(3)
病院を出てから、智文たちはお互いに単調なラリーでもしているかのようなとりとめのない話を続けた。病院前からバスで駅まで行き、駅から電車で家の最寄り駅まで向かい、そこからまた歩く。その間、ずっとそんな調子だった。
会話だけは途切れさせないように。
二人を包み込んでいたのは、そんな暗黙の了解みたいなものだけだった。それが止んでしまうとバランスを失ってしまって、再び立て直すことが困難になるのではないかという予感があった。
駅前のロータリーは入ってくる車やバスの音、別れの挨拶をする人たちの声で騒がしかったが、駅から少し離れてお店も何もないただの住宅街に入ると、急に静けさが襲ってきた。そうなってくると、よりいっそう無理にでも言葉を交わさなければいけなくなった。
盛り上がりも盛り下がりもしない会話。時折近くを通る車が大きな音を出しては遠くへと消えていく。それによって途切れそうになった話を何とか元通りにしたりして、智文たちは街灯もまばらな薄暗い道路を歩いていた。
「透華はまだ病院にいるのかしらね」
「どうだろうな。夕飯までには家に帰ると思うけど」
「そのまま病室に泊まっちゃったりして」
「それはないでしょ」
冷静に答えた智文に、陽菜乃は「そうね」と小さく呟いた。
「けど、秋の夜は長いから、直夜も結構時間を持て余すかもな。何か暇つぶしの道具でも持っていってやればよかったかな。読みやすそうな短編小説とか」
「読書の秋って言うし、ありだったかもね。あっ、でも病院って消灯時間早いからあまり読めないんじゃない?」
「そういやそうだっけ」
智文が納得していると、横を歩く陽菜乃がくんくんと匂いを嗅ぎ出した。
「秋と言えば、食欲の秋とも言うよね。今も美味しそうな焼き魚の匂いがする」
「この時期だと秋刀魚か。この近くのどこかの家で焼いてるんだろうな」
「智文の家でも秋刀魚食べる?」
「うちはかなり多いな。秋になると毎週のように食べてる。今日の夕飯ももしかしたら秋刀魚かもしれない」
「本当に? もしそうだとしたら家に寄らせてもらおうかな」
「いや、駄目だ。うちは頻度はかなり多いが、魚自体は毎回一人一尾って決まってるから陽菜乃の分はない」
「それなら智文の分をわたしにくれればいいだけじゃない」
「……そういう発想、どこから出てくるんだよ」
思わず自虐的な笑みが浮かんだが、当の陽菜乃は気に留めずに前を見つめた。
「それにしても、秋っていつもすぐに過ぎちゃうのよね。今年も文化祭が終わったら、あっという間に冬が来るのかしら」
「まあ、十月の終わりにハロウィンがあって、それが過ぎたら前倒しでクリスマスツリーなんかが飾られ始めるから、そうしたらもう冬って感じになるな」
「ついこの間まで夏だったのに、時間が経つのって早いわね」
「花火のシーンとか撮ってたから、余計そう感じるのかもな」
もう数日が経っているが、先日の河川敷での出来事は印象的なことばかりだった。
映画撮影。バーベキュー。花火。
あらゆる場面で魂は揺さぶられ、紛れもなく心は踊った。多分、人生においても忘れられない大きな思い出の一つとして、後ろから輝きを放ち続けるのではないかと思う。
ただ、その受け取り方は今後変わってしまうかもしれない。
「ねぇ、智文」
いつの間にか考え事をしていて、気がついたら陽菜乃に呼びかけられていた。
慌てて返事をするが、陽菜乃の表情から笑顔は消え、心許なくなって足が止まった。お互いにそのまま無言で立ち尽くした。
会話によって何とか保っていたバランスは、リズムを失うと元には戻せない。再度ラリーを始めようとしても、他愛もない話はすべてコートの外側に出てしまう気がした。
陽菜乃が縋るような瞳でこちらを見た。
「脚本、本当にうまく書き換えられる?」
病院から家までの帰り道、智文たちは暗黙のうちにその話題を避けてきた。
これから具体的にどうするかということについては今一番話し合わなければならないはずなのに、それを考えることから逃げるように空虚な会話を積み重ねていた。
その理由は明白だった。
――現状を打破する方法なんて思いつかない。
智文も病院では「問題ない」とか「俺が何とかする」とかかっこいいことを言った。だが、それらはすべてまやかしだった。直夜に希望を持たせるために、透華の期待に添えるように、という思いから生まれた虚言だった。
どうしようもなくなった自分の姿など誰にも見せたくなかったのだ。
それは直夜も同じだったのだろう。だから、連絡を無視した。みんなから距離を置いた。
そして、今目の前で不安げな表情を見せる陽菜乃も、絶望に浸った自分というのを見られたくなくて、認めたくなくて、強気に振舞っていたのだと思う。
「何とかしてみせるよ」
嘘だ。実際には何のプランもない。
だって、今からクラスメイト全員に受け入れられるラストシーンなんか作れっこないのだ。
例えば、直夜が走らなくて済むように全力疾走の場面を丸ごとカットしたとする。教室で手紙を受け取って、次の場面ではもう透華と昇降口で向き合っている。強引ではあるが展開として矛盾はないし、残りの撮影期間から考えても変更案としては合理的だ。
しかし、それでみんなが納得するだろうか。
状況が状況だけに、きっと表面上は「それでいこう」と言ってくれるに違いない。
けれど、そこには妥協が含まれている。もっといい展開があったはずなのに、という失意のうちに撮影が行われ、皆がどこか欠けてしまったと感じる映画を文化祭で上映することになるだろう。
それから何より、直夜が罪の意識を背負うことになる。周りからの失望を感じ、自分のせいでこうなってしまったと塞ぎ込んでしまうことだろう。直夜が負い目を感じないように、という透華の願いも叶えてあげることができない。
「何とかってどうやって?」
答えられない。その答えを智文は持っていない。
いや、そもそも答えなんかないのだ。
全員が傷つかない方法? 誰もが納得する感動のラスト?
そんなものあるわけがない。みんなが最後に幸せになれるなんてフィクションの世界でしか有り得ない。現実はいつも誰かが傷ついている。いつも誰かが譲歩している。笑った集合写真の笑えていない一人というのが存在する。
「こんなこと言うべきじゃないのはわかってる。でも、わたし今ものすごく怖いの。今度こそどうにもならないんじゃないかって。わたしのせいかもしれない。こういう状態になることを恐れてばかりいたから、今になってこんな事態になっちゃったのかも」
「そんなことあるわけないだろ」
「じゃあ、わたしはどうすればいいの?」
赤い目をして陽菜乃が迫る。だが、その質問にも智文は答えてやれない。言うべき言葉が見つからない。
何とかしたいって想いの強さは彼女だってきっと同じだ。どういう行動を取れば未来が良い方向に開けるのか。それがわかれば、彼女は持ち前の快活さと遂行能力でクラスのみんなを引っ張っていくだろう。
けれど、どうしていいのかわからない。病院での誓いを守るための最善策を見つけることができないから、陽菜乃は智文に救いを求める。
でも、智文は救えない。救う手段がないから。
これが現実だ。これが真実だ。
文化祭までの日数は限られている。
とりとめのない会話ではぐらかそうとしたって、その事実から逃れることはできない。
たとえ何とかしようと必死に足搔くことを選んでも、最後の最後には絶望の残ったラストが待ち構えている。
どうすることもできない。
――『君』はこれで満足か?
「そんなの俺にだってわからねぇよ!」
突如、どこからか世界を突き破るような鋭い声が響いた。
「けど、何とかするんだよ! 俺たちで! 俺たちにできる方法で!」
気づけば、智文は懸命に声を上げていた。その姿はまるで何かに抗うようだった。
今、目の前にそびえ立つ現実に。
あるいは、どこかの世界の椅子に座っている誰かに。
「わたしたちにできる方法?」
「ああ、きっとあるはずだ。どんな状況だろうとどうにかできる手段が必ずある! 諦めなければ絶対に見つかる!」
なぜだ?
なんで期待なんかしている? なんで希望を抱こうとする?
今から進む未来に幸せなんてない。進んだ先にあるのはバッドエンドだけだ。
そういう運命なんだ。
僕がそう決めた。
なのに、なぜ『君』はそんな台詞が言える?
「でも、その方法でうまくいかなかったら?」
「そのときはまた別の方法を考えればいい! それが駄目だったら次、また次って何度でも試せばいいだけだ!」
黙れよ!
次はない! 失敗して終わりなんだ。終了。
救いなんてない。逆転勝利もどんでん返しもない。
何もできない。何も変えられない。
それが現実だ!
自覚しろ! 目障りなんだよ!
夢を見るな!
現実を見ろ!
……ほら、何もできやしないくせに!
「何度でも?」
「そうだ! 今までみんなで頑張って来たんだ! これくらいの困難、俺たちなら絶対に乗り越えられる! だってここまでやって来れたじゃないか? わかってるよ。確かに現実は厳しいかもしれない。でも、それが運命なら俺が全部吹き飛ばしてやる! どんな結末が待っていたとしても最後まで抗ってみせる! たとえ未来が筋書きで決まっていようと、何度だって答えを探して、書き換えて、はっぴーえんどをつかん
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