(3)
青空がまだ少しだけ残る夕方の河川敷には、私服姿の二年三組の生徒たちが集合し始めていた。今日はみんなで打ち上げのような雰囲気で盛り上がりたい、という陽菜乃の発案もあってか、撮影が開始する前からすでに多くの人が集まっており、いつもとはまた違った興奮に包まれている。
撮影の準備に積極的な者、お喋りが楽しくなっちゃって作業する手が止まっている者、それぞれ差はあるがどの顔もみんな笑顔で、これから行う花火のシーンの撮影を心待ちにしているのが窺えた。
「智文、リハーサルしてるからちょっとこっち来て確認して!」
「了解。今行く!」
ボーっとしている暇もなく、次から次へとやらなくてはならないことが降りかかってくる。やれ機材をこっちに運べとか、演者となるクラスメイトたちに指示を出しておけとか、ここに着いた途端に陽菜乃の命令がビシバシ飛んできた。
けれど、こうやって仕事があるということはそれほど悪い気分ではなかった。
役割を与えられて、みんなで協力して何か一つのものを作り上げていく。そういった経験がゼロだったとは言わないが、こうして文化祭に向けてクラスメイトたちと映画を作っている今のこの瞬間はこれまでにないような充足感で溢れている。
「王子と透華はしゃがんで会話するとき、もっと近づいていいかも。そこの男子たちはもうちょっとテンション上げてって。本番はほとんどアドリブになるから、とにかく盛り上がることを忘れずにね」
行われた演技に対して監督である陽菜乃からメガホンを通して指示が出され、各々がそれぞれ元気で気持ちのいい返事をした。みんななんだか楽しそうで和気あいあいとリハーサルを楽しんでいた。
その中には、二人きりで何やら言葉を交わす直夜と透華もいた。
爽やかな身振り手振りで話を振る直夜と控えめながらも口角を上げて楽しげに笑うワンピース姿の透華。遠目から見ると親密そうにも見え、二人の関係は着実に縮まりつつあるのではないかと感じられた。
望月透華。彼女について、智文は以前からずっと気にしていることがある。いつか尋ねてみたいと思っていることがある。
――まだ完全に心を開いてるって感じじゃない。
この前、直夜は透華についてそう語った。その感覚は正しいのだろう。透華に限らず、誰かに心を開くというのはそんなに簡単なことではないし、相手がどんなに誠実そうに見えてもいきなり絶対の信頼を寄せることなんかできない。警戒心の強い弱いはあるかもしれないが、誰にとっても相手に自らの本音を伝えるのはひどく難しいことだ。
それでも、智文は彼女に訊いてみたかった。自分の本心を一つ見せる代わりに、彼女の本心も一つ見せてもらえたらと願っていた。
その絶好のチャンスは今日かもしれない、と智文は感じていた。撮影が始まった当初は訊けなかった、そして文化祭が終わってしまった後ではどこか形が変わってしまう。
そうなると、やはり今日しかない。求めている「今の言葉」を聞けるのは「今」だけだ。
盛り上がるリハーサルの模様をしばらくじっと眺めていたら休憩になったらしく、陽菜乃が隣にひっそり近づいてきてしみじみと口を開いた。
「しかし晴れて良かったよね。天気のことはどうすることもできないし、わたし雨が降ったらどうしようって心配だったのよ」
茜空を見つめる陽菜乃の横顔には不安と安堵の色が見て取れる。
「まあ、雨が降ったら別の日に撮影すればいいだけだろ。日程にはまだ多少なりとも余裕があるわけだし」
「そうなんだけどね。何ていうの、そういう『どうにもできない状態』に陥ったらって思うと安心できなくて」
智文は言葉に詰まった。先日、電車の中で彼女が見せてくれた弱さ。今まで知らなくて、ようやく見え始めた彼女の心をぞんざいに扱うことはできなかった。
智文がどう答えたらいいか迷っていると、横に立つ陽菜乃は自らの発言を押さえつけるように首を振った。
「ううん。やっぱりこんなことばかり考えてても仕方ないわね。それより過ぎていく今と真剣に向き合わないと。そうだ、智文考えたことある? 今ってちょうど高校生活も半分くらいなのよ」
大きな瞳でこちらを見つめる陽菜乃に、智文は少し考えてから返答した。
「意識したことなかったな。言われてみれば確かにそうか」
「意外と気がつかないものよね。わたしもつい最近になってふとその事実に気がついたの。ああ、もうそんなに過ぎちゃったんだって」
指折り数えてみれば、高二の九月、十月は高一の四月から高三の三月の間のちょうど真ん中あたりになる。高校に入学した頃がちょこっとだけ懐かしく、かと言ってまだ具体的に卒業するイメージは湧いてこない、そんな時期。だが、日々の時間割をせっせとこなしているうちに、残りの高校生活もどんどん過ぎていってしまうのだろう。
「智文はコップの中の水が半分残っているとき、まだ半分あるって思う? それとも、あと半分しかないって思う?」
「俺の場合はまだ半分あることに希望を抱きつつ、あと半分しかないことを嘆くかもな」
「何なのよ、その答え。……でも、ちょっとわかる。わたしも考え方似てるかも」
陽菜乃は静かに笑いながら、履いているスニーカーの辺りを見つめる。
「わたしね、高校生活が漠然と過ぎていくのをいつも何となく俯瞰して眺めてたのよ。実際の高校生ってこんな感じなんだなって思いながらもどこか他人事のようにね。今回の映画もそうだけど、よく高校生が主人公の物語とかあったりするじゃない? そこに出てくる登場人物たちってとても輝いて見えて、自分もいつかこんな感じの高校生活送るのかなって心の中で密かに期待したりしてたの。だけど、現実はなかなかイメージ通りにはならなくて、このまま何もなく終わっちゃうのかなって勝手に諦めかけてた」
河原の砂利を足で弄りながら、陽菜乃は話を続けた。
「でもね、あるときふと気がついたのよ。ドラマチックなことが起きないのなら、自分が起こせばいいんだって。単純でしょ? でも、そんな当たり前な事実にずっと気づかなかった。いいえ、気づかなかったというより、気づかないふりをしていたというほうが正しいかもね。ドラマチックなことに憧れたところで、具体的に何をすればいいのかなんてわからなかったし」
「意外だな。俺と違って陽菜乃は何にでも積極的に挑戦していくイメージがあったから」
「そう見えるだけよ。実際は何かができてたわけじゃない。だから、残りの高校生活が減っていくことに焦りを感じながらも、まだ過ぎ去っていない部分に全力を注ぐことにしたの」
そう言ってしゃがみこんだ陽菜乃は、地面に転がった大小様々な石の中から丸くて綺麗な白い石を手に取り、よいしょと立ち上がった。
「それがこの文化祭ってわけか?」
「そういうこと。だからね、わたしはこの映画制作を絶対に成功させたい。それがわたしにとってだけじゃなくて、みんなにとって最高の思い出になることが大事なのよ。クラスのみんながいつか大人になって高校時代のことを思い出したとき、このメンバーでやった高校二年生の文化祭が最高だったって思えるようにね。それがわたしの考えるドラマチック。わたしにとっての特別な夢」
視線の先に誰もいないことを確認すると、陽菜乃は突然大きく振りかぶり、右手で握った石を沈みゆく夕陽に向かって思いっきり投げた。
石の軌道を目で追っていく。
それは回転しながら美しい角度で上昇していった。
どこまでも飛んでいくかのように、ぐんぐんと赤い太陽に近づいていった。
けれど、次第にゆっくりと高度を落とし、やがてポチャンという音とともに真下に広がる大きな川へと吸い込まれていった。
何事もなかったかのように静けさが戻る。
でも、その白い石の軌跡を智文はおそらく一生忘れないだろうと思った。
「それはそうと、智文……」
石の行方を見届けた陽菜乃がおもむろにこちらを振り返った。
「なんで今日も学校指定のカーディガン羽織ってるのよ」
「えっ、バレてた?」
「そんなの見ればわかるに決まってるでしょ。今日の撮影はあんたも映されるかもしれないってわかってるはずなのに、どうしてもっと服装考えてこなかったのよ?」
陽菜乃の言う通り、今日の現場に集まった人たちは誰もが映像に映る可能性がある。そういったお達しは、クラス全員に向けて事前に陽菜乃のほうからも出ていた。
本日のシーンは私服での撮影だ。なので、今日ここに集まったクラスメイトたちは映像に残ることを考慮して個性溢れるおしゃれな私服を着こなしている。
当然ながら、智文も今日自分の姿が撮られるかもしれないことを承知していた。それでも、今朝パジャマから着替えるときに、適当な余所行きのシャツの上にいつも着ている学校指定の紺のカーディガンを羽織っていた。
それはなぜか?
そんなの決まっているだろう。
「私服がねぇんだよ」
自虐的に答えると、陽菜乃は呆れた表情ではぁーとため息を吐いた。
「しょうがないわね。わたしが今度一緒に買いに行ってあげるわよ」
思いがけない提案に、智文はつい目を丸くして彼女の顔を見てしまった。
「な、なによ、なんか文句ある?」
「い、いや別に特には……」
目が合った途端、正視できなくなってお互い顔を逸らした。このぎこちなくて気恥ずかしい感じはいったい何だろうか。
ちらっと陽菜乃のほうを窺うと、彼女の横顔も夕陽以外のもので若干赤く染まっているように見えた。
それを誤魔化すように咳払いをした陽菜乃は、こちらに向けて指を一本立てて勢いよくまくし立てた。
「一緒に買いに行ってあげるのは可哀想だから! そう可哀想だからよ! お出かけのときに着ていく服がない可哀想な智文のためにわたしが慈悲の心で選んであげるの」
「おい、さすがに可哀想って言い過ぎだ。そんだけ言われるとマジでどうしようもなく可哀想な奴みたいに思えてくる」
智文が低い声で嘆くと、ようやく落ち着きを取り戻した陽菜乃は一転して笑顔を見せた。
「そうね。とにかく、この件に関しては文化祭が終わった後に改めて決めることにしましょう。今はまず文化祭。最高のものにするためにも、残りの撮影、全力でやっていくわよ」
「わかってる」
簡潔に返事をすると、智文の目の前に陽菜乃の右手がすっと差し出された。
「……よろしくね」
「……ああ、よろしく」
戸惑いつつも、その手をしっかりと握りしめ握手をする。彼女の手はほんのりと温かかった。
赤く輝く夕陽が地平線の彼方へと消えていく。
花火のシーンの撮影はいよいよ本番を迎えようとしていた。
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