろう。
それとも、もうそろそろ自分の想いに終止符を打つために、盛大にふられてしまうのがいいのだろうか。どちらにしろ由利が結婚することになったら封印しないといけなくなる想いなのだから。
さんざん悩んだ結果、告白玉砕をを選んだのに、時間が迫るにつれ、また迷いがわきあがってくる。駅はもうすぐそこなのに。
いつもならもう見えているはずの電車は、白い雪片に隠されてまだ見えない。
佳宏は思いを決め、闇に渦巻く雪に目を凝らして、ほんの少しだけスピードをあげた。小さな賭けをしよう。
電車の到着時間までに間に合って、彼女が降りてくるのをちゃんと迎える。そうすれば、万分の一の勝率が、ほんの少しでもあがるかもしれない。
もし、間に合わなければ。
……花束は後部座席に隠してしまおう。
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