(7)

 今日この場で起きた一つの奇跡について智文が知ったのは、バーベキューの片付け作業が終わって、撮影で使用しなかった花火をみんなでやり始めた頃だった。


 智文の手持ち花火から勢いよく出る火に、横から来た陽菜乃が「もらいっ!」と自分の花火を伸ばしてつけようとして、それが無事にうまくいったところで、満足げな顔を浮かべた彼女がその情報をもたらしたのだった。


「そういえば、今日全員ここに来れたんだよね」


 初めはその意味がよく摑めなかった。いきなりだったこともあったし、花火のほうに気を取られて、内容が頭に入ってくるのが遅れたのもあった。


「全員?」


「そう、クラス全員。あとから来た人も含めてね」


 陽菜乃がそう付け加えて、智文はようやく状況を理解した。


 つまり、今日この河川敷に北岡高校二年三組のクラスメイト四十人が一人も欠くことなく集結したということだ。


 部活がある人、塾やバイトがある人、家の用事や遊びの用事がある人。学校がない日というのはそれぞれが自分の行動パターンを持っていて、同じクラスに属していてもお互いに何をしているのかなんてほとんど知らない。ある程度仲が良かったって、休日の過ごし方までは謎であることが多いだろう。


 遠足や修学旅行などの学校行事を除けば、今までの人生を振り返ってみても、学校外でクラスメイト全員が揃ったなんてことはなかったのではないか。


 だって、それはまさしく奇跡なのだ。誰か一人でも外せない予定が入っていてどうしても来れない人がいたら、行くのが嫌だったり面倒くさくなったりしてサボる人がいたら、この事象は成り立たない。


 バラバラな思想を持つ四十人が、考えや動機の差はあれど自主的に集まった。そこには計り知れないほどの価値があるように智文は感じた。


「そうか。みんな集まれたんだな」


 智文が手に持つ花火からは緑の炎が噴き出している。その周りでモクモクと漂う煙も緑色に染まり、火薬の匂いを残しながら漆黒の空へ立ち上って消えていく。


 他のクラスメイトたちの花火にも目を向けてみると、手に持つタイプの花火以外にも、地面の上で噴水のように火が噴き出す花火や、同じく地面に設置して音とともに上空へと飛んでいく打ち上げ花火など、実に様々な種類や色の花火が真っ暗な夜を彩っていた。


 共通しているのは、みんな笑顔だということだ。


「二刀流!」とか言って火のついた花火を両手で持ってはしゃぐ男子が周りから「無駄遣いするな」と突っ込まれていたり、「花火文字!」とか言ってカメラのバルブ撮影を利用して花火で文字を描いている女子たちを見て周りが「あの写真、映画にも使えるんじゃないか」と盛り上がっていたりと、至る所で笑い声やら歓声やらが起こっていた。


「わたしね……」


 陽菜乃は赤い花を咲かせる自らの花火を大事そうに握りながら呟く。


「今、実はちょっと感動してる。わたしが見たかった景色の一つが今この場に広がっている気がするのよ。もちろん映画の撮影はまだ残ってるんだけど、これまで頑張ってきたかいがあったなって初めて思えてるかもしれない」


 花火の明るさに包まれて、陽菜乃は少しだけ顔をほころばせた。


 辺り一帯が賑わう中、智文と陽菜乃の周りには静かな空気が流れていて、川のほうからときどき吹く冷たい夜の風が音もなく通り抜けていった。


 ハイテンションな花火もいいけどこういう落ち着いた雰囲気でする花火もいいよな、だから俺は線香花火とか好きなんだろうな、と智文が自らの心理を分析していると、それまで遠くにあった興奮が音を立てて近づいてきた。


「やあ、二人ともここにいたのか。捜したよ」


 やって来たのは、ビデオカメラを片手に持った直夜と、花火セットを抱えた透華だった。


「ああ、撮影役頼まれたのか?」


「そうなんだ。ほら、智ちゃんも陽菜乃ちゃんも撮る側で映像に映ってないでしょ? そういう人たちを中心に撮って回ってるんだ」


「朝野君、白石さん、これ使って」


 透華が袋から新しい花火を一本ずつ取り出してこちらに差し出す。智文と陽菜乃は一瞬目を合わせ、ぎこちない動きでそれを受け取った。


 別に陽菜乃と一緒に映像に映ることくらいどうってことないのだが、こうして表に表れている動揺が恥ずかしさをより一層加速させて決まりが悪い。なので智文はつい、言い逃れのようなことを口にしてしまう。


「撮るのはいいけど使うところあるかなぁ。映画の中の花火のシーンだって、あんまり長くするとストーリーの進行に影響が出るし」


「その点については平気さ。本編で使わなかった映像もエンディングで流すって編集の圭ちゃんがさっき言ってたから」


「今まで撮ってきた動画や撮影風景の写真をいろいろと組み合わせて一つのメイキング映像にするみたい。だから、できるだけたくさん撮っておいてほしいって」


「そういうこと。さあ、カメラ回したから火をつけてくれ」


 透華の補足説明もあり、観念した智文は「その手があったか」と小さく呟きつつ、手に持った花火をろうそくの炎に近づけて点火した。


 そこに、またしても陽菜乃の花火が伸びてくる。


「いただきっ!」


「ああ、もうさっきから何なんだよっ! ろうそくあるんだからそれ使えって!」


「いいでしょ。別に減るもんじゃないし」


 膨れっ面をしたかと思えばニコッと笑う。まったく見ていて飽きないな、と智文は妙な感動を抱いてしまった。


「ははっ、やっぱり智ちゃんたちは仲が良いね」


 ハンディカメラを構える直夜の口元は笑っていた。隣で花火の袋を抱える透華も明るく微笑んでいた。


 そんな二人を見て、智文はピンと閃いた。


「そうだ、直夜たちも撮ってあげるよ」


 今度は直夜のほうが狼狽える番だった。指で頬を掻いて照れながら、「いや、俺たちは映画の撮影で散々撮ったから」と恥ずかしそうに呟く。


「そんなの関係ないでしょ。メイキング映像としてなら本編にいくら映ってようと話の流れ的に不都合はないし、役としてじゃない素の表情の二人って観客からしても需要あると思うんだよな。陽菜乃、準備!」


「オーケー」


 こういう攻めに転じたときの相性は抜群だった。先ほど透華から花火を受け取ったときのちぐはぐさが嘘のように、智文はカメラを、陽菜乃は花火を奪い取っていた。


 照れくさそうに笑い合う直夜と透華に、智文はカメラの焦点を合わせた。


「準備完了。いつでもいいよ」


 陽菜乃が花火を配り、直夜たちはそれに火をつけた。火花が二人を祝福するように舞う。


 それは映画のシーンさながらの、いやともすればそれ以上の、美しい映像だった。


「あとで四人一緒の画も撮ってもらおう」


 直夜の提案する声が、ふと優しく夜空に響いた。




×××××××××××××××××××××××××××××××××××××××××




 今、智文たちの目の前に広がっている光景。


 もしも、それがすべて偽りで誰かに作り上げられたものだとしたら。


 朝起きて目を開けたら覚めてしまう夢みたいなものだとしたら。


 そんな世界に、いったいどれほどの意味や価値があるのだろうか。

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