(2)
午後二時。河川敷からほど近い位置にある『喫茶リバーサイド』の店の前で、智文は直夜が来るのを待っていた。
今日の撮影内容はみんなで花火をやっているところを撮るというものなので、当然時間帯は夜となる。もちろん準備自体はもう少し早くから始まるが、それにしたって時間は結構ある。それまでどうしていようかと悩んでいたところに、午前中の部活が終わった直夜から「お茶でもしないか」と連絡を受け、喜んでオーケーしたらこの喫茶店を指定されたのだ。
店の入り口となっている木のドアには『OPEN』という看板がぶら下がっている。
そのドアから女子大生と思しき二人組が「ここは当たりだったね」ときゃぴきゃぴ感想を言い合いながら出て来たり、すらっと背の高い初老の男性が「ここか」と呟きながら入っていったりするのを横目で見ながら待っていると、おしゃれなアウターを着た直夜が息を切らせながらこちらに駆け寄ってきた。
「はぁはぁ、ごめん、智ちゃん。待ったでしょ?」
「いや、全然。俺も今来たところだから」
「すまない。一旦家に帰って身支度を整えてたら結構時間かかっちゃって」
申し訳なさそうにする直夜だが、そもそも約束の時間である二時からは五分ほどしか経っていないのでほぼ時間通りだ。そんなに謝るほどでもないだろう。
「いいって。それより早く店に入ろう。座って休めるし」
智文が気を回してそう言うと、ようやく呼吸が落ち着いてきた直夜は少しだけ笑顔を見せ、店のほうへ歩き出した。
「ごめんね。じゃあ行こうか。この喫茶店、俺の一押しなんだ」
先にドアを開けた直夜に誘導され、智文も店内へと入った。
ウッドテイストだった外観にマッチするように、店の内部には質感のある木製のイスとテーブルが並べられていて、緑色の観葉植物が外から差し込む自然の柔らかな光を浴びながら景観に彩りを加えていた。店に一歩足を踏み入れた瞬間から漂ってくるコーヒー豆の香りには、たとえコーヒー通でなくても心が躍ってしまう。
丸眼鏡に白髭のマスターが楽しげにコーヒーを淹れているのを横目で観察しつつ、智文たちは窓際の空いていた席に腰掛けた。それを見計らったようにおしぼりと水を運んできた可愛らしいウェイトレスさんにコーヒーを頼む。直夜はチョコレートケーキをセットにするようだ。
注文を終え、智文たちはお互いにリラックスできる態勢に座り直した。
「一押しって言ってたけど、この店、直夜はよく来るのか?」
「まあね。発見したのは今年に入ってからだから、まだ一年も経ってないんだけどね。川のほとりの小さな隠れ家的な雰囲気が気に入ってるんだ」
「隠れすぎてて俺じゃ見つけられないだろうけどな」
「ははっ、でも俺もこの店知ったのはSNSのおかげなんだ。この近くでいい喫茶店ないかなって検索してたらこの店が密かに話題になってて」
「そうか。今はそういう時代だよな」
現代の社会ではお店の評価でも何でも、ネットで検索すればいくらでも出てくる。老若男女問わず、それを見てその店を訪れるかどうかなどを判断することができるのだ。そこにはこういう隠れ家的な良いものを見つけることができるというメリットがある反面、噂だけで判断して実際に触れることなく離れてしまう人たちを多く生んでしまう恐れもある。
やっぱり、本当に知りたかったらちゃんと体験してみないとね。
会話が一段落したタイミングでちょうどよくコーヒーが運ばれてきた。湯気立つコーヒーの味に舌鼓を打ちながら、智文は改めて感想を述べる。
「まあ、経緯はどうあれ、良い店を知れてよかった。雰囲気もいいし、コーヒーも美味いし」
「ありがとう。実は今度透華ちゃんとも来てみようかと思ってるんだ。彼女が了承してくれればだけど」
「おー、いいんじゃないか。……ていうか、今日は俺で良かったのか? このあと近くで撮影するんだしチャンスだったんじゃ」
手を止めることなくチョコレートケーキを口へと運ぶ直夜に、智文は気になって思わず尋ねた。直夜はうっすらと微笑みながらも首を振る。
「いいんだ。透華ちゃんとは徐々に距離を詰めていければ。映画のストーリーにだって順番ってものがあるでしょ。今日の花火の場面で秘密を打ち明ける約束をして、最後の場面でその秘密が明かされる。それと同じように、これから透華ちゃんとももっと親しくなれて、それでもし今よりも一歩踏み込んだ関係になれたとしたら、そのときはこの店でもどこでも一緒に行こうと思うんだ」
映画の中の彼同様、演じている直夜自身も彼女に認められる男になろうと日々精進している。
それは簡単なようでとても難しいことだ。
言葉で表せば単純な「成長」や「努力」も、行動に移すときには、複雑で、困難で、覚悟がいる。
だからこそ、それに真剣に向き合う直夜は誰よりも立派だと、智文は感じていた。
「やっぱり直夜はすごいよ。俺なんかじゃとてもじゃないけど真似できない」
「そんなことないさ。それに今日智ちゃんを誘ったのは、最近昼休み一緒に食べられてないなって思ったからでもあるし」
「あー、でもテニス部もうすぐ大会なんだし仕方ないでしょ。大会、文化祭後だっけ?」
「そうだね。だから最近は部活の練習もかなりハードなんだ」
秋には多くの運動部が主要な大会を迎えるが、直夜が所属するテニス部も大きな大会が控えているようだ。三年生が引退しているこの時期の大会はどこの学校も二年生が中心メンバーとなるので、智文と同学年の運動部の生徒たちは部活にも熱を入れている。
「映画の撮影がある日は放課後の練習も融通を利かせてもらってるし、せめて昼休みくらいは毎日部活に参加したいなって思ってるんだよね。周りのみんなの足だけは引っ張りたくないからさ……部活も、クラスの出し物も」
「いやいや、むしろ直夜はみんなを率いるほうだと思うんだけど」
智文は軽い気持ちで突っ込みを入れたが、当の本人である直夜に謙遜の色はなく、あるいは今言ったことを本気で懸念しているのではないかとさえ感じられた。
一抹の不安が智文にもよぎった。
「まあ、大丈夫でしょ。頑張ってるのは周りの人たちも見てるし、直夜の努力はちゃんと報われるよ。……一応、俺も見てるし」
こんななだめすかしたような言い方でいいのかはわからない。けれど、恐れを打ち消すやり方を他に知らない智文はこうするしかなかった。
それでも、直夜は笑ってくれた。
「サンキュー、智ちゃん。そうか、俺はいつも智ちゃんに見られてたわけか」
「べ、別に変な意味じゃないからな」
「わかってるさ。気遣ってくれてありがとう」
なぜかツンデレキャラみたいな反応をしてしまったが、直夜はそれすらも笑いとして受け止めてくれた。
喫茶リバーサイドは想像以上に居心地が良くて、普段そんなにコーヒーを飲まない智文も気がつけばおかわりなんかしており、緊張する撮影本番前のひとときを落ち着いて過ごすことができていた。
今日これから撮る花火のシーン、そして学校で撮るラストシーン。
映画の完成は着実に近づいている。それはとても喜ばしいことであるが、同時に少し寂しいような気持ちにもなっていた。
だけど、まだその寂しさの意味を智文は知らない。
寂しさを本当に理解するのは、いつもすべてが過ぎ去った後だ。
「そろそろ時間だね。もう来てる人もいるかもしれない。撮影現場に向かおうか」
「そうだな。早めに行かないと陽菜乃になに言われるかわからないし」
腕時計をこちらに見せながら爽やかに提案する直夜に、智文は自虐的な笑みを浮かべつつ返答する。
「それは陽菜乃ちゃんに脚本家として頼りにされてるってことだよ」
「雑用係として、かもしれないけどな」
「なにそれ?」
「兼務してんだ」
不思議そうにこちらを窺う直夜だったが、別に説明するようなことでもないだろう。智文は気にせずに荷物をまとめ、テーブルの上に置かれていた伝票を手に取り立ち上がった。
「行こう、いい映像を撮りに」
そう言い放つと、ポカンとしていた直夜もふっと笑った。
「行こうか、いい思い出を作りに」
智文と直夜は、陽が差す明るい店の外へと歩き出した。
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