小説『インタラクション』 最終章
(1)
特別な日の朝というのはいつもと同じ景色も違って見える。
文化祭当日を迎え、智文は普段よりも一時間以上早く家を出発した。
通学途中のいつもと変わらない道。それもなんだか新鮮に思えて、抑えきれない興奮によって自然と足取りは弾んでいた。
電車に乗ってからも「何か忘れ物はないか」とそわそわしてリュックを漁ってみたり、周りにいる人たちの中に同じ北岡高校の制服を着た人を見つけて、「ああ、あの人も文化祭で早めの登校をしてるんだろうな」と名前も知らない同校の生徒に変な仲間意識を持ったりして、落ち着かない朝の通学時間をわくわくした心持ちで過ごしていた。
駅から歩いて学校の前まで来ると、校門のところに『北岡祭』という文字が目立つように中央に書かれた巨大なゲートが派手な絵や装飾つきで設置されていた。
文化祭の準備期間中、智文は何度か製作途中で寝かされた状態のそれを見ていた。でも、こうして堂々と立ち上がっている姿を見ると改めてその迫力に圧倒され、この先には非日常の空間が広がっていることを感じずにはいられなかった。
まだ一般の来校者は通れないその祭りの門をくぐり、智文は自分たちの本拠地である二年三組の教室へと向かった。
校内に入ると、昇降口も廊下もすでに騒がしかった。通りがかる教室はどこも自分たちのクラスが一番すごいと言わんばかりに、外観から特色のあるデザインに彩られている。つい数日前まで通常の授業を行っていたとは思えないくらいに教室感はなく、そこはもう完全なエンターテイメント空間と化していた。
もちろん、我がクラスも負けてはいない。
智文は三組の教室の前まで来て足を止め、ゆっくりと外装を眺め回す。
教室の外側には壁一面を覆うようにして大きな広告絵が貼り付けられている。描かれているのは王子様と幽霊を思わせるような男女が背中合わせになっている甘酸っぱい姿。それから横書きで映画のタイトル『インタラクション』の文字。下のほうにはキャッチコピー『この学校には幽霊がいる? 人間と幽霊の秘密の交流を描いた、感動の映画が今ここに! 驚きのラストを見逃すな!』の言葉が躍る。爽やかな絵やいくつかのキーワードによって通りがかる人に興味を抱かせる作戦だ。
さらに教室の扉は『シアター入り口』と書かれた見た目だけ両開き仕様(実際は引き戸)、その脇には上映時間をわかりやすく記した立て看板が置かれている。看板の隣には案内係の人のための椅子と机が二つほど並べられていて、配布用のパンフレットや入場用のチケットがもうすでに準備されていた。
入り口のドアをガラガラと開けると、窓をすべて暗幕で覆われた教室内には蛍光灯の灯りが点いていて、クラスTシャツに着替えたクラスメイト数名が早くもてきぱきと当日の作業を進めていた。教室前方のスクリーンに映像を流しながら、音響の位置の調整や座席の数と場所のチェック、入るときと出るときにお客さんを誘導する際の注意点の確認など、様々なことが同時並行で行われていた。
「おはよう、智文!」
その指示系統の中心にいた陽菜乃が、こちらに気づいてパタパタと元気に近寄ってきた。
「朝早くからご苦労様」
「当然のことよ。この日のために頑張って来たんだからね。最高の映画が完成した今、変なところで減点食らうわけにはいかないでしょ。やれることはやっておかないとね」
荷物はあっち、と陽菜乃が指差した。早く置いて手伝えってことだろうな、と理解した智文は了解の返事をして教室の後ろの隅のほうへ歩き出した。
教室の隅には暗幕で仕切られた空間がある。外からは中が見えないようになっていて、そこに自分たちの鞄や予備の機材などを置くことになっていた。要は「見えたら都合の悪いものはここにぶっこんどけ」という便利で雑な汎用スペースだ。
智文はさっさと制服を脱いで予め着込んでいたクラスTシャツ姿になり、脱いだ制服を素早く畳む。それを後から来た人の邪魔にならないように鞄と一緒にまとめて端っこのほうに置いた。ちらっと視線を脇に向けると、脱ぎっぱなしの制服、しかも女子のブレザーと白いシャツが無造作に鞄の上に置かれていた。
このイヌのぬいぐるみが付いた鞄には見覚えがある。陽菜乃のものだ。
いくら忙しいとはいえ適当すぎる。別の意味で減点だ。けれど俺が代わりに畳むわけにもいかないし、あとでこっそり畳み直すように言っておこう、と智文はそれ以上その物体を見ないようにして再び暗幕をくぐった。
当日の朝の準備は慌ただしさと高揚の中、賑やかに進められていった。
昨日と一昨日の二日間が丸一日準備期間としてあてがわれていたので、だいたいのやるべきことは前日までに済ませてある。教室の内装や外装も、宣伝用のパンフレットやポスターの準備も、そして大事な映画の撮影や編集もすでに完了していた。だから、今できるのは本当に細かな調整だけだ。
撮影のクランクアップを迎えたのは三日前だった。最後の撮影場所となった昇降口でラストカットを撮り終えた瞬間は、互いの苦労と健闘を称え合う拍手が巻き起こっていた。感動して思わず泣いてしまう人までいた。
ただ、それで映画は完成ではない。そこから圭が動画の編集を行い、綾子たちが録音した音声や壮馬たちが作った音楽を重ねていって、最終的にはみんなで映像を確認しながら、ラストを含むすべてのシーンを一つの作品としてまとめ上げていった。
それらがすべて終わったのは昨日の夜だ。
教室の飾りつけ等の別の作業をしていた人たちも仕事を終え、最後にクラス全員で上映会を行った。
自分たちの作り上げてきたものが、映画という形になってスクリーンに映される。誰も気にしないような小さな一つ一つのカットに様々な思い入れがあり、それらが走馬灯のように美しく流れていった。
エンディングが終わると、教室は感動の涙で包まれ、お互いに対して感謝を告げる「ありがとう」という言葉が自然と飛び交った。主役を演じた直夜と透華も、陽菜乃も、智文自身もその温かい空気の中で泣いていた。
二年三組の生徒だけによる一度きりの特別な上映会はそうして幕を閉じた。
「いよいよね」
朝の最終確認を終えて、腰に手を当てた陽菜乃が感慨深そうに教室内を見回す。
「さすがに緊張するな」
「大丈夫よ」
陽菜乃は前を向いたまま、自信満々に言い切った。
「わたしたちなら絶対に」
「そうだな」
根拠はなかったが不思議と確信が持て、智文も肯定の相槌を打った。
このあとは開会式。それが終わると、一般の来校者も交えたお祭りの開始だ。
「ねぇ、智文」
呼びかけられたので視線を向けると、こちらに半身を傾けた陽菜乃はお得意の素敵スマイルで溌剌と語りかけてきた。
「文化祭、一緒に楽しみましょう」
有無を言わせないような可愛さに、思わず智文はこくっと首を縦に振った。
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